「ノート:南京事件」の版間の差分

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::::::::しかし、当該合意は、TENさんとくまくま第二さんの間の合意であると同時に、またTENさんと私の合意でもありますので、たとえくまくま第二さんとの合意が無効になるにしても、私との合意は残ると思います。そういった点で、2/6の、1/13の版に戻すことへの合意は有効であると考えております。
::::::::しかし、当該合意は、TENさんとくまくま第二さんの間の合意であると同時に、またTENさんと私の合意でもありますので、たとえくまくま第二さんとの合意が無効になるにしても、私との合意は残ると思います。そういった点で、2/6の、1/13の版に戻すことへの合意は有効であると考えております。
::::::::〇これは単なる雑感ですが、現在wikiノートへの新規参入書き込みが収まっているのは、くまくま第二さんの不正行為が発覚しブロックされたからだけではなく、版を元に戻されたからだと思っています。1/21版への外の世界の反応をみるとご意見を持つ方がそれなりにいらっしゃるようにに思われました。無理に1/21の版にすると、くまくま第二さんの様に、ご意見を開陳にし、wikiに参入される方が再度現れるのではないかと思われます(もちろん不正をするという意味ではないです)。以前の版は、(長い議論の果てに)どの立場からも十分に満足されないが、どの立場からもなんとか(?)許容範囲という、それなりの中庸を保ってきたのではないかとも思われました。以上雑感ですが、世間とwikiとの距離についてということで、ご一瞥頂ければ幸いです。--[[利用者:Harukaikeda|Harukaikeda]]([[利用者‐会話:Harukaikeda|会話]]) 2024年2月16日 (金) 06:00 (UTC)
::::::::〇これは単なる雑感ですが、現在wikiノートへの新規参入書き込みが収まっているのは、くまくま第二さんの不正行為が発覚しブロックされたからだけではなく、版を元に戻されたからだと思っています。1/21版への外の世界の反応をみるとご意見を持つ方がそれなりにいらっしゃるようにに思われました。無理に1/21の版にすると、くまくま第二さんの様に、ご意見を開陳にし、wikiに参入される方が再度現れるのではないかと思われます(もちろん不正をするという意味ではないです)。以前の版は、(長い議論の果てに)どの立場からも十分に満足されないが、どの立場からもなんとか(?)許容範囲という、それなりの中庸を保ってきたのではないかとも思われました。以上雑感ですが、世間とwikiとの距離についてということで、ご一瞥頂ければ幸いです。--[[利用者:Harukaikeda|Harukaikeda]]([[利用者‐会話:Harukaikeda|会話]]) 2024年2月16日 (金) 06:00 (UTC)
:::::::::* 1月22日の改稿について:TENさんの改稿作業がはじまったのが2023年12月18日、ドラフトが完成したのが2024年1月14日、実際の改稿がおこなわれたのが1月22日であると認識しています。この間の議論はノートページにおいて公開されており、第三者が異論を差し挟む余地は十分にありました。この改稿に向けては合意形成のための時間が十分に設けられていたと考えるべきであり、手続き上問題はなかったものと考えています。
:::::::::* 2月7日の差し戻しとXefonさんの編集について:差し戻しに向けての提案がおこなわれたのが2024年2月6日、実際の差し戻しがおこなわれたのが2月7日であり、1日未満しか議論の期間が用意されなかったことになります。これでは[[WP:CON]]を満たしているとは言いがたいです。同9日にXefonさんにより差し戻し前の記述をもととする再改稿がおこなわれましたが、7日の差し戻し自体に手続き上の不備がある以上、これに問題があるとは思いません。この再改稿は合意形成違反とみなされ、同日中に差し戻されることとなりますが、これに関する議論には複数の多重アカウントが参加し、きわめて不適切な形で同編集の追認がおこなわれることになりました([[WP:MEAT]])。
:::::::::* 1月22日の改稿に対する合意形成に手続き上の問題がなかったのに対して、2月7日の差し戻しには手続き上の問題があり、それに対する議論も非常に不健全なかたちで展開されたというのがこれまでの総括になると思います。改稿に向けての合意形成は1月22日時点で十分に達成されており、それを覆す合意は現在までにおこなわれていないと考えるべきであり、方針上は oldid=99071152 への即時差し戻しが適切であると考えます(これは、同版を同記事の決定稿とするべきであるという意見ではありません)。
:::::::::--[[利用者:Nux-vomica 1007|Nux-vomica 1007]]([[利用者‐会話:Nux-vomica 1007|会話]]) 2024年2月16日 (金) 08:08 (UTC)


== 最近の議論の経緯の確認 ==
== 最近の議論の経緯の確認 ==

2024年2月16日 (金) 08:08時点における版

この項目がここに移動される以前に同一名称だった項目にはノートページが存在します。詳細はノート:南京事件 (1937年)(移動以前の過去ログ)を確認してください。--Himetv 2010年6月14日 (月) 10:49 (UTC)[返信]

この項目が南京大虐殺から移動された際にノートページが移動されませんでした。移動が行われた2010年6月14日 (月) 05:39以前のノートについては、ノート:南京大虐殺をご覧下さい。--Himetv 2010年6月14日 (月) 10:56 (UTC)[返信]


2023/9/23の私の版に戻す提案

合意なく編集を行ったため、編集合戦が起こってしまったことは申し訳なく思います。ただ、長年偏った状態の記事で放置されているのは問題だと思います。

2023/9/23の私の版に戻し、花鳥風月~さんの編集(出典の無い記述の削除)を行うことが、最良だと考えます。

6/28と9/23の版の間での編集についての概要

・「南京事件は全く存在しない」という意見には配慮しない

「南京事件は全く存在しない」という意見は、日本のいわゆる保守論壇でしか確認できません。当然、国際的に正しいとされている"20万人以上"という数字は賛否あるものの、南京事件として日本兵によって多数(数千〜20万)の中国民間人が殺害されたことは、少なくとも学会では広く合意が得られているようにみえます(出典: http://www.japanesestudies.org.uk/articles/Askew.html 、英文&古めの記事で申し訳ありません)。

・国際的には事実とされていることは明記する

実際の歴史的事実はどうあれ、南京事件の存在は国際的なコンセンサスとしてとなっているので、全く無視した記述は偏っていると思います。日本語版のみ、Infoboxが無い、断定的な記述でないのも不自然です。


・偏った出典を少なくとも概要欄には用いない

6/28版における概要欄の出典として、竹田恒泰氏の書籍、産経新聞、阿羅健一氏の雑誌寄稿、和田政宗氏の国会質疑とweb寄稿、と"いわゆる保守論壇"に偏っています。産経新聞の記事は(内容が微妙ですが)ともかく、他の出典は一個人の意見以上の意味を持たず、概要欄には適さないと思います。

・「南京大虐殺」の併記

英語圏で Nanjing massacre が広く使われている他、日本語文献でも「南京大虐殺」表記はよく見られるため、(実際に大虐殺と言えるかはともかく)併記は必要だと思います。

・日本語版ウィキペディアへの批判

長年、歴史修正主義的な記述のまま放置されていることは複数の指摘があるので、現状偏っている記事に対して、中立的な観点もこめて記載しました。

--Xefon会話2023年10月2日 (月) 13:33 (UTC)[返信]

賛成 典拠の提示がない記述を除去した上で、@Xefonさんの2023-09-22T15:22:43‎Zの版を復帰すべきです。少なくとも、学界のコンセンサスを反映した専門家による信頼性の高い二次資料で、南京事件が実際に起きた可能性とそうでない可能性が同程度に扱われているということはまったくなく、「殺害、略奪、強姦、放火したとされる事件」や「この事件の実否は確定していない」といった記述はまったくもって不適切です。--First Comet会話2023年10月2日 (月) 14:17 (UTC)[返信]
  • 事件の存在が日本の学会でもコンセンサスがあり、否定している人達が日本でも少数派なら問題ないですが、断定的にするのであれば、殺害、略奪、強姦、放火のうちどれが断定されているかにも注意が必要でしょう。それと日本語版ウィキペディアへの批判はここではなくウィキペディア日本語版に書くべきでしょう。
--フューチャー会話2023年10月2日 (月) 15:28 (UTC)[返信]
>「南京事件は全く存在しない」という意見には配慮しない
「南京事件はなかった」とする日本の保守論壇のほかに、組織的殺害はなかったとする主張もあり、その場合、現行版の「事件」の記述からは組織的殺害としか読み取れないので「真偽」をめぐる論争があると言っても間違いではありません。
>国際的には事実とされていることは明記する
「国際的には事実とされている」とするのではなく「〇〇国は事実と認定している」「〇〇という国際機関は〇〇と認定した。」などの記述にすべきです。
>偏った出典を少なくとも概要欄には用いない
「竹田恒泰氏の書籍」については教科書検定を経たものなので、一概に個人の主張とはいえません。実際に文科省から多くの箇所に検定意見が付き、修正されたものが発売されています。
ちょっと現在の出典となっている第4版は持っておりませんので分かりかねますが、第5版にも同様の記述があり、かつ検定意見は付いていません。
>「南京大虐殺」の併記
本文に「この事件の呼称は「南京事件」以外にも、様々な呼称がある(後述)。」との記述があり、後述の部分をクリックすると、「南京大虐殺」や「南京大虐殺事件」など、他のさまざまな呼称にもアクセスできるようになっており、現在の記述で十分配慮されていると考えます。
日本語使用者が「南京事件」をよく使うことにも注意すべきです。
南京事件について中国よりも高校よりも早くから書いていた日本の中学歴史教科書では、現在、「南京事件」と表記する教科書が明らかな多数派であり、「南京大虐殺」とするのは7社中東京書籍だけです。
このことからも、「南京大虐殺」を併記する必要はないと考えます。
(参考までに)南京事件等をめぐる教科書史※小山常実氏の教科書研究をもとに作っています。
昭和20年代~昭和30年代初期 残虐行為があったとするが、「事件」という表現なし。
国定教科書の時代では「中国側の抗戦は南京における日本軍の残虐行為を契機にさらに激化」などと記述されていました。
※一部に日中戦争や満州事変と「侵略」と表記するものあり。太平洋戦争は「侵略」なし。「従軍慰安婦」云々もなし。
昭和30年代後期~昭和40年代まで 「事件」は一切なし。残虐行為云々もなし。
この時代には南京事件の記述はありません。
※「侵略」表記・「従軍慰安婦」云々もなし。
昭和50年代~昭和61年 そもそも書くのが少数派で書いても「南京事件」
この時代には「四万二千の中国の住民を殺害するという事件がおこった」というようなことを書いています。
※「侵略」表記多数派・太平洋戦争も相当数「侵略」・朝鮮人徴用は「強制連行」に変更・「従軍慰安婦」はなし。
昭和62年~平成17年 全社が「南京大虐殺」の時代
この時代は全社が「数十万人」又は「十数万人」規模の虐殺・「南京大虐殺」と書いています。また、全社が「国際的な非難」を書いています。
ただし、教育出版は「混乱の中で」と書いています。
※東京書籍と日本書籍を筆頭に全社が日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本の行為を「侵略」と表記・朝鮮人徴用も「強制連行」・平成8年度以降全社が「従軍慰安婦」を掲載・東京書籍を中心に「従軍慰安婦の強制連行」
平成18~平成22年 「南京大虐殺」自体は少数派・「20万人」を「大虐殺」の示唆とみなせば半数
この時代は、8社中東京書籍を筆頭に3社が「南京大虐殺」と書き、1社が「南京虐殺事件」と書いています。日本書籍は「大虐殺」と書きませんが、「20万人」の犠牲者数を挙げています。「国際的な非難」の書くのは「南京大虐殺として国際的に非難されました」と書く東京書籍を筆頭に圧倒的多数派です。
※東京書籍を中心にほとんどの会社が日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本の行為を「侵略」と表記・朝鮮人徴用は「強制連行」から「意思に反して連れてこられた」等に変更・「慰安婦」は1社のみ
平成23~平成27年 「南京大虐殺」は少数派
この時期には2社だけが「南京大虐殺」と書き、1社が「南京虐殺事件」としています。犠牲者数を書く教科書は存在しません。
教育出版は「混乱の中で」を削除しました。
※東京書籍を中心に半数近くが日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本の行為を「侵略」と表記(ただし節見出しレベルで「侵略」と表記するのは東京書籍だけ。)・朝鮮人徴用は「意思に反して連れてこられた」・「慰安婦」は一切なし。
平成28年~令和2年 東京書籍と清水書院が「南京大虐殺」、事件自体を書かない教科書と事件と位置づけない教科書が復活
ここに入り、「南京虐殺事件」としていた帝国書院が「南京事件」に変更し、東京書籍と清水書院が「南京大虐殺」と表記していますが、どちらも側注です。
「南京事件」自体を書かない教科書も1社ですが復活し、教育出版は「12月に占領した首都の南京では、捕虜や住民を巻き込んで多数の死傷者を出しました」と書き、組織的な殺害でないと読み取れるように変化しています。
さらに、特筆すべきは「南京事件」を含め、日本の過去の行為について昭和62年~平成17年の時代と同じようなことを書く新規参入の学び舎が「南京大虐殺」と書いていないことです。明らかに事件の呼称として「南京事件」が定着したと考えられます。
※日清・日露戦争「侵略」とするのは東京書籍だけ・太平洋戦争を「侵略」とするのも東京書籍だけ・満州事変と日中戦争を「侵略」とするのは東京書籍・学び舎・清水書院だけ(節見出しで「侵略」とするのは東京書籍だけ。)・朝鮮人徴用は「連れてこられた」あたりが一般的となり「意思に反して」とするのは東京書籍だけ(学び舎は「強制連行」とする。)・「慰安婦」は学び舎1社のみ(ただし「強制連行」は否定し、「従軍慰安婦」も使わない。)
令和3年以降 東京書籍だけが「南京大虐殺」
現行版では、全8社中東京書籍だけが「南京大虐殺」と表記し、1社が事件自体を書かず、1社が組織的な殺害でないと読み取れる書き方をしています。
※日清・日露戦争「侵略」とするのは東京書籍だけ(日露戦争は山川出版も侵略とする。)・太平洋戦争を「侵略」とするのも東京書籍だけ・満州事変と日中戦争を「侵略」とするのは東京書籍・学び舎だけ(節見出しで「侵略」とするのは東京書籍だけ。)・朝鮮人徴用は「連れてこられた」あたりが一般的で「意思に反して」とするのは東京書籍だけ(学び舎も「強制連行」から一転して「送り込まれた」になる。)・「慰安婦」は学び舎と山川出版1社のみ(ただし学び舎は「強制連行」は否定し、両社とも「従軍慰安婦」は使わない。)--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年10月13日 (金) 22:18 (UTC)[返信]
ノート You used a small number of historical samples from exclusively within Japan and presented them as if they represent an international consensus on this event.
The whole reason this page is being watched by tens of thousands of foreigners is because these theories are considered fringe by the entire rest of the world—Japan is the only country in the world that significantly promotes these theories. There are a few foreigners who do, but they are widely rejected internationally.
Compare this article to the articles on every other language Wikipedia. It is unique.
Foreigners will continue to watch this page and talk about it. This article does not give a good image to the Japanese Wikipedia.
大まかな翻訳:
あなたは日本国内のみから収集した少数の歴史的サンプルを使用し、あたかもこの出来事に関する国際的な合意を表しているかのように提示しました。このページが何万人もの外国人に注目されている理由は、これらの理論が世界の他の国々からは周縁だとみなされているからです。日本はこれらの理論を顕著に推進している世界で唯一の国です。そうした外国人も少数いますが、国際的には広く拒否されています。
この記事を他のすべての言語のウィキペディアの記事と比較してください。 ユニークです。
外国人は今後もこのページを見て、それについて話し続けるでしょう。 この記事は日本語版ウィキペディアに良いイメージを与えません。 --Toobigtokale会話2023年10月16日 (月) 00:05 (UTC)[返信]
別のコメント(大まかな翻訳):
さらに、情報、特に画像を完全に削除するパターンは非常に奇妙です。なぜ画像を見せて「世界のほとんどの学者はこの画像がこの事件を示していると考えているが、日本の学者の中にはそれを疑っている人もいる。これが彼らが疑う理由である、等々」と書かないのですか?画像だけを見て誤解しないようにしたい場合は、画像のキャプションに「X のものと言われている画像」と書くこともできます。それは懐疑的な見方を許容する正確な発言です。--Toobigtokale会話2023年10月16日 (月) 07:17 (UTC)[返信]
@Konnnitihaseizinnnosabu 返事?あなたは先ほど他の投稿者に喜んでエッセイを書きました。 世界はあなたがどのように返答するか楽しみにしています。--Toobigtokale会話2023年10月21日 (土) 10:14 (UTC)[返信]
@Konnnitihaseizinnnosabu Even though you may try to forget about this conversation, I will not. I will continue drawing international attention to this article until it reflects the international consensus. Expect there to be significant attention on this article and the Japanese Wikipedia in the near future.
あなたがこの会話を忘れようとしても、私は忘れません。 私は、この記事が国際的なコンセンサスを反映するまで、引き続き国際的な注目を集めていきます。近い将来、この記事と日本語版ウィキペディアが大きな注目を集めると予想されます。--Toobigtokale会話2023年10月23日 (月) 06:08 (UTC)[返信]
別に私は忘れようとはしていません。そこで、あなたの返信に反論したいと思います。翻訳で変なことになっているかも知れませんが、安心してください。もとの日本語も少しおかしいです。
まず、あなたは記事に「国際的なコンセンサス」を反映するよう求めました。しかし、南京事件について国際的な合意があった事実は確認できません。仮にあったとしても「国際的なコンセンサス」だとして紹介するのは問題です。
以前にも言った通り、「〇〇国は事実と認定している」「〇〇という国際機関は〇〇と認定した。」などの書き方や、「〇〇会議に参加した○カ国中○カ国が南京事件を非難することに賛同した」のような書き方でないと、中立的な観点と相入れません。
しかし、国際的な話をベースにすることには賛同できる部分もあるため、現在は国際的に有名な極東国際軍事裁判での認定を軸に紹介しています。
※この裁判は、日本では東京裁判と言われます。
Not that I am trying to forget. So I would like to refute your reply. The translation may be strange, but don't worry. The original Japanese is also a little strange.
First, you asked that the article reflect "international consensus". However, I cannot confirm the fact that there was an international consensus on the Nanking Incident. Even if there was, it is problematic to introduce it as an "international consensus.
As I have said before, writing such as "00 countries have recognized it as a fact," or "an international organization called 00 has recognized it as 00." and so on, or writing such as "X out of X countries that participated in the X conference agreed to condemn the Nanking Incident" is fine in light of a neutral point of view.
However, since there are some aspects of the international story that we can agree on as a basis, we are currently introducing the case based on the recognition at the internationally renowned International Military Tribunal for the Far East.
※This trial is known as the Tokyo Tribunal in Japan.--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年10月28日 (土) 14:53 (UTC)[返信]
Lot of words to communicate so little. Brevity is a virtue.
  1. Are there any countries other than Japan that significantly doubt the event?
  2. You conveniently didn't respond to my point about the images.
これらは情報がほとんどない単語がたくさんあります。簡潔さは美徳です。
  1. 日本以外にこの出来事に大きな疑問を抱いている国はあるのでしょうか?
  2. あなたは都合よく、画像に関する私の指摘に反応しませんでした。
--Toobigtokale会話2023年10月29日 (日) 04:05 (UTC)[返信]
2について そもそも、画像が日本軍の殺害だとする出典が明示されていません。私が調べた限りでは、あの画像が南京事件のものだとする記事は存在しませんでした。
1については、まず、あなたが出典を明示すべきです。ここでいくら「国際的なコンセンサス」を主張しても、それはあなたの主張にすぎません。全くの無駄です。Wikipedia:検証可能性を読んでください。
ところで、本題とは全く関係がありませんが、アメリカ軍が日本国内で行った東京・広島・長崎大虐殺の犠牲者数は約60万人にも及びます。この大虐殺現場の面積は、南京の半分程度にすぎません。
この大虐殺の犠牲者数がまだ20万人程度だと思われていたころ、東京裁判では南京事件で日本軍が「20万人」を殺害したと認定されました。東京・広島・長崎大虐殺の真相が明らかとなり、30万人以上が虐殺されたと分かったころ、南京軍事法廷で南京事件で日本軍が「30万人」を殺害したと認定されました。
さらに真相が明らかにされ、「40万人」の虐殺が明確になると、ある国の教科書で南京事件で日本軍が「40万人」を殺害したと記述されました。さらに時が経ち、放射線障害で「60万人」の大虐殺が明確になったころ、主に中国や韓国に国家主権を無視した内政干渉により、日本の教科書に「40万人」説が載せられました。
このプロセスは非常に奇妙です。
ちなみに、アメリカ軍による東京・広島・長崎大虐殺の犠牲者数は、即死40万人、放射線障害による死者20万人です(2021年のデータ)。
新たに後遺症で死亡した広島と長崎での虐殺犠牲者と、東京での虐殺の実態(未発見遺体の量)などを考慮すると、最大で約70万人もの犠牲者が出ており、そのうちわけは、即死41万人 放射線障害による死者約30万人にもおよぶことが分かりました(2023年最新のデータ)。
Regarding #2, to begin with, the source that the image is of Japanese military killings is not clearly stated. As far as I have been able to find, there is no article that claims that the image is from the Nanking Incident.
As for #1, you should first clearly state your source. No matter how much you claim "international consensus" here, it is just your assertion. It's a total waste of time; read Wikipedia:Verifiability.
By the way, this has nothing to do with the main topic, but the number of victims of the Tokyo, Hiroshima, and Nagasaki massacres carried out by the US military in Japan amounts to about 600,000 people. The area of this massacre site is only about half the size of Nanking.
At a time when the number of victims of this massacre was still thought to be around 200,000, the Tokyo Tribunal found that the Japanese military had killed "200,000" people in the Nanking Incident. When the truth of the Tokyo, Hiroshima, and Nagasaki massacres was revealed and it was realized that more than 300,000 people were massacred, the Nanjing Military Tribunal found that Japanese troops killed "300,000" in the Nanjing Incident.
When the truth was further revealed and the massacre of "400,000" was clarified, a textbook of a certain country stated that Japanese troops killed "400,000" in the Nanking Incident. As time passed further, when the massacre of "600,000" became clear due to radiation damage, the "400,000" theory was placed in Japanese textbooks, mainly in China and South Korea, due to interference in their internal affairs without regard to their national sovereignty.
This process is very strange.
Incidentally, the number of victims of the Tokyo, Hiroshima, and Nagasaki massacres by the U.S. military is 400,000 who died immediately and 200,000 who died from radiation damage.--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年10月30日 (月) 10:43 (UTC)[返信]
あなたは、関連性が低いことを認める、また長文の暴言を書きました。簡潔さは美徳です。
繰り返します:
  1. 日本以外にこの出来事に大きな疑問を抱いている国はあるのでしょうか?
これは「国際的な合意」については何も語っていません。ここでは何も主張していないので、説明してもらいたいのです。

ところで、本題とは全く関係がありませんが、アメリカ軍が日本国内で行った東京・広島・長崎大虐殺の犠牲者数は約60万人にも及びます。この大虐殺現場の面積は、南京の半分程度にすぎません。

Whataboutism

2について そもそも、画像が日本軍の殺害だとする出典が明示されていません。私が調べた限りでは、あの画像が南京事件のものだとする記事は存在しませんでした。

[1][2]
今旅行中なので、後でもっと見つけます。 これらすべてについて話しましょう:[3].
いずれにしても、写真を見せて、なぜ著しく懐疑的なのは日本人だけなのか説明すべきだと思います。

ちなみに、アメリカ軍による東京・広島・長崎大虐殺の犠牲者数は、即死40万人、放射線障害による死者20万人です。

Whataboutism。私もアメリカを批判します。--Toobigtokale会話2023年10月30日 (月) 13:07 (UTC)[返信]
1 私が調べた限りでは、知りません。しかし、私は専門家どころか一般人と比べてもほとんど調べていないため、これは全く参考になりません。「南京事件 否定国」でグーグル検索をかけたところ、最初の列には「否定国」の存在を示唆するタイトルのウェブページはありませんでした。
ところで、私の普通文をあなたは「暴言」だと主張しました。私は、どのような「暴言」を吐いたのでしょうか。挙げられないのであれば根拠の無い誹謗中傷ではないでしょうか。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月4日 (土) 18:00 (UTC)[返信]
Sorry, I forgot to reply. 「暴言」was my mistranslation. 「独り言」 is possibly more accurate.
ごめんなさい、返信するのを忘れていました。「暴言」は私の誤訳でした。「独り言」はおそらくより正確です。--Toobigtokale会話2023年12月3日 (日) 18:16 (UTC)[返信]
  • 「海外の~」なる主張はwikipedia編集方針には関係ありません。信頼できる情報源に明確に記述してある内容を幅広く採録するのが原則です。「幅広く」が受け入れられないのならwikipedia編集に参加するべきではないでしょう。またこの場所は日本語版wikipediaですので、日本語で議論して頂くようお願いします。機械翻訳は推奨されません。--大和屋敷会話2023年10月31日 (火) 23:08 (UTC)[返信]
    • While Wikipedia itself is not a reliable source, comparing across language versions is a useful benchmark, and is done frequently (hence why Template:Expand language exists). Here, I am using it appropriately in a talk page (not in an article) as a benchmark, purely as an example of how the Japanese Wikipedia is suspiciously unique.
    • I'm using multiple methods to verify that my ideas are being correctly translated, including by using dictionaries. While the wordings may sometimes be unusual, clearly they have thus far been sufficient for a reasonable conversation with Konnnitihaseizinnnosabu. Thus far, we have tried to provide both the English and Japanese just in case; is that still insufficient?. I am a guest on the Japanese Wikipedia, please be a more gracious host.
    Now that I have your attention, please let me ask you the same two questions:
    1. Are there any countries other than Japan that significantly doubt the event?
    2. Why are no images shown on this article, when we're clearly able to show them with an appropriate disclaimer?
    Challenge: answer the questions directly, without using the language barrier as an excuse, or nitpicking my translations instead.
    私の翻訳:
    • Wikipedia 自体は信頼できる情報源ではありませんが、言語バージョン間の比較は有用なベンチマークであり、頻繁に行われます。これがTemplate:Expand languageが存在する理由です。ここでは、日本語の Wikipedia がいかに疑わしいほどユニークであるかを説明するためだけに、ベンチマークとして (記事ではなく) ノートページで適切に使用しています。
    • 私は自分のアイデアが正しく翻訳されていることを確認するために、辞書の使用など、複数の方法を使用しています。字句は時々珍しいかもしれませんが、これまでのKonnnitihaseizinnnosabuさんとの合理的な会話には十分であることは明らかです。これまでのところ、念のため英語と日本語の両方を提供するように努めてきました。 それはまだ不十分ですか? 私は日本語版Wikipediaのゲストです。 もっと親切なホストになってください。
    あなたの注意を引いたので、同じ 2 つの質問をさせてください。
    1. 日本以外にこの出来事に大きな疑問を抱いている国はあるのでしょうか?
    2. 適切な免責事項があれば明らかに表示できるのに、なぜこの記事には画像が表示されないのでしょうか?
    チャレンジ:言葉の壁を言い訳にしたり、私の翻訳を批判したりせず、質問に直接答えてください。--Toobigtokale会話2023年11月1日 (水) 00:32 (UTC)[返信]

「海外の~」なる主張はwikipedia編集方針には関係ありません。信頼できる情報源に明確に記述してある内容を幅広く採録するのが原則です。「幅広く」が受け入れられないのならwikipedia編集に参加するべきではないでしょう。またこの場所は日本語版wikipediaですので、日本語で議論して頂くようお願いします。機械翻訳は推奨されません。--大和屋敷会話2023年11月1日 (水) 00:42 (UTC)[返信]

I actually translated the questions without using machine translation. The questions actually abide by all the guidelines you set out; I'm not asking you to refer to Wikipedia, I'm asking you in general.
実際に質問を機械翻訳を使わずに翻訳しました。実際、質問はあなたが設定したすべてのガイドラインに従っています。 私はウィキペディアを参照するように求めているのではなく、一般的に尋ねています。--Toobigtokale会話2023年11月1日 (水) 00:48 (UTC)[返信]
@大和屋敷 Reply? Why don't you comment the same thing again, that was a great strategy.
返事? もう一度同じことをコメントしないのはなぜですか、それは素晴らしい戦略でした。--Toobigtokale会話2023年11月3日 (金) 06:11 (UTC)[返信]
大和屋敷さん、貴方の知識が無く、返答出来ない時に、同じ構文を繰り返すのは、いつもの良くない癖ですよ。
何度もブロックされているのに懲りないのですか?--133.159.150.82 2023年11月3日 (金) 07:15 (UTC)[返信]
  • 意味不明な議論が続いていますが、とりあえず「殺害、略奪、強姦、放火のうちどれが断定されているか」と「「国際的」が具体的にどの機関のことなのか」だけでもはっきりさせませんか?--フューチャー会話2023年11月7日 (火) 11:09 (UTC)[返信]
  • 「私の版」というような題名ですが、ノートページの議論は記述についての結論を目指す場所であり、特定の利用者の行為についての結論を目指す場所ではありません(Wikipedia:ノートページのガイドライン#ノートページでの見出しづけ、「見出しで特定の利用者に呼びかけない」)。例えば、massacreの問題とウィキペディア日本語版の批判の問題は別途議論すべきです。個別の論点について、個別の節を別途下に立ててはいかがでしょうか。過去ログをそういった個々のキーワードで検索すれば、過去の議論も見つかると思いますので、それを踏まえて今後どうするか、というところから個別の議論を始めると生産的だと思います。 --2001:268:C200:881E:D7A:2E1B:CB5D:4C5C 2023年11月12日 (日) 02:04 (UTC)[返信]

Xefon氏の編集について

先ほどの編集では、10個ほど理由を出して差し戻しましたが、他にも問題があるので順を追って書いていきます。

>大日本帝国軍が

リンク先の表記は「日本軍」で、原典の表記が「大日本帝国軍」というわけでもないので「日本軍」で良いでしょう。

約2カ月にわたって数千から二十万人の、中華民国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵および一般市民を殺害[1][2]、略奪[2]、強姦、放火した事件

少なくとも傍線部については、出典が示されていないため断定できません。否定説以外にも期間や殺害対象者をふくめて「とされる」としていることを理解するべきです。

>この事件の呼称は「南京事件」「南京大虐殺」以外にも、様々な呼称がある(後述)。

ここでいきなり傍線部のように『「南京大虐殺」』と言われても、意味が分かりません。そもそも、後述を見れば解決する話です。

第二次世界大戦の終戦後、この事件の存在は極東国際軍事裁判(東京裁判)で認定され[5]、

おそらくもとの記述をコピーしているからこうなるのでしょうが、「第二次世界大戦」では日本の東京裁判の話はほとんどしていません。一方、「連合国軍占領下の日本」では、東京裁判条例などが載っており、『南京事件』を認定した裁判の紹介の意味もこめれば、こちらの方が適切だと考えます。

>国際的には[誰?]南京事件は事実とされている

途中で誰範囲に変更されていますが、そもそも、このような書き方だとウィキペディアが論争に参加しているよう見えるため、「〇〇は「国際的には南京事件は事実とされている」としている」など、論争の事実のみを書く必要があります。

>ほとんどの歴史学者は、日本軍によって比較的短期間に大量の中国人が殺害・強姦されたことに同意している

出典こそ示されていますが、このように書くと、論争に参加しているように見える記述です。「〇〇は「ほとんどの歴史学者は、日本軍によって比較的短期間に大量の中国人が殺害・強姦されたことに同意している」と主張する。」など、論争の事実のみを書く必要があります。

>一方、犠牲者数の推定は難しく数千人から20万人以上まで様々である[9]。

出典番号は同じなので、ニ回も示す必要はありません。そして、否定説と30万人説・40万人説が存在している以上は、出典を主語にして客観的に書くべきです。

>日本国政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」と主張している[2]。

いきなり一国の政府の主張が出てくる意味が分かりません。内部にかかれており、冒頭の出典でも何度か使用されているので、不要です。このように書かなくとも、読者は『南京事件』のページを通じて日本政府の見解を知ることができます。


>秦淮河のほとりで市民の遺体とともに映る日本兵

不思議なことに、どこにもこの写真が『南京事件』の写真だとは書かれていません。仮に『南京事件』の写真でないとすれば不要です。そして、何の出典もありません。

>1937年12月13日から6週間

開始時期・実施期間などには諸説あり、上記のように断定することはできません。そもそも、冒頭と同様、やはり出典がありません。

大量殺人、強姦、略奪、放火

相変わらず、何の出典も示されておらず、「強姦」「放火」については冒頭と同様の問題がありますが、それ以上に傍線部の「大量殺人」という表現は本文と全く一致していませんし、出典もありません。「殺害」をより絞った表現なので、なおさら出典を示す必要があると思いますが、示されていません。

>数千人から20万人以上

0人説と30万人説、40万人説は、どそして、やはり出典がありません。


このほか、事件の名称に関する出典の不当な除去やRefタグつき記述の除去の不当な除去が行われています。途中で完全削除されていますが、Refタグつき記述を「要出典範囲」とするのはもはや嫌がらせレベルです。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月7日 (火) 14:39 (UTC)[返信]


Konnnitihaseizinnnosabu さん、私の編集方針は、あなたや今まで記事を編集してきた方々とは、かなり意見が違うと思います。ただ、この記事自体が長い間偏った状態で放置されていて、学会のコンセンサスや、他言語版Wikipediaとかけ離れている状態が望ましくないという問題意識は共有して頂きたいです。

また、今回の編集は上のノートで意見を募った事項で、十分な反論が無かった部分を編集したものです。

参考:私の編集部分 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%90%BA%E5%B8%AF%E6%A9%9F%E5%99%A8%E5%B7%AE%E5%88%86/97754556...97785225

また出典付きの記述の削除は、以下のいずれかの理由です。 1. 『諸君』『正論』『Will』『Haneda』など信頼に値しない、いわゆる保守論壇の雑誌を出典とするもの。 2. 南京事件否定説を支持する著者による記述。 3. 雑多な内容(別名の出典における『赤旗』は別名として広く用いられていることを示す観点からは不適切、 歴史上の他の南京事件は上記保守論壇著者の出典のみで内容自体に特筆性がない)

①写真の出典が明示されていない。 →リンク先のWikimediaに載っています。

②歴史学者云々は冒頭ではなく内容ですべき。 →学会のコンセンサスに関する記述は必要だと思います(英語文献で申し訳ないですが)。

③0人説と30万人・40万人説が考慮されていない。 →0人説は、日本の歴史学者以外の保守論壇でのみ主張されている少数意見で、30万・40万も事実とは遠いことはここだけは納得していただけると思います。概要欄に、異説を書くべきではないです。

④突然、「南京大虐殺」以外にもといわれても意味不明。 ⑤記事名と一致していない「(南京大虐殺)」は不要。 →「南京大虐殺」は、Nanjing massacre の訳であり、他の呼称に比べて幅広く用いられているため、記載に値すると思います。

⑥「殺害、略奪、強姦、放火」の全てが認められているかというと、そうではない(放火の実否にも事件全体の肯定説と否定説をふくめて諸説ある)。 →主流の学説では認められていると思います。

⑦事件の実施期間について断定的すぎる。 ⑧攻撃手段の中の「大量殺人」の表記が本文と一致していない。 →これらは、本文には書いてないので、指摘はその通りかもしれません。ただ、事実は事実であり、本文の内容も偏っています。

⑨Infobox内に出典が全くない。 →ならは、適切な出典を載せる方向性で議論したほうが建設的だと思います。

⑩原典の表記というわけでもなく「大日本帝国軍」とする理由がない。 →この語に拘りは無いのでどちらでも構わないですが、以前の記事を踏襲しました。

⑪国際的には[誰?]南京事件は事実とされている →ここまで疑いようの無い記述も揚げ足取りされるんですか。国連の資料だけで足りないなら他の国際機関の資料も引用すれば良いでしょうか。

正直、今の編集でも、他言語版Wikipediaに比べ、かなり日本独自の意見に配慮している方だと思います……。本文が偏っているのは長い時間かけないと修正できない気がします。

--Xefon会話) 2023年11月7日 (火) 17:59 (UTC) 軽微な修正と加筆 --Xefon会話2023年11月7日 (火) 18:08 (UTC)[返信]

>出典付きの記述の削除は、以下のいずれかの理由です。 1. 『諸君』『正論』『Will』『Haneda』など信頼に値しない、いわゆる保守論壇の雑誌を出典とするもの。 2. 南京事件否定説を支持する著者による記述。 3. 雑多な内容(別名の出典における『赤旗』は別名として広く用いられていることを示す観点からは不適切、 歴史上の他の南京事件は上記保守論壇著者の出典のみで内容自体に特筆性がない)
3についてはおおむね同意できますが、1と2についてはメディアや著者など主語を明確化することで他の出典と差別化できると考えます。ただ、1と2が信頼性の低い出典となるのであれば、方向性の違う赤旗なども、別の記事では信頼できないものとなる可能性があり、日本語版ウィキペディアの大規模な修正が必要になる可能性があります。あるいは他言語版に比べて出典の信頼度が劣っていることを全体で示すことになるかも知れません。
また、『Will』は後述の歴史学者の研究結果を引用する形で否定説をとるなど、一概に信頼できないものとはいえません。
>リンク先のWikimediaに載っています。
そちらをウィキペディアに掲載してください。
>学会のコンセンサスに関する記述は必要だと思います(英語文献で申し訳ないですが)。
冒頭では「この事件の...などについては、議論が続いている(後述)」程度にとどめて、後述のところで「歴史学者の見解」的な節に飛ばすのはどうでしょうか。呼称と同じような感じです。
>0人説は、日本の歴史学者以外の保守論壇でのみ主張されている少数意見
それは間違いです。日本の歴史学者である東中野修道氏(ここではなんとなく敬称をつけていますが、記事本体でつけるつもりはありません。)が『南京事件』について研究し、否定説を代表しています(後述の学者とはこの人のことです)。
>30万・40万も事実とは遠い
事実とは遠いとされますが、日本政府の主張が出てくるのに中華人民共和国の主張(30万人)が出てこないのは非常に不自然です。日本政府の主張も削除してバランスを取るべきではないでしょうか。
>「南京大虐殺」は、Nanjing massacre の訳
よくある誤解ですが、「Nanjing massacre」の日本語訳は「南京虐殺」です。なぜか日本語では両方に訳されますが、「南京大虐殺」というと日本語使用者は基本的に30万人説以上を連想するケースがほとんどです。「Nanjing massacre」のベースは20万人説だったはずなので、随分と乖離があります。
一方、「南京虐殺」は日本語文献ではほとんど使用されていません。こういう背景から、併記に特別な意味がないと考えます。
>主流の学説では認められていると思います。
「放火」については、記述している文献を全く見かけないのですが、どこに書いているのでしょうか。また、学説に関係なく、殺害と略奪に合わせて、「強姦」と「放火」にも出典をつけるべきだと思います(以前、そういう方針で「殺害」と「略奪」に出典が追加されている。)。
ちょっと時間がないので一旦ここまで書かせていただきます。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月7日 (火) 22:08 (UTC)[返信]
0.Wikimediaに書いてあるなら十分です。他のページも同様です。
1.保守論壇の雑誌について
WP:RSの観点で採用できません。著者名を明確化しても、現状保守論壇の主張に偏っているためWP:NPOVの観点から削除が妥当でしょう。もちろん現状、これらの出典(例えば池田悠氏の記述)が真実のように書かれているのは問題です。
2:東中野氏について
あくまでも少数派ということです。適切なウェイトで書くべきです。
3.masscreは虐殺/大虐殺のどちらに訳すこともあります。
4.人数について
数千人~20万人以上という書き方で十分だと思います。日中両政府の見解のバランスを取るべきは理解できますが、なら他の部分でもバランス感覚を取るべきです。
5.放火について
下にお示ししたUNESCOの文献にはっきり書いてあります。同様の信頼できる文献は山のように見つかります。
個人攻撃を意図するわけではないのですが、Konnnitihaseizinnnosabuの編集記録のほとんどが差し戻されています。ご自身の考えが偏ってい、Wikipediaの方針の理解が薄い、かもしれないことは考えていただきたいです。--Xefon会話2023年11月8日 (水) 02:08 (UTC)[返信]
ひとまず、信頼に値しない出典に基づく記述の削除に関しては、合意は取れると思うのですが、いかがでしょうか。--Xefon会話2023年11月9日 (木) 06:08 (UTC)[返信]
私的にそこが一番合意が取れない部分ですね。
>あくまでも少数派ということです。適切なウェイトで書くべきです。
「日本の歴史学者以外の保守論壇でのみ主張されている」という部分は誤りですね。日本の歴史学者を省いた上でいわゆる『保守論壇』「だけ」で主張されているとしているのですから。
3については、日本語のイメージでは「虐殺」の方があっていると感じます。そもそも南京市の面積は、約70万人以上が犠牲になったアメリカ軍による東京・広島・長崎大虐殺(原子爆弾は投下から月日が経っても後遺症で死を増産する戦時国際法違反の非人道兵器です。)の虐殺面積の半分程度で、アメリカ軍が起こしたやり方と同じであれば、単純計算で南京市では約140万人以上が犠牲になることになります。南京事件は40万人説をとっても、実は大したことではないのです。
しかも、期間を考慮すると、南京事件は多くの説では2ヶ月もかけて実施されてことになりますが、東京・広島・長崎大虐殺はなんと3日間で済んでいます。広島や長崎での虐殺に至っては、アメリカ軍が8月6日と同月9日に広島と長崎の上空に侵入し、投下してから数時間で去っていますので、実際には1日半から2日程度が虐殺実行時間とみられます。
しかし、実は広島だけでも34万人ぐらい死んでいる東京・広島・長崎大虐殺は「大虐殺」といわれないどころか、「虐殺」とすら言われません。「南京大虐殺」はかなりバランスの悪い表現だと考えます。
4については、やはり「0~40万人」みたいなのが適切だと考えます。そもそも「20万人説」はよく聞きますが、「20万人以上説」というのはあまり聞きません。20万人を超えると主張しているものは、20万人を軸にせず、30万人や40万人といった数字を唱えています。
5については出典をつけるなら問題ないと考えます。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月9日 (木) 10:54 (UTC)[返信]


フューチャーさんへ、こちらの節で返信いたします。  「殺害、略奪、強姦、放火のうちどれが断定されているか」と「「国際的」が具体的にどの機関のことなのか」

について、どちらもUNESCOの資料[1]で解決する話だと思います。前者は全て事実で、後者は少なくともUNESCOが答えになります。一機関では足りない、日本語の出典に頼るべき、と言うなら、いくらでも同じような(現在出典にある稲田朋美氏の寄稿や、令和書籍の不合格教科書などと違って)信頼性の高い出典はあると思います。 --Xefon会話2023年11月7日 (火) 18:37 (UTC)[返信]

コメント依頼から来ました。Xefonさんは中国政府の主張を全面的に採用すべきとのお説のようでございますが、これはいささかどうでしょうか。
あなたは中国側の主張以外のものをことごとく退け、「右翼」のレッテルを貼り付けておられませんか。
あなたの重視されるユネスコの主張なるものは過去に問題になった「世界の記憶」、すなわち『南京大屠殺档案』ですよね。これは中国政府の主張以外の何物でもないでしょう。これについては長谷亮介氏の研究があります、長谷氏によれば109点の文書の内、日本の歴史学者から内容の真偽が問われたものが16点もあり、他の文書も疑問視すべき点が多いようです。
この『南京大屠殺档案』には、「南京陥落後の日本軍は、『なお抵抗の意を抱いている』中国兵の捜索を理由に、6週間にもわたる長い間に、南京城内と周辺近郊の各県において、武器放棄済の中国将兵と手元に寸鉄もない無辜な民衆に対し恣意的に虐殺していた。(中略)被害総人数は三十数万人にもなっている」と書いてございますが、ご貴殿はこれが正史であるからそれに依らないものは日本右翼だ、と言われるのでしょうか。
秦郁彦氏などが言われる日本史学の通説とあまりにも異なりすぎますから、私は『南京大屠殺档案』に従うべきではないと思います。
また「Konnnitihaseizinnnosabuの編集記録のほとんどが差し戻されています。」と討論相手を呼び捨てにされているのは頂けないですね。--常陸のクマさん会話2023年11月8日 (水) 14:21 (UTC)[返信]
補足しておきますと、『南京大屠殺档案』のはしがきでは犠牲者三十数万人とございますが、実はこれに含まれている『南京国際救済委員会文書』では犠牲者数2万となっていると長谷氏は書いており、史料内で撞着を起こしてしまっています。
また、この『南京大屠殺档案』は、歴史学者の北村稔氏が後世の加筆、改ざんを指摘している郭岐『陥都血涙録』や、中国側の宣伝マンだったハロルド・ティンパーリ『外人目睹中之日軍暴行』等、歴史学的に信憑性が疑わしい物が複数含まれております。
まあ、中国政府の公式発表ですから削らなくてもいいでしょう。敢えて残しておいて、日本の学者の説と見比べてもらっても良いかなと思いますね。--常陸のクマさん会話) 2023年11月8日 (水) 15:17 (UTC)誤字修正--常陸のクマさん会話2023年11月8日 (水) 15:18 (UTC)[返信]
「30万・40万も事実とは遠いことはここだけは納得していただけると思います」と書いているように、私は「中国政府の主張を全面的に採用すべき」とも「三十数万人が虐殺されたことが事実だ」とも言っておりません。「右翼」という単語も一度も使用しておりませんし、レッテルを貼った覚えはありません。
議論をきちんと読んでから返信していただきたいです。
何度も繰り返しますが、日本の主流の学者は、日本軍によって大量虐殺が起こったことに合意しています。
https://apjjf.org/-David-Askew/1729/article.html
呼び捨てに関しては、編集の過程で"さん"をつけ忘れた単純なミスです、申し訳ありません。--Xefon会話2023年11月9日 (木) 06:01 (UTC)[返信]
UNESCOの資料が、国際組織が承認したとはいえ、中国政府が提出したものだから問題がある、という意見は理解できます。
ただ事実はともあれ、Nanjing massacre で検索した(https://www.google.com/search?q=nanjing+massacre&hl=en)とき、検索上位で、信頼できる出典のほとんどが、30万人説を採用していることに注意したいです。
https://www.britannica.com/event/Nanjing-Massacre
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-49547357
https://sfi.usc.edu/collections/nanjing-massacre
犠牲者数の推定に関しては、先にお示ししたAskew氏の論文に加え、以下の毎日新聞の記事が良く状況をあらわしていると思います。
https://mainichi.jp/articles/20220304/k00/00m/040/434000c
「犠牲者数は不明だ。戦勝国による東京裁判では20万人以上、国民党政府が設置し、中国戦線の戦争犯罪を裁いた南京軍事法廷では30万人以上とされ、日本側研究では数万~20万人などと推計されている。」--Xefon会話2023年11月9日 (木) 07:06 (UTC)[返信]
>私は「中国政府の主張を全面的に採用すべき」とも「三十数万人が虐殺されたことが事実だ」とも言っておりません。
そうでしたか?当初から随分中国政府見解寄りのご発言をされているように思いましたが…
誤解があればそれは謝りますが、ほとんど8割から9割が中国政府の見解のように私には見えました。
また下記に述べるように中国政府に都合が悪い内容を出典つきにも関わらず消す行為は随分中国政府に有利だと思います。
WP:NPOVの問題があるのでこちらについてはそちらの方で自ら差し戻されることを希望いたします。
「深刻な論争がある主張を事実として記さない」という方針をもう一度ご確認ください。
>「右翼」という単語も一度も使用しておりませんし、レッテルを貼った覚えはありません。
いえいえ、あなたは「保守論壇」と言われているだけで、実態は同様だと思いますし、現に保守系雑誌に掲載された論文を「信頼に値しない、いわゆる保守論壇」と言って削除してしまったのは貴方以外の誰でもないですよね。論者によらずに掲載誌が信用できないから切り捨てるというのはいささか乱暴ではありませんか?
これもWP:SUBSTANTIATEに照らして問題があります。「事実に即した意見を扱った記述としてならば、記事に含めることができます。それでもなお、意見は検証可能な情報として適切に出典を提示した上で記載されなければなりません。」とあるのであって「信頼に値しない雑誌に掲載されているから削除して良い」とは書かれていないですね。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=prev&oldid=97795921
こちらの編集ではあなたは以下のように述べられていますね。
「また出典付きの記述の削除は、以下のいずれかの理由です。
1. 『諸君』『正論』『Will』『Haneda』など信頼に値しない、いわゆる保守論壇の雑誌を出典とするもの。
2. 南京事件否定説を支持する著者による記述。
3. 雑多な内容(別名の出典における『赤旗』は別名として広く用いられていることを示す観点からは不適切、 歴史上の他の南京事件は上記保守論壇著者の出典のみで内容自体に特筆性がない)」
このあなたの主張はどうみても承服できません。これについてもそちらの方で自ら差し戻されることを希望いたします。
  • 『諸君』についてですが、こちらはいわゆる総合雑誌でして、南京事件とは別件ですが岡田英弘氏による日本古代史の論文の連載もございました。この論文は日本古代史学界ではかなり重要な論文で、後に『日本史の誕生』(筑摩書房)として公刊されています。あなたのように「信頼に値しない、いわゆる保守論壇の雑誌」に掲載されたから岡田論文は学界では認めないという話は聞いたことがないです。岡田氏は国際アルタイ学会会長も歴任された世界的な歴史学者で、かの王岐山氏も評価していました。
  • 「南京事件否定説を支持する著者による記述を削除する」というのもどういうことなのでしょうか。少なくとも大学などアカデミズムに籍があった研究者による意見であれば記載すべきだと思います。
わたしは、先に述べたように『南京大屠殺档案』は全く信頼すべきではないと思いますが、削除すべきとは思いません。中国政府の公式見解だからです。これと同様に否定論者も掲載すべきではないのでしょうか。「論敵のために書く」という方針を今一度ご確認頂けますようお願い致します。
『諸君』『正論』『Will』『Haneda』が良くなく、『The Asia-Pacific Journal』『毎日新聞』が良いというのは、保守親米が悪く左派親中が良いというあなたの主観によるもので、中立性とは程遠いのではありませんか。
もっとも貴方が引用された『The Asia-Pacific Journal』は後述のように『諸君』を評価し、この雑誌の英訳の抜粋を掲載しているのだから内容は同じですが…
>何度も繰り返しますが、日本の主流の学者は、日本軍によって大量虐殺が起こったことに合意しています。
https://apjjf.org/-David-Askew/1729/article.html
はて?この『The Asia-Pacific Journal』の文章のどこにそんな事が書いてあるのでしょうか?
「日本の主流の学者は、日本軍によって大量虐殺が起こったことに合意」というのはどこでしょうか。
この文章は南京事件に関する日本の学界の三大派閥「まぼろし派」「中間派」「大虐殺派」の見解を紹介し、研究者間で相違があることを述べており、しかもそのソースはあなたが「信頼に値しない、いわゆる保守論壇の雑誌」と貶した『諸君』2001年2月号の研究者・作家アンケートのようです。この人は「まぼろし派」を批判していますが、「大虐殺派」が日本の学界の主流だとも書いていないようですよ。中道派寄りのようですね。中道派は捕虜の殺害(これはいわゆる幕府山事件ですね)と民衆への小規模な暴行などを認めていますが、大規模な民衆虐殺までは認めていないはずですが。
またこの文章は『諸君』2001年2月号の研究者・作家アンケートをかなり高く評価しておりますね。--常陸のクマさん会話2023年11月9日 (木) 12:25 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼からです。正直論点がわかりづらいので一般論的な話ではあるのですが、基本的に何「派」であろうと論壇誌やマスコミ記事の記述を主たる出典にすべきではないと思います。論争の激しい分野であるならなおのこと、専門的な書籍から注意深く記述を拾うべきですし、大枠の構成はなるべくその分野の概説書や大学レベルの教科書などの記述から逸脱すべきでもないです。本記事について言えばまず歴史学、部分的な話については法学や社会学の専門書による記述にそってその分野の一般的な説明をするよう記事を再構成するべきだろうと思います。『諸君』『正論』『赤旗』などが歴史学分野で権威ある存在として扱われることはまず無いですし、Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイスの記述に照らしても、Wikipediaのガイドライン上は特殊な理由がない限り信頼できる出典としては取り扱えないであろうと思います。同様の理由から『毎日新聞』なども基本的にWikipediaの歴史分野の出典として不適であると思います。
  • 直近の編集については、少なくとも日本の近代史の学術的な論文・書籍においては犠牲者の人数や性質、中国側の関与の度合いについての議論はあれど、0人説や虐殺の否定は相当特殊な見解です。秦郁彦『南京事件』(中公新書 2015 ※増補版、初版1986)でも笠原十九司(岩波新書 1997)のような一般向けの概説書でも日中戦争の概説書でもこの種の見解が大きく取り上げられることはありませんし、これを「否定説以外にも期間や殺害対象者をふくめて『とされる』としている」として他の数字の議論とまとめてしまうのは重みづけにはっきりと問題があるように思います。これはWikipediaの編集者個人がどう考えるか・評価するかとは別の話です。記事の編集とそれを巡る議論全体について、Wikipedia:信頼できる情報源の「特別な主張には特別な証拠が求められる」「歴史・基本的な考え方」「中立的な観点との兼ね合い」といった事項にもっと注意が払われるべきだろうと思います。--TEN会話2023年11月9日 (木) 14:00 (UTC)[返信]
    TENさん、ご意見ありがとうございます。確かにおっしゃるとおりだと思いました。
    私も色々書きましたが、マスコミ関係の記載は全て主としてはいけないでしょうね。色々考えましたが、右左日本海外問わず、マスコミ由来は一旦すべて不信頼とみなして除去というのも一つの方法かもしれませんね。
    正直マスコミ個々の信憑性を論じ始めると泥沼になってしまいそうです。
    同様に日中両国の政府見解も従にしたほうが良いように思いますがいかがでしょうか。これらも色々見ましたが、どうも両国政府とも政治的な思惑で話しているようで学問的には正直どうなんだろうという見解しか出していないように思います。
    • 秦郁彦『南京事件』(中公新書 2015 ※増補版、初版1986)
    • 北村稔『南京事件の探究』(文春新書 2001)
    と、笠原氏の岩波新書くらいを基礎として書き直すでも良いかもしれません。--常陸のクマさん会話2023年11月9日 (木) 14:51 (UTC)[返信]
  • コメント コメントありがとうございます。Wikipediaの歴史記事におけるマスコミの有効活用というのも道はあるのかもしれないとも思いますが、本記事は正直品質面で大きな問題があり、記事の改善という面ではそういった特殊な努力よりは返信いただいた通り、まず専門的な出典だけをベースにしたものに書き直す方が有意義だと思います。
  • 政府見解の類も従というか、少なくとも重要なものとして扱わない方が良い感じはします。「〇〇政府は××としている」という文章から、これは信用できないものだ、という暗に秘めたニュアンスを排除するのはかなり困難でしょうし、「Aは100としている、Bは200としている」といった両論併記的な記述はそれぞれの見解の背景を捨象して「真実は間をとったあたりだろう」という連想を誘導してしまうことを避けがたいため、文脈上必要なければ言及する必要もないだろうとも思います。
  • 実際のところ本記事は、本日時点の版で見る限り、個別の出典の信用度がどうこうという問題よりも全体の構成の方の問題の方がより大きいと思います。§南京戦の概要では中国軍の行動による南京からの住民の脱出阻害や施設の破壊、同士討ちなどの過程を描く一方で日本軍の行動や内部事情についての記載がほとんどないまま§南京市の概況で人口について特筆し(これは被害者数に対して人口が少ないのはおかしいという、一般的に南京事件の被害規模を小さく見積もる見解において重視される要素です)、続く§犠牲者では冒頭の概略で「東京裁判ではその犯罪性が厳しく追及されたものの、その被害実数や違法性ばかりか事件そのものの有無についても、問題となっている。 」と始めるなど、言外に特定の結論に誘導するようになっていて、これを修正しない限りTemplateが貼られている中立的な観点の問題は解決しないと思います。
  • 少なくとも専門家による概説書や大学教科書、あるいは総合史的な記述で南京における日本軍による虐殺に否定的な見解を第一に取るものは普通無いと言って良いと思われます(言及しないパターンはありますけども)。Wikipediaの方針的には、記事編集者個々人の意見とは関係なくこの立ち位置に沿って記事の大枠を組み立てなければならないと思います。ここに論壇誌やマスコミ記事から様々な情報が付加されるのは実質的にWikipedia記事自体が論争の場として使用されるのと大差なく、弊害ばかり大きいです(「攻めた」説を新たに提唱しているような学者の論文やインタビュー、政府発表の類も恐らく同様)。論壇誌やマスコミ・政府での議論についても、例えば秦氏も笠原氏も「南京事件論争史」を取り扱った概説書を出していますし、記述するならこうした出典に沿って重みづけをし、体系的に記述するよう改める必要があるのではないかと思います。--TEN会話2023年11月10日 (金) 12:26 (UTC)[返信]
    >「Aは100としている、Bは200としている」といった両論併記的な記述はそれぞれの見解の背景を捨象して「真実は間をとったあたりだろう」という連想を誘導してしまうことを避けがたい
    「Aは〇〇だとして100としている、Bは〇〇として200としている」とすれば問題ないでは。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月10日 (金) 13:56 (UTC)[返信]
    >日本軍の行動や内部事情についての記載がほとんどない
    資料焼却されているので、まともな出典が無いから書けないのでは。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月10日 (金) 13:57 (UTC)[返信]
    公式に記録されたり発表されたりしていない部分については、私的な日記など複数の資料を元に総合して研究が進められていると思います(仮に公的な記録が残っていたとしても、複数の資料で裏取りをすることは一般的です)。また、ある種の記録について、「記録が残っていない」「記録が焼却されたと思われる」と専門家が述べている場合も、その見解自体を記載することができると思います。 --2001:268:C200:881E:D7A:2E1B:CB5D:4C5C 2023年11月11日 (土) 12:38 (UTC)[返信]
    人口についてはこのノートでも過去に議論されています。2021年の議論などがありました。 --2001:268:C200:881E:D7A:2E1B:CB5D:4C5C 2023年11月11日 (土) 12:38 (UTC)[返信]
  • 返信 コメントありがとうございます。主にKonnnitihaseizinnnosabuさんへの返信になります。
  • >日本軍の行動や内部事情についての記載がほとんどない:これについては、§南京戦の概要における主要参考文献となっている臼井 2008のpp. 81-86に日本軍の動向や、兵站の現地調達を基軸とした日本軍による略奪・暴行への言及、中支那方面軍の任務の政略的意図への言及があります。つまり、Wikipediaの現在の記述が中国軍の行動ばかりに言及しているのは日本軍について「まともな出典が無いから書けな」かったからではなく、中国軍側の行動による被害に関連する部分がWikipedia記事の執筆者によって出典の中から選択的に抽出して書かれた結果です。また、同書の中国軍の防衛作戦における民間人保護意識の低さへの言及はp. 85で「中国人兵士および南京市民の悲劇は日本軍南京入場前に始まり、そしてさらに陰惨な悲劇が日本軍入場後待ち受けていた」と書いてあることからもわかる通り、日本軍の進撃と兵站の現地調達・中国軍の防衛作戦と民間人保護観点の欠如・日本軍の南京入場後の集団的殺害と暴行・諸外国の反応、という一連の流れの中の説明です。この中から「中国軍の防衛作戦と民間人保護観点の欠如」の部分のみを抽出して概略とし、「§中国軍による破壊行為・殺害」に連続させて話を膨らませ、「§南京市の概況」で人口に関する不審点へと話題を繋げているのが現在のこの記事の構成なのですが、出典の文脈を無視した引用によってWikipedia記事執筆者自体の持つ意見に誘導するような記述の仕方になっており、Wikipediaの方針・ガイドライン上、全く適切ではない状態だと思います。こういう出典の用い方や記述の仕方がまかり通ってしまっているところにこの記事の「中立性」の問題があると思います(これは南京事件がでっちあげかどうかといった「真実」がどこにあるかとは、Wikipedia的に関係のない話でもあります)。
  • 両論併記については「Aは〇〇だとして100としている、Bは〇〇として200としている」としても基本的に変わらないのではないかと思います。両論併記はその両論が並べるに値する重要性を共に持っているかどうかと言うところが重要で、一方の見解が重要なものであり他方が重要ではなかったような場合にも、その中間あたりに真実味を感じさせるような文章になりがちであるという点が問題です。基本的に論争のある話題における両論併記というのはそれほど中立的な記述法ではないと思うので、本当に必要性があるような場合でなければできるだけ避けるべきで、どうしても併記する場合には文章にはかなり気を使わなければならないのではないかと思います--TEN会話2023年11月11日 (土) 13:25 (UTC)[返信]
    両論併記についてですが、普通は出典を見て判断するはずなので、根拠と結論さえかけば、あとは出典の信頼度などを自身で総合的に判断して利用されるものと信じています。そう利用されないのであれば、少なくともそう利用されるよう誘導する必要があると思います。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月11日 (土) 15:32 (UTC)[返信]
  • 返信 まさに「根拠と結論さえかけば、あとは出典の信頼度などを自身で総合的に判断して利用される」のが両論併記の問題だと思います。学術的な妥当性に関係なく複数の論説を複数並べて「自らの頭で考えて判断すべし」という記述スタイルは、実質的には演説・宣伝として機能するものでWikipediaの性質上好ましいものではありません。読者自らが考えて自分なりの結論を出すことを促す目的での両論併記は、記事主題について一般的な解説をすることではなく記事主題に関わる問題提起を主たる目的とした文章と言えます。両論併記を通じて論壇誌やマスコミ、あるいは『赤旗』といった機関紙の議論にリンクするのは、Wikipedia本文の説明の根拠として出典が提示されているのではなく、「ある説」を読者に紹介するものであり実際のところ出典として機能していないです。意識的であるないに関わらず、こうした両論併記の仕方は避けなければならないと思います。故に、「根拠と結論さえかけば、あとは出典の信頼度などを自身で総合的に判断して利用される」ではなく「主題Aについては学術的にはこのように評価するのが一般的である」という説明をする必要があり、「このような異論もある」という説明を付加する時には、それが通説ではないことを明記し、またそれが紹介するに値する異説であることは出典Bによって担保されるという形でなければならないです。「主題1についてAはXXだとして〇〇としている、BはXXはYYとして××としている」という両論併記は、「主題1についてAはXXといっているが、Bによる検討によればこれはおかしくYYという根拠から主題1は××である」という文章の変形であり、外形上Wikipediaの体裁に合わせられただけの外部の文書を使った論争であるように見えます。従って、南京事件の記事について言えば、人口や史料など様々な論点について両論併記がむやみに行われるのは適切ではなく、まず一般的な通説に沿って全体を解説する形に整理しないと延々と枝葉末節について議論が続くのではないでしょうか。前に書いた通り、実質的にWikipedia記事自体が論争の場として使用されてしまっていることが、延々と議論が収束しない大きな原因の1つだと思います。--TEN会話) 2023年11月12日 (日) 09:21 (UTC)--TEN会話2023年11月12日 (日) 09:24 (UTC)[返信]
  • 「Xefon氏の編集について」という題名ですが、ノートページの議論は記述についての結論を目指す場所であり、特定の利用者の行為についての結論を目指す場所ではありません(Wikipedia:ノートページのガイドライン#ノートページでの見出しづけ、「見出しで特定の利用者に呼びかけない」)。例えば、写真の問題と人口の問題は別途議論すべきです。個別の論点について、個別の節を別途下に立ててはいかがでしょうか。過去ログをそういった個々のキーワードで検索すれば、過去の議論も見つかると思いますので、それを踏まえて今後どうするか、というところから個別の議論を始めると生産的だと思います。現状ではこのセクションは論点が多すぎて議論が収束しないように思われます。 --2001:268:C200:881E:D7A:2E1B:CB5D:4C5C 2023年11月12日 (日) 02:05 (UTC)[返信]
  • 返信 コメント依頼自体の論点がきちんと把握できていないのですが、個人的にはXefonさんの編集というよりは記事全体を一度書き直すか、一旦大部分を削除することについて議論した方が良いような気がします。--TEN会話2023年11月12日 (日) 09:47 (UTC)[返信]
  • コメント 過去の議論を少し読んでみましたが、個人的に少なくとも2023年11月9日 (木) 06:08 (UTC)のXefonさんのコメントは概ね適切であるように感じられ、特殊な出典からの記述は除去する方向で考えた方が良いと思いますがいかがでしょうか。仮にそういう出典に言及するにしても、まず笠原十九司『南京事件』や秦郁彦『南京事件―「虐殺」の構造』といった一般的な概説書の枠組みにそった大枠の説明を中心に据えた上で記述を改めないとならないと思います。また、§南京戦の概要における 臼井勝美『新版 日中戦争〈中公新書 1532〉』を出典とした文章は既に書いた通り、出典の文脈を全く無視していてこの節全体が不適切ですし、そもそも論的に「南京事件」の記事で中国軍による被害ばかりにスポットライトが当たった構成は異様に映ります。また、冒頭の導入部も、議論がある、論争が続いているといった記述を連続させるのではなくて、端的な事件の概要についての説明にすべきと思います。既に出典・参考文献に挙げられている原剛「南京虐殺事件」『世界戦争犯罪事典』でも、『世界歴史大系 中国史5』のような概説書でも南京事件について一般的な説明でこのような言及の仕方をすることはなく、Wikipediaの説明が著しく特殊に思われます。--TEN会話2023年11月14日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
  • すみません、ちょっと脱線気味の話を続けてしまっていますが、それはそれとしてこの記事は大部分の修正が必要だと思います。とりあえずですが、問題が明らかと思われるので「§歴史上の『南京大虐殺』」で千年以上前から南京で発生した騒乱を列挙している節を除去しました。この削除についても異論があるかどうかは確認したいですが、笠原十九司『南京事件』、秦郁彦『南京事件』、原剛「南京虐殺事件」『世界戦争犯罪事典』、臼井勝美『新版 日中戦争〈中公新書 1532〉』当たりの記述を中心に全体的に書き直してはどうかと思うのですが、いかがでしょうか。既に参考文献としてあげられていますし、笠原氏や秦氏の著作は南京事件に言及する際、大抵は触れられていて一般的な見解として適切なように思われます。--TEN会話2023年11月15日 (水) 15:27 (UTC)[返信]
会話が止まってしまった。 引き続きご回答ください。--Toobigtokale会話2023年11月26日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
  • コメント 直近の編集に関連して、とりあえず出典の追加を行いましたが正直なところ単語レベルで出典がどうこうよりは(概要のまとめが無秩序な出典の寄せ集めなのもあまり適切ではない気はしています)上に書いた通り、全体的な見直しが必要であると思いますので、特にコメント無ければ、とりあえず前半部分からちょっと大きく変更してみようかと思います。--TEN会話2023年11月27日 (月) 23:32 (UTC)[返信]
    南京事件について中立・公正な立場からまとめたものがない以上は(大抵、歴史学者も普通に主張する否定説を無視)、他の記事と同じようなまとめ方は不可能だと思います。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月2日 (土) 12:33 (UTC)[返信]
    横から失礼。TENさんもすでにおっしゃっていますが、Konnnitihaseizinnnosabuさんのご意見はいささかご性急と存じます。
    >南京事件について中立・公正な立場からまとめたものがない以上は
    それはいささか性急かと存じます。日本側にも依らず、中国側主張にも依らざるものとしていわゆる「中間派」の秦郁彦氏『南京事件』、北村稔氏『南京事件の探究』などが思いつくのですがね。
    >大抵、歴史学者も普通に主張する否定説を無視
    それはどなたなんでしょうか。私の管見の限り、歴史学者で全否定側に立つ人がいましたかね。中国側の30万人説に反対している人を全部否定説にするのはちょっと違うんじゃないでしょうか。--常陸のクマさん会話2023年12月2日 (土) 14:52 (UTC)[返信]
    東中野修道氏などは歴史学者であり、南京事件否定論を代表しています。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月3日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
    そうでしたか、いらっしゃいましたか。それは不明を恥じて謝罪します。申し訳ない。--常陸のクマさん会話2023年12月3日 (日) 04:24 (UTC)[返信]
  • 返信 南京事件がまず歴史分野の記事である以上、歴史学者が大抵は否定説を無視しているということは、Wikipedia:中立的な観点(§適当な重み付け 等を参照ください)という方針に照らして、否定説について同様の立ち位置に基づいて記述するべきことを意味しています。「中立・公正な立場」というのが何を意味するのか明確ではないですが、Wikipedia内においては信頼できる情報源に記載されている一般的な見解に従うのが中立性において重要です。これは原則的な話であり、また重要な記事というのは存在しても特別な記事というのは存在しないはずで、南京事件の記事について他の記事と違うまとめ方をすべき理由は存在しないと思います。--TEN会話2023年12月2日 (土) 14:46 (UTC)[返信]
  • コメント 追加で直近の編集について。まず既に述べた通り、マスメディアの記事を寄せ集めて歴史記事を構成するのは適切ではなく、産経新聞を主たる出典とした記述を追記すべきではないと思います。また全体の構成の問題の話と同じなのですが、一般に南京事件を解説する際に重要事項として東京裁判や南京法廷の立証過程の問題点や「虐殺」の存否、犠牲者数をめぐる論争にスポットライトをあてた冒頭分の構成も日本語版Wikipediaに特異なものとなっており、適切ではないです。「論争」や「議論」にスポットライトを当てるのではなく「南京事件」という記事主題が第一に解説される必要があります。--TEN会話2023年12月2日 (土) 15:30 (UTC)[返信]
    論争自体が南京事件の一部であることは、例えば1927年の南京事件(または南京大暴虐や南京大虐殺とも。)や、1913年の南京事件(または南京大虐殺や南京大虐殺事件とも。)、1937年の通州大虐殺などと比較しても明らかです。この点は、否定説よりも肯定見解の人の方が認めている傾向にあります。
    また、現在の概要で「産経新聞を主たる出典とした記述」など存在しません。個別の事件を除き、「南京事件」総体としての初出が東京裁判であることを踏まえれば、南京事件に関する東京裁判の記述が行われるのは当然です。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月3日 (日) 04:21 (UTC)[返信]
  • コメント 論争自体が南京事件の一部というのは具体的にどのような出典による見解でしょうか。歴史上の様々な出来事には議論や論争がついてまわりますが、ある出来事と論争は普通弁別可能ですし一体化して扱われることはあまりありません。これはホロコーストとそれを巡る論争(例えばドイツにおける「歴史家論争」やホロコースト否定論など)や、広島・長崎への原爆投下とその道義的・軍事的有用性を巡る議論(例えばアメリカにおける修正主義派の論争)が関連事項であっても、ホロコーストや原爆投下という歴史的事象の一部ではないことと同じです。東京裁判における事後法的な運用の正当性の問題と、実際に発生した虐殺事件というのは関連事項であっても同一ではないです。また、重要な関連事項としてこうした論争・議論に言及する際には重みづけをきちんとしなければなりません。
  • なお、単に差し戻しによって消えているだけで、Konnnitihaseizinnnosabuさんが概要に追加した出典は産経新聞のものです。これは定義分の冒頭の論拠を学術書ではなくマスコミの報道に依っている形にする編集であり適切ではないです。加えて、現状の冒頭部で問題なのは「南京事件に関する東京裁判の記述が行われる」ことではなくて、「この東京裁判では、南京事件を抑えることができなかったとして当時の国際慣習法では責任を問われなかった上官の部下の行為に対する責任(不作為責任)で有罪とされた被告もおり、それらの是非をめぐる議論が続いている」として「南京事件に関する東京裁判の正当性を巡る議論・論争」の方に説明が誘導されていることです。これは南京事件自体ではありませんし、既に述べたことと同じですが、一般的な概説書や事典類で南京事件について説明する際、まず「事件」について何が起こったかをまとめるのが普通です。同じ指摘の繰り返しなのですが、こういう形で論争の場、問題提起の場としてWikipedia記事が使用されているのが大きな問題だと思います。--TEN会話2023年12月3日 (日) 05:21 (UTC)[返信]
    まず、概要の「東京裁判で...認定された事件」とする編集については、産経新聞が出典の主体ではありません。https://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-8.htmlが基本的な出典です。そもそも、産経の方では現行の記述を満たすのには記述がやや不十分です。
    また、「この東京裁判では、南京事件を抑えることができなかったとして当時の国際慣習法では責任を問われなかった上官の部下の行為に対する責任(不作為責任)で有罪とされた被告もおり、それらの是非をめぐる議論が続いている」は、「南京事件に関する東京裁判の正当性を巡る議論・論争」に誘導するものではありません。単に南京事件の一貫として、有罪とされた者を紹介し、それらに対するさまざまな考え方を明示しているだけです。論争を事実として掲載することは、論争に誘導することではありません。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月3日 (日) 06:09 (UTC)[返信]
    既に「殺害」や「放火」など、事件の説明はしています。その上で論争を簡略に紹介している以上、現在の記述は何の問題もありません。
    一段目と二段目で出典が違うのも、また、当然のことです。南京事件の内容の一部→南京事件の呼称→南京事件はどこで出てきたか→南京事件をめぐる論争→南京事件の注意点と、少なくとも5段構成にはなっているはずです。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月3日 (日) 06:11 (UTC)[返信]
  • 返信 「南京事件の内容の一部→南京事件の呼称→南京事件はどこで出てきたか→南京事件をめぐる論争→南京事件の注意点」このような文脈はどのような出典によって担保されているのでしょうか。これが「南京事件」の要約の仕方として一般的な説明であることが信頼できる情報源によって担保されている必要があります(そして確認する限り事典類や概説書ではこういう説明の仕方はしていません)。しかもKonnnitihaseizinnnosabuさんによる冒頭分の要約はまさに、「南京事件」の説明から徐々に「論争」の方に話がスライドしていることを明らかにしており記事主題とも合致していないです。
  • また、流されてしまっていますが、本記事が「他の記事と同じようなまとめ方は不可能」という点について再度確認させてください。基本的にWikipediaの方針・ガイドラインはあらゆる記事に適用されるものであり、特定の記事について他の記事と異なる方針・ガイドラインの取り扱いをしている例を私は知りません。使用可能な出典も膨大な分野であり、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史にあるような出典の確認に問題があるとは思えません。特殊な取り扱いをすべき理由を明確にしていただきたいです。個人的にこれはかなり無理筋であると思っています。
  • マスコミの記事についても再度確認ですが、産経新聞では記述がやや不十分というような話ではなく、通常歴史分野の記事の出典としてマスコミ記事が適切ではないという話です。加えて、Wikipedia:信頼できる情報源を見ていただきたいですが、現在も残存している冒頭部の産経新聞を出典とした文章にもう一つ付加されている出典は東京裁判の判決文の英訳であると思われ、Wikipedia上は一次資料として取り扱われる性質の出典です。「一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです」とある通り、産経新聞だけでは不十分だとして、それを補遺する出典が東京裁判の判決文であるなら、これ自体も適切な出典に切り替えた方が良いかと思います(これは『戦争犯罪事典』に概ね適当な情報があります)。--TEN会話2023年12月3日 (日) 11:04 (UTC)[返信]
    勘違いされているようですが、Wikipediaの概要は、そのほとんどが記事自体の概要のはずです。その構成に対して出典は必要ないと思います。
    「他の記事と同じようなまとめ方は不可能」というのは、他の記事のように記事自体から論争などを削除し、概要にも載せないという意味です。他の記事では論争が存在しない場合も多いので、別にルールを捻じ曲げる必要があるとは言っていません。それに、信頼できる情報源自体「あくまで目安に過ぎません」と言っています。
    「マスコミ」の記事については、そうかも知れませんが、明らかに確定している事実なので、そこは柔軟に行くべきでしょう。ルールの目的(誤った情報を載せない、研究を事実として載せない等)を踏まえれば、現在の記述でも妥当といえます。
    ただ、他に二次出典があるのでしたら、その方が好ましいので、そちらも追加します。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月6日 (水) 17:58 (UTC)[返信]
  • 返信 概要の構成に対して出典が必要ないということでしたら、本文に記述のある強姦・放火を述べることについて「出典のない記述は除去されても文句は言えません」としていたのはどういう理由なのでしょうか。それはともかく、概要に限らず記事内の文脈の組み立て・構成には出典が必要です。これはWikipedia:独自研究は載せないを参照ください。一次・二次資料についても一次資料と二次資料をご確認いただきたいです。二次出典があるのなら好ましいのではなく原則論として一次資料のみに依った記述はすべきでないと理解しています。
  • また、論争を記述するなら記事主題から話が論争自体にずれないように記述の仕方を調整する必要があります。「南京事件」の記事なのに概要の半分以上が「論争」の説明である点は明らかにバランスがおかしいですし、不作為責任や南京裁判における反証提出の問題など、南京事件ではなく軍事法廷の法的問題に注意を向けることを主眼を置いた概要になっており、論争を記述しているというよりは、論争に参加している状態になっています。論争にどのように言及するかというのは執筆者が独自に判断するべきではないですし、確定した事実であるかどうかではなく学術的にその点が重要視されているかどうかの方を出典で保証する必要があります。
  • 「他の記事と同じようなまとめ方は不可能」について、論争を概要に載せるべきではないとは思いません。しかし、上に書いた通り、概要の説明の大部分が論争の説明になっている点は是正すべきと思います。加えて、「信頼できる情報源自体『あくまで目安に過ぎません』」という点や論争のある主題についてはWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けを参照ください。「ウィキペディアの狙いは、競合する意見を、その話題に関して信頼できる情報源における表現に応じて提示することです。これは、記事本文のみならず、画像、ウィキリンク、外部リンク、カテゴリ、およびその他のすべての情報にも同様に適用されます」とある通りです。Wikipedia:信頼できる情報源の「目安に過ぎない」という記述は、ある出典が学術的であるかどうかを判断する際、周辺の事情を柔軟にくみ取って判断すべしという話であり、目安だから気にしなくて良いということではないです。これらは「他の記事と同じように」処理するべきと思います。
  • 概要に必ずしも出典が必要無いという点は個人的にはそうだと思いますが、既に以前コメントしたように本記事は全体の構成自体に問題があり、日本語版Wikipediaでしか見られないような構成になっています。私としては取り分け一般的に言及される概説書(笠原『南京事件』、秦『南京事件』)や事典類などの高次出典(『戦争犯罪事典』)の記述を骨格に全体を書き直した方が良いと思うのですがいかがでしょうか。加えて、「信頼できる情報源」に合致する出典が多数得られる記事であることを鑑みれば、マスコミ記事や政党の機関紙、判決文のような出典から記述を調達する必要性も乏しく、これらに言及する場合には言及の仕方自体も二次出典に従った形にするのが良いと思います。--TEN会話) 2023年12月6日 (水) 23:47 (UTC) (修正)--TEN会話2023年12月7日 (木) 10:30 (UTC)[返信]
  •  追記 ちょっと長くなるのですが、直近の編集と、本記事における出典の使い方の問題に関連して「日本軍が中華民国の南京市を占領した際、約2カ月にわたって多数の中華民国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵および一般市民を殺害[1]、強姦[1][2]、放火[2]したとされる事件」という記述について、本記事の編集履歴と該当部分の出典となっている重村達郎「南京事件」『現代アジア事典』の記述を確認してみました。
  • まずこの冒頭の文章の大枠は2004年の段階では既に出来上がっており、これが現在の版でも残存しているものでかなり古くからこの記述です。2004年4月の編集で「とされる」が追加され、途中消されたり追加されたりしながら今日に至っています。その意味では非常に中長期的でゆっくりとした編集合戦が行われている記述だとも言えます。この部位に出典として重村達郎「南京事件」『現代アジア事典』が付与されたのは2020年5月22日の編集で、要約欄の記述から、「とされる」という表現が独自研究になると懸念されたことから同様の表現をしている同書が出典として追加されたことがわかります。確かに同書には「旧日本軍が当時の中華民国の首都南京を攻撃・占領した最、多数の中国兵、および一般市民に対し、不法に暴行・虐殺・強姦・略奪・放火したとされる事件(強調は引用者)」とあり、非常に類似した表現になっています。つまり、この冒頭における『現代アジア事典』は本質的に内容ではなく「とされる」という表現を保障するために追加された出典であることがわかります。はっきり言ってこれは記事内容の参照元・信頼性を明らかにするべき出典の扱い方としてあまり適切ではないと思います。
  • またKonnnitihaseizinnnosabuさんは「強姦」「放火」に出典が無いことを問題視されていましたが、実際のところ2020年5月22日の編集を見れば元々記載されていた『現代アジア事典』に基づいて追加された記述であり、出典は私が追加する前に最初から存在していたことがわかります。なぜそれがわからなくなってしまった(無出典に見えた)かというと、冒頭文に文脈を無視してツギハギ状に出典が追加された結果、各出典が文の出典なのか単語の出典なのかが判別不能な状態になっているためであることは明らかです。この「南京事件」の記事における出典の扱い方の問題はここからも明確に認識すべきところで、無秩序にレイヤーの違う出典を合成して文脈を作り上げるのを避けるべき理由の一つはこの点にあります。
  • なお、『現代アジア事典』の「南京事件」の項目を記述した重村達郎氏は検索する限り弁護士の重村達郎氏ではないかと思われます(「重村達郎」という氏名に結びついた歴史学的な業績が見えません)。同氏が「不法に暴行・虐殺・強姦・略奪・放火したとされる」という伝聞調の表現を用いたのは、専門外の分野のため断定調に書くことを憚った結果であろうと思われ、これがKonnnitihaseizinnnosabuさんが言うような事実を表すのに適切な表現だからではないと感じます。実際、同書ではその後の文で「軍の組織的な命令による兵士や市民に対する虐殺があったことについては(中略、各種証言や目撃情報によって)確認されている」と記述されており、断定調になっています。
  • これらの点からも「南京事件」の記事における出典について、適切な使用を意識した修正・再作成が必要だと考える次第です。--TEN会話2023年12月7日 (木) 15:44 (UTC)[返信]
    2004年4月の編集で「とされる」が追加され、途中消されたり追加されたりしながら今日に至っています。その意味では非常に中長期的でゆっくりとした編集合戦が行われている記述だとも言えます。
    大抵の動向は教科書と一致しているので、何が起きるのか不安になります。令和3年版では「南京大虐殺」と位置付けるのは東京書籍1社だけとなり、平成28年版(前回)からですが「事件」や組織的行為と位置づけない出版社や事件自体を書かない出版社も出たのに、どうなるのでしょうか。
    また、「多数の中華民国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵および一般市民」等の被害者についても詳細を書く教科書は、平成8年版のほぼ全社から平成28年版からは8社中4社に減少し、帝国書院については「兵士だけでなく民間人も殺害されました」と組織的行為とは読めますが、「殺害、強姦、放火」に代表される市民虐殺とは到底読めないものとなっています。
    今年は検定年度ですが、東京裁判での認定を基本とし、事件の人数に関する学説、事件当時の人口と人口増加の点、便衣兵の存在等の疑問を書いた(ほぼ事件は存在しないように読める。しかもコラムではなく普通に本文。)令和書籍が合格すれば、他社が大虐殺方向に変わらない限り、日本政府の立場も変わりそうです。
    既に「従軍慰安婦」が全社の教科書に掲載される前の河野談話などのように、根拠となる資料は外務省内に存在しない、政府内の根拠資料には組織的殺害でないと読み取れることが明らかになっているので、仮にこの流れにストップをかけるレベルの記述というのは東京書籍・帝国書院・日本文教出版・教育出版・山川出版・育鵬社が学び舎化+「南京大虐殺」表記をするぐらいしか想像が付きません。
    Wikipediaの動向が教科書史と大きくずれるのは奇妙なので、教科書が20・30年前に戻るような気がして夜も眠れません。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月8日 (金) 13:41 (UTC)[返信]
>概要の構成に対して出典が必要ないということでしたら、本文に記述のある強姦・放火を述べることについて「出典のない記述は除去されても文句は言えません」としていたのはどういう理由なのでしょうか。
「出典のない記述は除去されても文句は言えません」については、撤回させていただきます。
>二次出典があるのなら好ましいのではなく原則論として一次資料のみに依った記述はすべきでないと理解しています。
原理主義者であれば、そうなるのは分かりますが、東京裁判での認定は教科書など、いろいろなところで書かれている事実ですし、そこはもう少し柔軟いかないと困ります。
>(略)とされる関係
そもそも、書籍の出典に引用が付いていないのがおかしいんですよ。引用を付けるだけで全て解決です。
>同書ではその後の文で「軍の組織的な命令による兵士や市民に対する虐殺があったことについては(中略、各種証言や目撃情報によって)確認されている」と記述されており、断定調になっています。
「確認されている」は自身が事実であることを認める断定表現ではないでしょう。実際に「〇〇は南京事件について〇〇と認定した」を「南京事件が〇〇であることは〇〇によって確認されている」としても、やや自身も認めているようにも聞こえますが、基本的には何も変わりません。
>これらの点からも「南京事件」の記事における出典について、適切な使用を意識した修正・再作成が必要だと考える次第です。
出典の付ける位置や引用の問題あるいは一次出典をめぐる問題については修正する方が良いでしょうが、それ以外は基本的に現在のままでも妥当な記述です。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月8日 (金) 13:10 (UTC)[返信]
>「信頼できる情報源」に合致する出典が多数得られる記事である
あなたの言う「信頼できる情報源」では、全く多数を得られることはないでしょう。いわゆる「保守」派が南京事件を否定しているというと少数派に聞こえますが、日本語使用者の大半はいわゆる「保守」派です。
日本語使用者の過半数を占めるいわゆる「保守」派以外にも、1970年代の教科書執筆者や現在の教育出版の執筆者など、「平服で銃撃する者が居たから殺害した」や「混乱の中で殺害した」=組織的ではないと考える者も多くいます。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月8日 (金) 13:13 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 文意をちゃんと取れているのかわからないのですが返信です

  • 教科書について:まず、Wikipediaの動向と教科書史(日本の教科書検定)は関係がありません。「教科書が20・30年前に戻るような気がして」というのはウィキペディアは何ではないかも参照ください。
  • 一次資料の取り扱いについて:方針に明記されていることを「柔軟に」扱うには理由が必要です。言及の仕方が通常の出典にないものならなおさらです。Wikipedia:独自研究は載せないにある通り「一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません」。東京裁判の判決文から得られる情報を二次資料の言及無く「南京事件」にとって如何なる意味を持つものかを定義することは許容されないです。また仮にこのような「柔軟性」を発揮するのだとすれば、それはZefonさんの編集で使用されているUNESCOの資料にも同等に発揮されなければおかしく、改めてこの編集を復帰させることも考慮するべきかと思います。
  • 『現代アジア事典』について:上に述べた通り、そもそも冒頭のこの文章は元来引用ではなく、この記事に一切出典などなかった時代に形作られた表現に後から類似した表現を持つ書籍が出典として追加されたものです。引用をつければ全て解決とはなりません。「捕虜、敗残兵、便衣兵および」の部分の出典は『戦争犯罪事典』の方であり、『現代アジア事典』からの引用としてこの文は単独では成立しません。また、「『確認されている』は自身が事実であることを認める断定表現ではない」というのは正直日本語の解釈として不可思議なのですが、これをもって断定しているとならないのであれば、どのような表現だったら断定していることになるのでしょう。
  • 「信頼できる情報源」:Wikipediaにおいて「信頼できる情報源」というのがどのようなものなのかは方針・ガイドラインに非常に細かく説明されており、「使用するべき」とされる要件を満たす出典において基本的な傾向が明らかである場合、それを骨格としなければならないことは明白に思われます。Wikipedia:中立的な観点においても、「適当な重み付けを決定する際には、信頼できる情報源における観点の普及度を考慮し、ウィキペディアの編集者や一般の人々の間での普及度は考慮に入れないようにすることを心に留めてください」と明記されています。「あなたの言う『信頼できる情報源』では、全く多数を得られることはないでしょう」というのは方針を無視しない限り成立し得ないように思いますが、これはどのような方針・ガイドラインから導き出せる話でしょうか?
  • 「保守」:そもそも、「保守」というのは別に南京事件に対する姿勢に基づいて定義されるような概念ではないので、これが多数少数という話は本記事に何の関係もありませんし、保守がどうこうという話を私はしていません。付け加えれば「日本語使用者の大半はいわゆる『保守』派です」も何の根拠もなく、さらに上に書いた通り、中立的な観点という点から言えば、まさに「日本語話者の大半」という括りでの多数少数というのは方針上「ウィキペディアの編集者や一般の人々の間での普及度は考慮に入れないようにすることを心に留めてください」にそのまま該当するもので、記事に反映することを避けなければならないものです。信頼できる情報源において多数派である見解をまずは説明しなければなりません。
  • 全体的に、以前の議論でXefonさんがコメントされている通りKonnnitihaseizinnnosabuさんのWikipediaの方針理解は大きな問題があると思われ、Wikipediaの編集に参加するにあたっては再度Wikipediaの方針・ガイドラインを一通り確認いただいた方が良いと思います。--TEN会話) 2023年12月10日 (日) 16:25 (UTC) --TEN会話2023年12月10日 (日) 23:13 (UTC)[返信]

記事の再構成について

  • 一般的な構成に基づいて、論争を排除した上で、どんな事件か説明できるなら、それに反対する理由はないでしょう。しかしそもそもどんな事件か自体が論争になっていると思うのですが、本当にそのような構成が可能なのでしょうか。--フューチャー会話2023年12月11日 (月) 09:10 (UTC)[返信]
  • 返信 概説書や事典類などでは「南京事件」の概略を説明する際に基本的に「どんな事件か自体」の論争には言及していないので、これらから記述を作るならば自然と南京事件論争への言及は限定的なものになると思います。現在の版の冒頭文の出典が事典類であるのに「この事件の存在は、連合国軍占領下の日本において行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)で認定され~」という論争の話題に入るところから突然、東京裁判の判決文のような一次資料、産経新聞・朝日新聞のようなマスコミ記事、刑法史の論文といった出典に切り替わるのは恐らくこれに起因しているでしょう。また、論争に言及する場合にも、笠原『南京事件』、秦『南京事件』といった概説書における論争への言及の仕方というのは基本的に実際に起きた事象と論争をきちんと区別していますし、臼井『新版 日中戦争』では論争には言及せず単なる事実として描写が行われています。これらの中では基本的に南京事件が「どんな事件か自体」ははっきりしていて、細部はどうあれ日本軍による虐殺事件という取り扱いは確固たるものがあります。不明なものとして取り扱われているのは「犠牲者の正確な数」という点に尽き、実際「論争」に関連して『戦争犯罪事典』や『現代アジア事典』などで言及されている論争も犠牲者数に関わる点なので、この点を節にまとめて記述すれば論争への言及としては一般的な形になると思いますがいかがでしょうか。--TEN会話2023年12月11日 (月) 16:50 (UTC)[返信]
    いかんせん形がないと分かりづらいですから、改稿に向けての草案のようなものを作っていただくことは可能でしょうか。笠原・秦・臼井はいずれも手元にありますので、加筆および査読にはお力添えできると思います。--Nux-vomica 1007会話2023年12月13日 (水) 05:56 (UTC)[返信]
    返信 ありがとうございます。そうですね、一部書いてみたりはしていたので、一応全体的にこんな風にしたら良いのでは的なものを下書きに置いて見ようと思います。--TEN会話2023年12月13日 (水) 16:22 (UTC)[返信]
    コメント とりあえず、利用者:TEN/sandbox2に主に笠原『南京事件』と秦『南京事件』の記述をベースにするとこんな形になるのではないかというものを置いて見ました。まだ全く中身も無い節もありますが、あんまり時間を置いても何なので一旦ここで共有します。基本的には
    • 前史
    南京事件
    南京戦および占領時の日本軍の編成
    事件を引き起こした要因
    史料
    というあたり骨格に構成するのが良いのではと思っています。--TEN会話2023年12月17日 (日) 18:16 (UTC)[返信]
    すみません、このページからの履歴継承がないようですが大丈夫ですか?--フューチャー会話2023年12月20日 (水) 22:15 (UTC)[返信]
    返信 下書きの内容で現行の南京事件の記事から引き継いでいるのは原剛氏の引用を紹介している注釈だけなので、特に継承する履歴はないと思っています。部分的に反映する場合に備えてタグの形式を揃えるために参照タグはコピーしていますが、これは多分履歴継承は不要だろうと考えます。もし問題があるようであれば別途対処します。--TEN会話2023年12月21日 (木) 11:59 (UTC)[返信]
    報告 さしあたり、こういう感じにしてはどうだろうかというものを下書きにまとめました(誤字脱字や文法のおかしな文章の調整などはまだしていません)。笠原・秦それぞれの『南京事件』をベースにはしていますが、資料部分などはちょっと当初とは変えて別の出典を主に用いてしまってはいます。提案としてはこれを採用するしないは別としても、現在の記事の構成は全面的に見直すべきだというものになります。先だって議論していたXefonさんの編集内容は敢えて独自に組み込むことはしていませんが、必要に応じてそれも併せても良いかもしれないと思います。--TEN会話2024年1月11日 (木) 16:59 (UTC)[返信]
    執筆お疲れ様です。適切な資料を適切に要約した、よい記事になっているものと考えます。形式面で気になった部分を挙げます。
    • これだけ分量のある記事でしたら、概要節は必要になってくるかなと思います(WP:LEAD)。
    • 「南京戦における日本軍の編成」節の、上海戦から南京戦にかけての日本軍現地部隊の編成の出典が欠けているため(おおむね本文中に記述がありますが、各師団の師団長などについてはこの部分が初出になってくると思います)、出典を追補するべきでしょう(具体的には、秦2007:330-337)。
    • 各所に「(秦)」といった表記が見られますが、これは{{harv}}テンプレートなどを用いたほうがスマートなのではないかなと思います。
--Nux-vomica 1007会話2024年1月12日 (金) 10:29 (UTC)[返信]
  • 返信 確認ありがとうございます。一通り修正してみました。また、一応東京裁判と南京軍事法廷についての記述も追加しました。
    • 概要節:追加してみました。一文あたりに出典を付けるのが難しいので、編集合戦を誘発しやすい記事であることを考慮すると概要の作り方はちょっと悩みますが、大雑把にはこんな感じかなと思います。
    • 日本軍現地部隊の編成の出典:出典追加しました。
    • {{harv}}テンプレート:とりあえず証言など一次資料引用の孫引きは{{Quote}}テンプレート、参考文献の著者の引用は括弧だけで統一してみました。{{harv}}は現時点だと、参照情報の表記法に統一感がなくなってしまうので、実際に記事の方に記述を適用した後に全体の参照表記法の整理と一緒に適用できれば良いかなと思います。--TEN会話2024年1月13日 (土) 15:16 (UTC)[返信]
    ありがとうございます。私としては、現状の記事はこの草案で上書きしてよいものと思いますが、他の方の意見を待ちたいです。--Nux-vomica 1007会話2024年1月14日 (日) 23:02 (UTC)[返信]
    I think this is a significant improvement, thank you for your work. The article still lacks images; is there a plan for their inclusion?
    これは大きな改善だと思います。ご尽力いただきありがとうございます。 この記事にはまだ画像がありません。 彼らを含める計画はありますか?--Toobigtokale会話2024年1月15日 (月) 05:46 (UTC)[返信]
    返信 At least, I have no plans to add any images to the draft. This is because dealing with the authenticity of photos related to Nanjing Massacre is quite complicated, and I am concerned about the spread of discussion and lose its focus. And, there is nothing about photography of the incident among the references that I have collected for this draft. However, I believe it would be better to include some images. It might be easier to bring them from the English version, but I also think it is better to think about them separately from the process of rewriting contents of the article. --TEN会話2024年1月16日 (火) 03:35 (UTC)[返信]
    I had suspected that was the reason; images are indeed difficult to prove. Still, this draft is an improvement.
    If you or anyone else can, in the future, work on adding in images, that would be appreciated.
    それが理由ではないかと私は思っていました。 画像を証明するのは確かに困難です。 それでも、この草案は改善されています。
    あなたまたは他の誰かが将来的に画像の追加に取り組むことができれば、それは幸いです。--Toobigtokale会話2024年1月16日 (火) 08:09 (UTC)[返信]
コメント あまりに節が長くなりすぎてて見通しが悪いので、ちょっと中途半端な位置ですが節をわけました。とりあえず、今週いっぱい程度異論が出なければ、下書きを本文に反映したいなと思います。コメント等あれば随時下書きを手直しするなり対処したいと思います。--TEN会話2024年1月17日 (水) 15:04 (UTC)[返信]
  • 報告 とりあえず提案から一週間以上経過し、新しい意見もつかなかったため記述を本文に反映しました。何かあれば随時調整ということになるかと思います。--TEN会話2024年1月21日 (日) 15:14 (UTC)[返信]
コメント 議論活性化のためのコメント依頼を見て来ました。出典に関する議論がなされ、笠原『南京事件』と秦『南京事件』をもとにした改稿をTENさんが行ったのを確認しました。基本的にTENさんの改稿に同意します。
改稿に関連して、TENさんが2023年11月9日 (木) 14:00に書いた「論壇誌やマスコミ記事の記述を主たる出典にすべきではない」という意見、常陸のクマさんが2023年11月9日 (木) 14:51に書いた、秦『南京事件』・北村『南京事件の探究』・笠原『南京事件』くらいを基礎として書き直すという意見に基本的に同意します。Xefonさんが2023年11月9日 (木) 06:08に書いた「信頼に値しない出典に基づく記述の削除」という意見は、表現がやや攻撃的に見えますけれど、大筋としてTENさんや常陸のクマさんと同じだと解釈しました。私は文献が手近にないので、Nux-vomica 1007さんが2023年12月13日 (水) 05:56で提案したようなお手伝いはできないと思いますけれど、何かあれば随時書きます。
花蝶風月雪月花警部さんが2023年12月12日 (火) 14:45 に書いた論争についての指摘は改稿において重要だと考えますけれど、今後の課題とさせてください。
フューチャーさんが2024年1月21日 (日) 16:37 に書いた参考文献のノートについての提案に同意します。--Moke会話2024年1月30日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
追記。フューチャーさんが 2024年1月31日 (水) 11:57 で議論にもとづいた編集であると発言されているのを確認しました。--Moke会話2024年2月1日 (木) 05:11 (UTC)[返信]

「論争」について

コメント 「保守」の言論空間では、一部の新聞・雑誌や通俗的な歴史本にて、「虐殺」または「事件」の存在を否定する主張が見られるものの、空間内にとどまっており空間の「外」との「論争」には至っていない。また、「肯定派」と「否定派」は共通の活動(や議論)の場所を持っておらず、それぞれの場で互いの研究や主張を批判することはあっても、「論争」がおこる状況にはない。したがって、現状「どんな事件か自体」についての論争は「存在しない」といっても過言ではない状況にある。--花蝶風月雪月花警部会話2023年12月12日 (火) 14:45 (UTC)[返信]
デタラメ。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月27日 (水) 13:47 (UTC)[返信]
論争が存在しないならそれぞれの出張を載せても論争に参加することにはならないといますが。それとKonnnitihaseizinnnosabuさんは「デタラメ」とだけ返信しても意味不明ですので返信は具体的にお願いします。--フューチャー会話2023年12月28日 (木) 05:27 (UTC)[返信]
  • 返信 個人的な意見としては、それぞれの主張を載せるというのは、以前にも書いた通り実質的にWikipedia記事を論争の場として使うのに等しいものだと思うので、基本的には言及しない方が良いと考えます。花蝶風月雪月花警部さんの表現を借りて言えば「『肯定派』と『否定派』は共通の活動(や議論)の場所を持っていない」わけですが、Wikipedia上であたかも議論が成立しているかのように両論併記してしまうのは適切でないように思います。一応、現在の南京事件の記事で使われているものの中からそうした議論についての出典も確認はしてみたのですが、敢えて論争に言及するとすれば「犠牲者数」をそれぞれがどのように算出しているか、について言及するのが良いのではないかと思いますが自信はないです。
  • まず、論壇誌等での議論においても、実際のところ「否定」されているのは主として中国政府の公式見解となっている「30万人」や数万人~20万人という犠牲者数であって、事件そのものを否定する見解は少なくとも主流でなさそうです。原剛「南京大虐殺はあったのか」『昭和史20の争点 日本人の常識』(2003)では原剛氏は現代の研究では「①の三〇万人説や②の二〇万人以上説、⑤の虐殺否定説(まぼろし説)は、以下に述べるように実証性・論理性に欠けていることが判明してきた」と要約しています。本文のあとがきによれば月刊誌『諸君!』2003年7月号に掲載された記事を加筆訂正・改題したものということなので、いわゆる保守系の「場」においての議論の要約として参考になるかとは思います。加えて、新しい歴史教科書をつくる会の発起人の藤岡信勝『自由主義史観とは何か』(1997)でもp. 34で「今日、南京事件の存在自体を否定する者はほとんどいない。しかし、犠牲者数については長い論争があり...」となっていて、やはり虐殺そのものを否定する見解が極めて少数の例外的な立ち位置であることはこうした「場」においても基本認識と言えるように思います。
  • 一方で『南京大虐殺否定論13のウソ』(1999)に掲載されている笠原十九司「『数の論争』のトリック」で主張されている内容は「否定派が仕掛ける『数の論争』のトリックは、今となっては数の問題に正確な結論は出せないということを利用して、数の問題が解明されなければ南京大虐殺も『まぼろし』『虚構』であるかのごとく思わせ、実態認識にいたろうとする思考の道を妨げるところにある。」といった具合で、「否定派」の議論の内容というより手法について批判を向けており、この両者は歴史学的な意味での「論争」をしているわけではないんですよね。
  • 実際見てみると南京事件が「どんな事件か自体」についてはそれぞの「場」内部においてさえ争われてはいないように思えます(そしてこれらの多くは、「信頼できる情報源」として取り扱うのは難しいようにも思います)。端的にいってこれらについて解説・紹介するのは基本的に南京事件自体についての説明にはならないと思います。--TEN会話2023年12月28日 (木) 18:58 (UTC)[返信]
>教科書について
それは当たり前です。しかし、日本国の場合、歴史教科書と政府見解は一致しています。人間は多かれ少なかれ自分の属する国家の見解の影響を受けるはずなので、日本語使用者が最も多い日本国政府の見解の影響を受けている可能性が高いと思います。また、日本語使用者自身の多くが、日本国で教育されています。Wikipediaの記述の変化から日本国の歴史教科書の改変はある程度予想できます。
※実際、前々回の中学歴史教科書で「南京大虐殺」が完全少数派となると、ここの名前も2010年には「南京事件」に転換されました。その後、いろいろな箇所で「南京事件」と教わった世代が浸透しているため、学界などでも「南京大虐殺」は完全少数派化してる節があります。本来は、通説に基づいて教科書が編纂されますが、日本国の公民・歴史教科書の場合は違うようです。例えば、昭和30年代から公民教科書が当時の日本国政府が発表した学習指導要領の規定を無視する形で「日本国憲法三原則説」を唱えると、その後、7原則説や5原則説は衰退し、「三原則説」が多数派となりました。採択率が最も低い自由社は三原則説を唱えたのちに残りの「4原則」を唱え、7原則説を主張しています。
あとはちょっと手に蕁麻疹ができたのと、謎のバグでエンターキーを押すと文字が消える不具合(?)に悩まされているので後で(Wikipediaだけ。じゃがいもサーバーだし。エーペックスかよ。)。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月15日 (金) 16:45 (UTC)[返信]
  • 返信 本当にWikipediaの記述の変化から日本国の歴史教科書の改変はある程度予想できるとすれば、単に不適切な編集が継続的に行われているというだけであるように思います。なお、履歴を見る限り本記事が「南京大虐殺」から「南京事件」へ改名されたのは「歴史学の分野では、南京事件と呼ぶのが主流であるから。 また、虐殺に関する論争でも多数派であるので。」となっており、教科書の記述が理由にはなっていないです。いずれにせよ編集にあたって中学・高校レベルの教科書は基本的に関係がありません。--TEN会話2023年12月17日 (日) 18:16 (UTC)[返信]
    >本当にWikipediaの記述の変化から日本国の歴史教科書の改変はある程度予想できるとすれば、単に不適切な編集が継続的に行われているというだけであるように思います。
    「不適切な編集」であっても、その人の意識も社会全体の意識としてカウントされます。
    >歴史学の分野では、南京事件と呼ぶのが主流であるから。 また、虐殺に関する論争でも多数派であるので。
    当時の歴史学者の多くが「南京事件」として教えられた世代です。今後、「南京大虐殺」が復活するでしょう。現在の教科書との関連はちょっと自分でもよく分からなくなりましたが、学者が受けた教育にだいぶ影響されていると感じます。日本国憲法三原則説もそうです。昭和30年の指導要領(https://erid.nier.go.jp/files/COFS/s33j/chap2-2.htm)では「日本国憲法は,基本的人権の尊重,平和主義,国民主権,三権分立,代議制,議院内閣制等の基本的な原則に基いている」となっていますが、教科書には三原則説が載っていました(このとき、学者も検定担当者も基本的に戦前・戦時中(占領下を除く。)の教育を受けた世代です)。現行版では指導要領も三原則説となり、検定では自由社など三原則説をもとにした書き方を強制され、残りの原則は補足的になるなど、学問の自由への侵害も行われています。
    >いずれにせよ編集にあたって中学・高校レベルの教科書は基本的に関係がありません。
    表面上はそうでしょう。それは間違いありません。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年12月27日 (水) 13:45 (UTC)[返信]
    これに関しては「だから何」としか言いようがありません。記事と関係ない演説はご遠慮ください。--フューチャー会話2023年12月28日 (木) 05:30 (UTC)[返信]
    To all, please remember to continue this conversation. I wish everyone a healthy and productive 2024. I am sorry to hear of the recent disasters in Japan; I hope you are all not affected by it.
    There is still work to do. This article has had these problems for over a decade now, it is time to fix it.
    皆さん、この会話を忘れずに続けてください。 皆様にとって、2024 年が健康で実りある年になりますようお祈り申し上げます。最近の日本での災害のことを聞いて残念に思います。 皆さんが影響を受けないことを願っています。
    やるべきことはまだあります。この記事にはこれらの問題が 10 年以上存在しており、修正する時期が来ました。--Toobigtokale会話2024年1月6日 (土) 11:58 (UTC)[返信]

Note

I am writing this to let you know of my intentions.

The current page does not reflect the international consensus (I understand that @Konnnitihaseizinnnosabu has expressed skepticism that such a consensus can be ascertained, I don't agree.) Ask yourself: what if the current article is wrong, and that it gives too much weight to fringe theories that only have popularity within Japan? The article would represent an erasure of and insult to the deaths of the millions across East Asia who died during the 20th century.

If this article does not more closely represent the international consensus by February 2024, I will reach out to the international press about this issue. I plan to contact 200 journalists across the world at first, then if it does not change by March, I will contact 400 more journalists. I will not stop until it reflects the international consensus.

My plan is for people in both rural Finland and Mexico to be aware of this issue. They will not have a good image of the Japanese Wikipedia.

I understand that my tone has been rude. This is an intentional choice. I have been far kinder than the rest of the world will be.

I love Japan, and visit it often. I think Japan is one of the greatest civilizations in world history, and think you have much to be proud of. I am advising you, do not shame Japan by leaving this article in this state.

私の意図をお知らせするためにこれを書いています。

現在の記事は国際的な合意を反映していません。(@Konnnitihaseizinnnosabuさんがそのような合意が確認できるかどうかについて懐疑的であることを表明していることは理解していますが、私は同意しません。)もし現在の記事が間違っていて、日本国内でのみ人気がある非主流の理論を重視しすぎているとしたらどうなるだろうか、と自問してみてください。この記事は、20世紀に東アジアで亡くなった何百万人もの人々の死を抹殺し、侮辱するものとなるだろう。

この記事が 2024 年 2 月までに国際的なコンセンサスをより正確に反映していない場合、私はこの問題について国際報道機関に連絡するつもりです。

まずは世界中のジャーナリスト200人に連絡し、3月までに状況が変わらなければさらに400人のジャーナリストに連絡するつもりだ。 国際的な合意を反映するまではやめません。

私の計画は、フィンランドの田舎とメキシコの両方の人々にこの問題を知ってもらうことです。 彼らは日本語版ウィキペディアに対して良いイメージを持っていないでしょう。

私の口調が失礼だったことは理解しています。 これは意図的な選択です。 私は世界の他の人々よりもずっと親切でした。

私は日本が大好きで、よく日本を訪れます。 日本は世界史上最も偉大な文明の一つだと思います、誇るべきことがたくさんあると思います。 この記事をこのまま放置して日本に恥をかかせないでください、と忠告します。--Toobigtokale会話2023年11月13日 (月) 11:35 (UTC)[返信]

  • 返信 Hello Toobigtokale, Excuse me for interrupting. I generally agree with you that there are many problems with the content of this article.
However, the way you have made your request is not appropriate. I think that you are free to contact anyone regarding this article, it is not acceptable to use this as a condition to demand specific edits from others. According to Japanese Wikipedia's policy, it is inappropriate for a user to arbitrarily set a deadline or force others to make specific edits.
Personally, I think that foreign Wikipedia or international agreements are not very important when editing Wikipedia. However, there is a fundamental problem with this article: it is that denying 'Nanjing massacre' is not a common stance in the Japanese academic community. This article does not accurately reflect the general view in Japanese academic circles, as it takes quotations from some sources very out of context. The content of this current article has never been common in Japanese historical societies. This will have to be corrected. But, please refrain from making requests like this. --TEN会話2023年11月13日 (月) 13:58 (UTC)[返信]
Thanks for the thoughtful reply, I agree with your post, although I will still maintain this timeline. I've been thinking about the consequences of this for a month now. I know it's not normal practice and against Wikipedia policy. The issue is that this article has remained like this for around a decade without significant momentum to change. And as I'm sure you're aware, the moral implications of this are severe.
The Japanese Wikipedia is among the most viewed websites in Japan. Think of how many people read this article and thought of it as truth.
And even if I was banned from Wikipedia because of this, it still wouldn't prevent me from being able to go to the press. I will still sleep comfortably at night regardless of the outcome. My intentions are good.
If people would rather that I don't set deadlines, I could instead go to the international press immediately. However, that would likely be extremely disruptive and make it difficult for you guys to make thoughtful edits on this article. I want to make sure you guys have the opportunity to actually fix this page.
他の人への翻訳:
思慮深い返信をありがとうございます。私はあなたの投稿に同意しますが、今後もこのタイムラインは維持します。この一ヶ月間、この結果がどうなるかを考えてきた。それが通常の行為ではなく、ウィキペディアのポリシーに反することは承知しています。問題は、この記事が約10年間、大きな変更の勢いもなくこのままになっているということです。 ご存知かと思いますが、これがもたらす道徳的影響は深刻です。
日本語版ウィキペディアは、日本で最も閲覧されているウェブサイトの 1 つです。 どれだけの人がこの記事を読んで真実だと思ったか考えてみてください。
たとえこれが原因でウィキペディアから追放されたとしても、それでも報道機関に行くことができなくなるわけではありません。結果に関係なく、夜は快適に眠れます。 私の意図は良いです。
私が期限を設定しないことを人々が望んでいるなら、代わりに私はすぐに国際的な報道機関に行くこともできます。ただし、これは非常に混乱を招く可能性が高く、この記事を慎重に編集することが困難になります。この記事を慎重に修正する機会を皆さんに与えたいと思います。--Toobigtokale会話2023年11月13日 (月) 22:24 (UTC)[返信]
Your assertion is quite odd. Are you aiming to utilize the press as a means of causing "extreme disruption" rather than raising the existing problems to seeking the solution? In my opinion, third-party coverage of this issue is not problem and rather preferable. It could foster constructive discussions.
By the way, your talk in JAWP is inherently problematic, as it appears to violate policies such as POINT; NOTBATTLEGROUND; NOTCOMPULSORY. Resorting to intimidation to the community without appropriate disscussion are in itself more extremely disruptive than you are to do.--Nux-vomica 1007会話2023年11月14日 (火) 08:19 (UTC)[返信]
No, my goal is not to disrupt discussion, that's why I'm offering to delay going to the press.
The reason why I say the press may be disruptive is because there would be potentially hundreds of thousands of people who are even less familiar with the Japanese Wikipedia's practices who would pour onto this talk page and article. It may also potentially cause experienced editors to avoid contributing because of fear of backlash. This historical topic is so complicated that it needs space for discussion from experienced editors.
If people think it'd be better that I go to the press immediately, I can do so. I'm also generous on what "close to the international consensus" can look like. If it's clear that significant progress has been made, I will not contact the press. I'm not unreasonable; my goal is to not go to the press at all. I'm just doubtful that this push to change the article is anything different than anything that's happened in the past ten years.
Again, this article has been like this for around ten years. Please prove me wrong and fix it.--Toobigtokale会話2023年11月14日 (火) 08:46 (UTC)[返信]
  • 返信 Unfortunately, despite your intentions, your action may not contribute to this article. Editing any articles shouldn't take into account what an user does outside of Wikipedia. Additionally, when a user who ignores Wikipedia policy participates, it becomes inevitable that the discussion will focus more on the user's actions than on the content of the article. I believe there are many problems with this article that should be corrected, but I hesitate to make these corrections under the request you made.
Even if this article were to be correctd, it would continue to be edited. If, at that time, the corrected version is labeled as 'made due to inappropriate behavior against Wikipedia's policy', then that version would no longer has a basis in Wikipedia. It would be reverted immediately, and it would take a lot of effort to explain its suitability. Please do not ignore Wikipedia's policy.--TEN会話) 2023年11月14日 (火) 14:47 (UTC) --TEN会話2023年11月14日 (火) 15:26 (UTC)[返信]
If I contact the press immediately, that should abide by Wikipedia policy. It may cause some chaos in the short term, but in the long term maybe it will contribute to quality discussions as @Nux-vomica 1007 suggests.--Toobigtokale会話2023年11月15日 (水) 00:14 (UTC)[返信]
  • 返信 What I want to say is please do not force others to make certain edits. Whether or not you contact journalists is a personal matter for you and it is not an issue for others to resolve. And I think journalists should be free to discuss any articles on Wikipedia.
It is unacceptable to attempt to control the editing of others througgh your actions. And, if your actions outside of Wikipedia lead to a series of posts that create some 'chaos' in this note, they will simply be treated as meatpuppets. This is a very simple situation. There may be long and fruitless discussions on how to deal with it. Editing Wikipedia is not guided by a shepherd. --TEN会話2023年11月15日 (水) 14:27 (UTC)[返信]
Understood and agreed. I will contact journalists anyway. I encourage you all to block out and ignore any unproductive visitors that arrive as a result of my actions.--Toobigtokale会話2023年11月15日 (水) 14:53 (UTC)[返信]
  • 返信 I have difficulty understanding about your approach in anticipating unproductive visitors. If journalists mention this article, I hope it's useful.
the sources used in this article, such as 笠原十九司『南京事件』、臼井勝美『新版 日中戦争』、『世界戦争犯罪事典』, provide explanations of the massacres commited by Japanese Army. Based on these references, the article should not be in the current form. I believe it is necessary to correct the conscious omission in this article. This article should reflect the references, but I also believe that discussions should proceed according to Wikipedia's policy. --TEN会話2023年11月15日 (水) 17:23 (UTC)[返信]
  • 返信 Your claim is somewhat threatening and may violate the policy of WP:LEGAL,WP:POINT. If you think the article is incorrect, you can edit the article based on the correct source. If your Japanese is not good, you can use AI translation.--薔薇騎士団会話2023年11月16日 (木) 12:29 (UTC)[返信]
    Have already responded to the other user. I'm contacting journalists immediately with no set timeline, which abides by Wikipedia policy.--Toobigtokale会話2023年11月16日 (木) 13:12 (UTC)[返信]
    Looking at your contribution history, you have not edited a single article. You should first make an effort to edit what you think is wrong according to Wikipedia's rules. If your Japanese is not good, you can use AI translation or ask Japanese contributors to translate for you. --薔薇騎士団会話2023年11月17日 (金) 04:01 (UTC)[返信]
    I'm not really required to do that, so I won't do it. If an oil spill happened, are local people not allowed to be upset unless they personally went to go clean it up?
    I am allowed to contact the press, so I will. In the spirit of making suggestions, you should work hard to fix this page before any observers come; it would make me look bad if I made all this effort for something that was already fixed.--Toobigtokale会話2023年11月18日 (土) 12:15 (UTC)[返信]
強行措置に対して断固として抗議し、最大限の厳しい言葉で非難します(岸田文雄風)。--Konnnitihaseizinnnosabu会話2023年11月19日 (日) 17:26 (UTC)[返信]
I already changed the terms to fit Wikipedia policy. Note to other commenters, I will stop replying to this thread unless someone has something more interesting to say.
ウィキペディアのポリシーに合わせて条件をすでに変更しました。他のコメント投稿者に注意してください。誰かがもっと興味深いことを言わない限り、私はこのスレッドに返信するのをやめます。--Toobigtokale会話2023年11月19日 (日) 23:28 (UTC)[返信]
  • コメント ノートでの議論に日本語話者しか参加できないということは多分ないと思うのですがいかがでしょうか。記事の本文には正確な日本語が求められると思いますが、Meta wikiでもA guide to the Japanese Wikipediaで「Your contribution to the Japanese Wikipedia is always welcome.」と案内されていますし、Wikipedia:Help for Non-Japanese Speakersなどのようにそれを前提としたコミュニケーションの場もあります。非日本語話者の参加は日本語版Wikipediaの方針に沿う限り前提として歓迎されるものとされていると思います。--TEN会話2024年1月16日 (火) 02:58 (UTC)[返信]
    @TEN
    日常的に日本語を使用していない方も参加して良いとは思うのですが、「議論の場」である以上、ある程度の日本語能力は必要ではないかと感じます。機械翻訳しただけの日本語では、しばしば意味が分かりにくい箇所もあり、円滑な議論が進行できません。英語や中国語、韓国語、スペイン語、フランス語、ドイツ語など、世界中には多種多様な言語がありますが、それらの言語でノートページに記述された場合、日本語版のWikipediaであっても、外国語を正確に理解して返信しなければならないのでしょうか。それとも、外国語に自信がない場合は無視しても問題ないのでしょうか。おそらく、英語版など、他言語版のWikipediaのノートページに日本語で書き込んでも、議論に応じてもらえない可能性が高いと思うので、「日本語版なので、原則、日本語でコミュニケーションしてほしい」と要求することは問題ないと考えます。--Bitcoiner001会話2024年1月17日 (水) 04:18 (UTC)[返信]
    返信 日本語でコミュニケーションしてほしいというのは当然ありだと思うのですが、元のコメントは「日本語の使用に不自由のある編集者の方はご遠慮いただきますよう」なのでちょっと違うかなと思う次第です。Wikipedia:ノートページのガイドライン#日本語を使うの記述だと、「誰に対して投げかけるコメントであっても、ウィキペディア日本語版のノートページでは日本語を使うのが望ましいです(中略)。日本語以外の言語の使用が避けられない場合には、コメントの日本語訳を添えるように努力してください」とあるので、Toobigtokaleさんが行っている英文とその和訳を表記する方式は、ガイドラインで努力目標として推奨されている方式です(むしろ、返信する側は日本語で返信して英訳を付記した方が良かったりするでしょうか)。また和訳も不自然さがあれどコミュニケーションに齟齬が生じる問題は特になさそうに思います。ついでに、ノートページの議論であれば原文が付記されているなら機械翻訳でも不都合はない気がします。基本的には誰でも参加できるというのがWikipediaの立てつけですので、日本語の問題を理由に参加を拒むというのはこの場ではかなり違和感が強いと思いました。
    余談ですが、英語の社会的な地位はかなり特殊なので日本語圏に話者人口が少ない他の言語と同列に取り扱うのは現実に即していない気もします。ざっと見ると、中国語版のように、「如果您無法使用漢語交流,請盡量使用他人便于理解的语言文字(如英语)或提供留言的翻譯版本(Google翻訳:中国語でコミュニケーションできない場合は、他の人が簡単に理解できる言語 (英語など) を使用するか、メッセージの翻訳版を提供してください)」としている言語版もあるようです。いずれにせよ、この場では少なくとも「日本語」に起因する問題は発生していないと思います。--TEN会話2024年1月17日 (水) 10:40 (UTC)[返信]
    @TEN
    「意図的な選択です」「死を抹殺」などは、機械翻訳的な言い回しで、正直、中学生とか高校生でも国語のテストで書くとアウトになる表現だと思います。端的に、日本語として通用せず、意味が判然としません。英語が添えられていても、機械翻訳で日本語話者が解読しても結局、機械翻訳による違和感がある文章を読解してのコミュニケーションとなるので、複雑かつ高度な議論の妨げになることは否めません。そもそも、「英語の地位は高いのだから、地位の低い日本語話者は、英語話者に合わせるべき」というのはナンセンスです。言語帝国主義的な発想で、それなら「日本語版」など不要で、Wikipediaは英語版のみで良いという考え方になってしまいます。--Bitcoiner001会話2024年1月17日 (水) 11:44 (UTC)[返信]
    そういうことは言っていないです。単純に英語は広範囲で(学術分野では特に)事実上の国際共通語として使用されているという意味で特殊な立ち位置にあると思うので、現実としてあるユーザーが自分が使用できない言語版でコミュニケーションを取る場合には英語が使われることが多いだろうということいいのでは?と個人的には思っただけです。もっとも、余談と書いた通りこの点について深掘りする気はないです。ここでコメントしたのはシンプルに「日本語以外の言語の使用が避けられない場合には、コメントの日本語訳を添える」という形は、ガイドラインで示されている通りの方法ですし、他のガイドラインも日本語版Wikipediaに参加する場合に必ずしもネイティブ水準の日本語能力を必須のものとして要求していない、という話です。そしてここは別に国語のテスト会場ではないので何が言いたいのか理解できればそれでよく、意味不明瞭な表現が議論上重要だと考えることならそこは改めて質問すれば良いでしょう。これは別にネイティブスピーカー同士の会話でも普通にあることです。よく言われるJPOVなどの点を考えれば多様な背景を持つユーザーの参加は基本的にWikipediaとして好ましいことのはずで、「日本語の使用に不自由のある編集者の方はご遠慮」くださいよりは、可能な限りは包摂するのがWikipedia的には望まれることだろうと思います。--TEN会話2024年1月17日 (水) 14:45 (UTC)[返信]
    @TEN
    そこは「不自由」の定義かと。やはり、難しい議論をしている際に、つたない機械翻訳で書き込まれても、コミュニケーションに齟齬をきたすことはあるでしょう。「せめて、きちんとコミュニケーションできるくらいの日本語能力は欲しい」って意味で、「不自由ならお断り」と言ってるなら正当な主張かと。「少しでもおかしければ排除せよ」という意味合いで使ってるのなら、包摂の理念からかけ離れますが。しかし、「英語」を事実上の国際共通語だから、日本語話者も理解するように努力せよという姿勢こそ、非寛容で包摂主義に反するのではないかと思いますけどね。さまざまな言語版があり、ここは日本語版なのですから、英語を特別な地位に置くべきではありません。--Bitcoiner001会話2024年1月18日 (木) 11:44 (UTC)[返信]
    返信 方針やガイドラインの記述上、そうではないであろうということです。英語云々については主義がどうとか特別な地位とかそんな仰々しい話ではなく、可能な限りはまず理解する努力が望まれるであろうというだけです。そして単に様々な場面で国際共通語として普及している(これを社会的地位と表現したのが誤解の元かもしれませんが)英語は「可能な限り」の範囲がどういう言語版のコミュニティでも単なる事実としてある程度広いだろうと個人的に思っただけです。別に他の言語でも参加者の努力によってコミュニケーションが成立しそうならそれでいいはずです。必要に応じて「翻訳をしてくれる第三者」に依頼するよう案内するなり(これもガイドラインに書かれていることです)まずは対話が成立するよう努力するというのは言語の問題に限らず基本的にWikipediaの方針・ガイドラインに一貫していることで、地位が劣る日本語の話者は努力すべしみたいな話は全くしていません。--TEN会話2024年1月18日 (木) 14:56 (UTC)[返信]

参考文献のノートについて

ノート:南京事件 (1937年)/関連文献には標準記事用のカテゴリがついており、また南京事件に関する参考文献という標準記事からのリダイレクトがあり、かなり異質です。カテゴリについては除去し、リダイレクトは南京事件#参考文献へのリダイレクトに変更するか削除し、当該節から当該ノートへの直接の誘導は行わないのがよいと思いますが、いかがでしょうか。--フューチャー会話2024年1月21日 (日) 16:37 (UTC)[返信]

先の差し戻しによりリンクも戻っていますので、リンク除去について合意を取り直したいと思います。なおリダイレクト削除依頼は同時進行中です。--フューチャー会話2024年2月10日 (土) 06:35 (UTC)[返信]

画像について

  • 一応、あんまり画像について検証できる資料は揃ってないのですが、とりあえずこちらの編集で「写真の出典が明示されてない」として削除されているこの画像についてだけ、そこそこ確認ができたので長くなりますが共有します。現時点で把握している限り、写真の信頼性・出典という観点では掲載に問題はなさそうですが、著作権的な問題がクリアであるのか良くわからないです。掲載可否はこれが大丈夫かどうか次第かなと思います。
  • 出典について:まず第一に、出典は画像の詳細ページに「村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線,日本機関紙出版センター,1987年12月20日,46頁,写真139,ISBN 4-88900-218-9」とあり、明記されています。従って出典的な問題はないです。実際にこの写真が掲載されていることも確認しました。
  • 第三者言及:次にこの写真には第三者言及があります。『南京大虐殺否定論13のウソ』(1999)には笠原十九司「南京大虐殺はニセ写真の宝庫ではない」という写真の問題についての「否定派」に対する反論が掲載されていますが、229頁から230頁にかけて村瀬守保氏の写真について「これらの写真は、集団虐殺の現場から奇跡的に死を免れて逃げ帰った中国人の証言にある、射殺・銃殺、再度生存者を点検して刺殺したあと、最後は薪と石油で焼殺、焼却するという集団大量虐殺の手段が事実であることを証明するものである」と評されており、特にこの写真は「『虐殺されたのち薪を積んで、油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人でした』というキャプションの写真が三枚ある。(四六-四七頁)」(230頁)として特記されているものの1つです。
  • 撮影者(村瀬守保)について:撮影者の村瀬守保氏は『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』の説明によれば1937年7月に召集され31日に入営、兵站自動車第17中隊・第2小隊に所属。個人で写真機を持ち込んでおり、このために検閲を通さない写真を個人的に所持することになったとのことで、1987年に日中戦争中に撮影した写真を写真集として出版したものがこの書籍となります。
  • 撮影時期について:同写真集の記述から、この写真は南京事件最中の1937年12月末~1938年1月初頭のいずれかの時点で撮影されたものと特定できます。同中隊は北京方面への派遣を経て上海方面に転進、11月19日に天津から貨物船で出向、11月22日上海着。12月13日には南京にいたようですが、「十三日夕刻には、十六師団が中山門を占領し、完全に南京を制圧しました。私達輸送部隊はなぜか、二週間ばかり、城内に入ることを許されず、場外に足止めされていました」となっているので、村瀬氏が南京に入城したのは12月27日頃以降。南京陥落後いずれかの時点で長江をわたって徐県城(徐城県?)に移動してしばらく駐屯。1938年2月3日に北上命令を受けて第13師団と共に徐州作戦に参加するため移動。となっているため、村瀬氏の記述から撮影時期がかなり絞り込めます。
  • 撮影地点について:これはWikipedia的には独自研究に該当すると思われますが、この画像の詳細ページには、写真に移っている川が秦淮河であり、橋が石城橋(石城桥)であるとの記載があります。Discussionページの議論を見るとMtBellというユーザーが現地の写真から特定しているようです。この石城橋は百度百科に掲載されていて位置が確認できます。また、検索したところ清朝末期および、日中戦争中の橋の写真がありました(現代では架け替えられているようです)。確かに橋脚の数や形などは一致していそうで、しかるべき技能を持った画像解析の専門家が検証すればメートル単位で撮影地点を特定できそうにも見えます。
  • 著作権的な要確認事項:詳細ページでPermissionが「Author died more than 70 years」となっているのですが、少なくとも村瀬守保氏は1987年12月時点で存命であったのは間違いなく(本人による写真集のあとがきの日付)、このPermissionの記述は事実ではないです。写真集の性質的に掲載許可が下りないようなものではないと予想はされますが、public domainになっているという詳細ページの権利記載が本当なのかよくわかりません。この点がクリアになるならば、この写真自体は南京事件のページに掲載するものとして非常に適切性の高いものと言えるように思います(撮影地点についてはこの写真集の記述からはわからないので掲載できないですが)。この点どなたか著作権に詳しい方のコメントをいただきたいところです。--TEN会話2024年1月22日 (月) 16:09 (UTC)[返信]
{{PD-Japan-oldphoto}}が付与されているようです。日本国内の著作物の場合、1946年以前に撮影された写真はすべて旧著作権法に基づきパブリックドメイン扱いになるので、権利の問題は発生しないのではないでしょうか。--Nux-vomica 1007会話2024年1月23日 (火) 05:21 (UTC)[返信]
@TENさんへ
  • 村瀬守保氏は、Amazonの書籍情報[4]によると、1988年7月にお亡くなりになったようです。そのため、詳細の情報は誤りであることは確定かと思われます。
  • 現行著作権法(1971年施行法)が施行される前の旧著作権法(1899年施行法)によれば、写真の著作権はその創作又は発行後13年[5]とされています。そして、現行著作権法の保護期間が適用されるのは、現行著作権法が施行された時点において現に保護期間中のものとされています。
  • 撮影が1937年又は1938年とすれば、その13年後の1950年又は1951年の12月末日となりますから、現行著作権法が適用される前に保護期間は終了しているものとできます。
  • なお、旧法における「発行後」が適用されるとなった場合は、現行法にる保護期間(死後70年(2058年末)まで)となります。
  • 村瀬氏の写真は1971年までに「公開」されたものではないことから、現行法の規定が適用される余地があります。単純に1971年までに撮影されているから保護期間が終了しているとはできないと思われます。
--Kodai99会話2024年1月23日 (火) 09:29 (UTC)[返信]
  • 返信 Nux-vomica 1007さん、Kodai99さんありがとうございます。著作権関連は難しいですね・・。自分でも検索してみたのですが、確信をもってこうだと言えるような情報は見つからず。ただ、一般的な傾向としてはこちらのコラムの説明などのように、基本的には戦時中に撮影された写真の保護期間というのは終了しているものとして取り扱われているようには見えます。日本写真著作権協会が発行している雑誌の説明では「創作又は発行後」という文言について次のように説明されているのを確認しました。
  • 「写真の著作物の保護期間は、1899年(明治32年)に施行された旧著作権法では発行後10年(未発行の場合、製作後10年)と規定された。」(強調は引用者)
  • 「1956年(昭和31年)12月31日までに発行又は製作した(写真撮影)著作物の著作権は1966年(昭和41年)12月31日までに消滅してしまった。著作者が生存していても同様である。」
  • 村瀬氏の写真について上記を適用すれば、「創作又は発行後」というのは1987年まで発行されていないことから「製作」の時点から保護期間の計算が行われるはずで、著作者は生存していても1956年(昭和31年)12月31日までに発行又は製作した(写真撮影)著作物の著作権は残っていないのでパブリックドメインとして使用できる、という解釈になりそうですが、こういうものの最終判断ってWikipedia的にはどういう形で意思決定が行われるものでしょうか。法律のことなのであまり適当な解釈で進むのも良くないとは思いますが、一般論的には日本の法制度下での戦前の写真の利用についてはWikipedia上で普通使用できるものと考えるのに問題はなさそうな気がしますし、利便性という点で言えば一般論に従った処理が出来た方が好ましいとは思うのですが。--TEN会話2024年1月25日 (木) 15:14 (UTC)[返信]

1/21のTEN氏による大幅書換えについて

なんか勝手な解釈で大幅に書換えられたようですが、根本的な誤りが多いので、元に戻した方がよいかと思います。 まず、国際委員会をつくったのは残留した22人の欧米人ではありません。 南京戦時に既に南京を出ている方(デンマーク人など)もいます。22人でも無いです。 諸々ありますが、最低限の知識を持った方が編集された方が良いかと思います。残念ながら偏見の強い勝手な書換えに見えます。--Harukaikeda会話2024年1月28日 (日) 01:51 (UTC)[返信]

私が歴史学の根本的な素養が無いまま未熟な編集を行い、イデオロギー的な言及をしてしまったために、論争が続いてしまっていて申し訳ありません。粗い形で提示した問題点を汲み取り、信頼できる二次資料を基に記事を再構築したTENさんの編集方針に賛成し、感謝いたします。
(私はともかく)TENさんや他の編集者の方々は、歴史観的な論争からは一歩引いて、質の高い文献に沿った中立な記述を目指していると思います。各論的な反対意見はあると思いますが、党派的な言及より、文献に基づいた建設的な議論になると良いと思います。--Xefon会話2024年1月31日 (水) 13:48 (UTC)[返信]
○党派的な言及より、文献に基づいた建設的な議論になると良いと思います。
→全く同感ですし、私は以前もその様にして編集に参加してきました。
○信頼できる二次資料を基に記事を再構築したTENさんの編集方針
→秦氏・笠原氏に拠ったニ次資料が信頼できるのかだいぶ疑問があります。あくまでも一意見と思います。
何より、以前の版の中では、彼らも論争の中の一論者でしたので。そこに格段の信頼を置ことは根拠に欠けるかと思います。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 14:00 (UTC)[返信]

追記: 海外の論説と日本のものが異なるので、海外に合わせるべきという説がありますが、日本は当事国であるので、それなりに研究が進んでいるという事情があります。 海外の説を取り込みたいのであれば、その説と日本の説との併記、またはどちらの方が筋が通っているかという事実に基づいた視点の提供はありえるかと思われます。

単に海外に合わせるということで、国内の既存の論をなぎ倒し、一定の史観に統一を図ったこの改訂は、一言で言えば、退化であると思います。

せっかくのWikipediaの場が、一定の史観に立つ一説の、単なる押し売りの場にならないことを願っています。

  • 返信 南京安全区国際委員会について:「南京に残留した22人の外国人によって」という記述は笠原『南京事件』p. 172の「ドイツ人商社員、アメリカ人宣教師・教授ら外国人二二名が南京国際委員会を組織して~」という記述および、秦『南京事件 「虐殺」の構造 増補版』p. 6の「正確に言うと、ジャーナリストたちが引きあげたのちも、南京にふみとどまり、日本軍とともに正月を迎えた外国人は二二名を数える。主力はドイツ人とアメリカ人で、難民区または国際安全区と呼ばれた南北三キロ、東西二キロの一角に集まった一〇万人近くの中国人難民を世話しよう、と起源を覚悟で残留した篤志家たちだった」という記述をベースにしています。厳密に言えば、南京安全区国際委員会の設立時にメンバーとして記載されているのは15人であり、22人というのは委員長のラーベらが連絡を取り合い、南京に残留して年を越したことを把握している欧米人の数、ということになるとは思いますが、この記事では委員会の細かい組織の話は本筋ではないので、この記述に合わせています。笠原氏は別の著作ではより細かく国際委員会について述べては言いますが、「南京事件」という括りで解説する時の大雑把なまとめとしてはこういう表現になるのでしょう。基本的に粒度をこの二冊をベースにして調整しています。
  • 根本的な誤り:私はWikipediaでは基本的に古代史・中世史分野で活動していますし、普段は近現代史についてあまり細かく調べているわけではないので当然不備は予測されるのですが、それだけに基本的に使用した出典の枠組みからはみ出た記述はしていないつもりです。具体的に根本的な誤りとは何になるでしょうか。
  • 海外の論説その他:改稿の提案については海外に合わせるという話でしたものではないので、過去の議論を参照下さい。本文への反映は現時点では日本語の出典からしか行っていません。また、また「南京事件」という主題の記事であるので、「史観」というものの解説は基本的に載せていません。--TEN会話2024年1月28日 (日) 13:26 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。
国際委員会の性格というものが、南京事件を理解する鍵でありますので、勝手に人数を変えると、そこが見えなくなります。
例えば、設立に携わった欧米人の一部(デンマーク人・イギリス人)が、残留22人の中に居ないというのは何故か?
ということも見えなくなります。
また、以前の版には国際委員会が非公認であったことも記載されていたはずですが、それは削除したのですか?
※念の為かきますが、国際委員会を公認組織としている研究者は皆無の筈です。
この様にいろいろ国際委員会について(人員、誕生の経緯、宣教師との関係等)端折る事で、多くのものが見えなくなっています。
そこがまず根本的な誤りです。
前の版の記載をご参考下さいな。前の版で引用元もついていますので。
こういったことを無視することが退化であろうと思います。ほんの一例ですが。
史観に関しては、笠原氏、秦氏の考えをベースにして、それに沿わないものを弾くとすれば、特定の史観に寄っていると言われても仕方ないのではないでしょうか?--Harukaikeda会話2024年1月28日 (日) 14:17 (UTC)[返信]
  • 返信 以前書いたことと同じ内容もあるので、基本的には過去の議論を参照いただきたいですが、指摘されている事柄については概ね以下の通りです。
  • 基本となる出典の選択について:まず、笠原・秦両氏の『南京事件』をベースに選定したのは、多くの概説書で基本文献として挙げられているのがこれらの書籍だからです。これは例えば臼井勝美『新版 日中戦争』が南京事件の詳細についての説明をこの2冊を参照という形体を取っていることなどからわかります。「歴史・基本的な考え方」「適当な重み付け」等の方針からわかるように、まず信頼できる情報源において一般的な説明を行う形にすべきという理由から、この2冊を骨格として全体を構成することにしました。
  • 南京安全区国際委員会:この記事は「南京安全区国際委員会」の記事ではないので、概説書に記載されている範囲を超えて委員会の説明をする理由がないと思います。勝手に人数を変えたのではなく、出典の記述粒度に合わせたのみです。
  • 全体の改稿について:元々の版にある問題として出典の文脈を無視した利用法がありました。臼井『新版 日中戦争』を出典とした記述の非常に選択的な記述の抽出を去年の書き込みで指摘しましたが、これは元版の全体に通底する問題です。紹介いただいた、元版の「国際委員会が非公認」という記述と、その出典となっている"The Nanjing Safety Zone Unapproved" by Marcia Ristaino "Jacquinot Safe Zone: Wartime Refugees In Shanghaiの記述を確認しましたが、ここも同じ問題があります。ちょっと長くなりますが、同書のp. 81から始まる§The Jacquinot Zone Copiedの内容を要約すると大体以下のようになります。
  • ジャキノー神父(Father Jacquinot)が上海に設立した安全区は中国当局・日本当局双方の協力を確保し、難民の保護に大きな役割を果たした。この成功の噂は各地に広まり、日本軍の前進に伴ってこれを模倣した難民区の設置が南京や漢口で試みられた。南京安全区の着想はここにある。
  • ジャキノーの安全区が大きな成果を収めたのに対して、南京安全区国際委員会は日本軍から効果的に難民や敗残兵・女性を保護することはできなかった。
  • ラーベにまつわる要因:ジャキノーは難民の保護のためなら日本当局とも積極的に協力することを厭わなかったが、ラーベは直接的な性格で日本に対する苛立ちを表に出しがちであった。また、ラーベはジャキノーと違って日本軍の現地当局とも各国の外交団(その多くは上海にいた)とも緊密な人脈を持っておらず現地での交渉が拙かった。その結果、交渉や外交的圧力を望むにあたって、ベルリンや東京に電報を送って対応を望むなど遠回りな方法を取らなければならなかった。
  • 南京と上海の違い:ジャキノーが活動した上海は国際港として通信・郵便のインフラが十分整備されていたのに対し、南京の通信・郵便網は著しく貧弱であった。南京安全区国際委員会は日本軍とのやり取りを軍用無線などで行っており、アメリカの外交使節とのやり取りはアメリカの軍艦を通していた。また、郵便も軍艦による輸送に依存しており、それが到着するかどうかは軍艦が出航するかどうかに依存していた。この結果、委員会の交渉には通信面において障害が多く円滑なコミュニケーションに難があった。
  • こうした様々な要因から、南京安全区国際委員会はその立ち位置について日本側から公式な承認を得ることができなかった。
  • 元版では大体このような内容の出典から「上海安全区とは異なり中立性に疑義があったため日本からは承認されず、非公式なものであった」という文章が作られていますが、これは出典の内容を正しく反映した記述になっていないです。
  • また、この文章は池田悠氏の出典から作られた文章に連続されているのですが、Marcia Ristaino氏は同書の中で「こうした(引用注:20万、30万という犠牲者数の推計とは)対照的に、日本の修正主義者たちは南京虐殺(Nanjing Massacre)など存在せず、ヨーロッパのホロコースト否認論者の如く歴史の捏造に過ぎないと主張している(中略)「正しい」数字がどうあれ、また多くの学者・研究者が東京裁判の数字を受け入れているように見られるが、1937-38年の南京虐殺が恐るべき出来事であったことに疑問の余地はない(p. 91)」と記述しています。『一次史料が明かす南京事件の真実ーアメリカ宣教師史観の呪縛を解く』という書名からして、池田氏とRistaino氏の立ち位置は真逆であることは確実で、にもかかわらずRistaino氏の出典と池田氏の出典の記述が文脈を共有しているかのように接続されているのも適切とは思われません。こうした出典の利用法がこの記事にあった「根本的な問題」の1つであると認識しているので、改稿を提案した次第です。私としては記述が退化しているとは思いません。--TEN会話2024年1月29日 (月) 15:41 (UTC)[返信]
    ○多くの概説書で基本文献として挙げられているのがこれらの書籍だからです
    →その多くの、の基準が分かりませんし、例に挙げられた臼井勝美氏のご著書をスタンダードであるとする理由は何でしょうか?
    ○出典の記述粒度に合わせたのみです。
    →人数を適当に書いた笠原氏の出典に合わせて、事実に反して人数を変えることは、粒度の問題では無く、単なる誤りです。不正確であると認識されているのなら、なおさら不誠実です。読者にとって。
    粒度の問題ではありません。
    ○南京安全区は不承認であったとしていることは、日本軍の回答を見ればわかることです。(池田悠の本でも引用されています)
    Marcia Ristaino氏は単に一例で引いているに過ぎません。
    また、Marcia Ristaino氏の南京事件についての見解ではなく、安全区が公認されたものか、不承認であったかということについてのみ論じています。
    Marcia Ristaino氏は、明確に不承認と書かれていたかと思います。
    安全区は非公認/不承認であったということは明確に示すべきです。
    もしMarcia Ristaino氏を引用することにご不満でしたら、日本軍の回答を引かれれば良いかと。
    私がお伝えしているのは、まるで公認されたものの様に記述されているのは明確な誤りであるということです。
    そういった点を指して退化と指摘しています。--Harukaikeda会話2024年1月29日 (月) 16:13 (UTC)[返信]
  • 大胆な編集じたいウィキペディアで否定される行為ではありませんが、当記事は膨大な資料を元に多数の執筆者により加筆されてきた経緯があり、今般の編集によりそのうちのいくつもが無断で除去され(おそらくは特定の引用元の記述と矛盾すると考えられたためなのでしょう)ており、Wikipedia:中立的な観点から非常に問題があると考えております。いったんすべて巻き戻して、加筆したい論点、あるいは除去すべきと考える論点について、ひとつひとつ再検討すべきではないでしょうか。中立的な観点というのは「主題に関して、信頼できる情報源によって公表されている、すべての重要な観点を、各観点の比重に応じて公平に描写」し、仮に信頼できる情報源の間での記述が互いに矛盾していても、その引用元が信頼できる文献であるかぎり、中立的に(但しその矛盾点はwikipedia読者に理解できるよう)両論併記するべき(Wikipedia:中立的な観点で言うところの「均衡」の原則)との趣旨で申し述べています。--大和屋敷会話2024年1月29日 (月) 17:53 (UTC)[返信]
  • 今回のTENさんの編集は#記事の再構成についてにおける議論の結果であり無断ではありません。特に大和屋敷さんは以前からこのノートでの議論に参加されているためご存知のはずですが。「膨大な資料を元に多数の執筆者により加筆されてきた」としても問題があれば除去されます。それと「おそらくは特定の引用元の記述と矛盾すると考えられたためなのでしょう」という推測で「Wikipedia:中立的な観点から非常に問題がある」と断ずることも問題があります。それとHarukaikedaさんは出典に基づく記述に対して「自分が間違ってると思うから」で異議を唱えるのではなくきちんと反対の出典を出してください。その出典の信頼性が認められれば大和屋敷さんのいう「出典が矛盾していて両論併記が必要な状態」が真に発生することになるでしょう。--フューチャー会話2024年1月31日 (水) 10:30 (UTC)[返信]
    元々、出典付きで解説してあったものを、比較もなく、勝手に(とりあえず私は書き換えられるまで知りませんでした)削除して書き換えたから、指摘しているのですよ。
    そもそも元々の記述に対して、その出典を確認しつつ、修正するのが筋なのではないでしょうか?
    また、今回特に指摘している国際委員会のメンバー・人数の誤りに関しては、
    やり取りを見ていただければ分かるように、事実としてTEN氏も私の指摘が正しい事を認めつつ、笠原氏の記述の粒度に合わせることが良いという、不思議な論理をかざしておられる。
    両論併記という問題でも無く、誠実性の問題かと思います。
    こういった点でも現行の記述は問題があるのではないでしょうか?--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 11:03 (UTC)[返信]
    議論に基づく編集なので「勝手」ではありません。それと元々の記事には単に出典通りに書き直すだけでは済まないレベルの問題がありました。#記事の再構成についてをご覧下さい。22人については確かに委員会の人数ではないので、この資料のみを基にするなら書かない方がいいでしょう。--フューチャー会話2024年1月31日 (水) 11:57 (UTC)[返信]
    〉議論に基づく編集なので「勝手」ではありません。
    以前、一部の編集に携わったことのある私はその議論は知りませんでしたし、また、議論参加メンバーの方々がどんな属性の方々かも存じあげません。
    既存編集関与者の知らぬ特定の場所で、ごく一部の方々が議論した結果が全体の正となるという、論理は私は承服しかねますが。
    ただ、それがウィキペディアの流儀と言われれば、何も言うことはありませんが。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 12:09 (UTC)[返信]
    ひとまず、論点は具体的には国際委員会関係だけでしょうか。ならば、その点に絞って改善案の文言を提案された上で、合意を目指すというのが建設的かと思いますが。 --2001:240:242F:85FD:E452:18FA:AC82:7346 2024年1月31日 (水) 13:23 (UTC)[返信]
    単に、一番目立ち、一目でわかる明らかな誤りが、国際委員会です。
    そもそも論で言えば元に戻すべきと思います。全体として退化していると思いますので。
    旧版で、東京裁判から始まるのは不自然ではないと思います。何故なら一般の日本国民が知ったのがその時であり、国際的な判定が初めてなされたのがその時だからです。
    また何よりの問題は、元の版では冒頭部分で、虐殺の有無、も論争があると記載されていたところを、
    TEN氏の版では、標準を秦氏(いわゆる中間派)と笠原氏(いわゆる大虐殺派)に定めるたことで、虐殺の程度問題だけが論争の対象となっているとしていることです。
    これでは、実態を無視して、いわゆる無かった派が存在しないことになります。
    ウィキペディアは論争を併記する方針であったかと思います。
    何派の意見であれ、根拠がある論述は残されるべきであるかと思います。
    この点に於いて、
    以前は記載されていた根拠付きの論述を秦・笠原ラインに合わないものは削除された様ですので、
    現行のTEN氏の版は圧倒的に退化していると思います。
    私の意見は、一度元に戻すべきと思います。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 13:42 (UTC)[返信]
    他の方のご意見では、大和屋敷氏のコメント
    ー当記事は膨大な資料を元に多数の執筆者により加筆されてきた経緯があり、今般の編集によりそのうちのいくつもが無断で除去され(おそらくは特定の引用元の記述と矛盾すると考えられたためなのでしょう)ており、Wikipedia:中立的な観点から非常に問題があると考えております。いったんすべて巻き戻して、加筆したい論点、あるいは除去すべきと考える論点について、ひとつひとつ再検討すべきではないでしょうか。
    の通り、無断で削除されたものが数多あるので、いったんすべて巻き戻して、ひとつひとつ再検討するというのが正論かと思います。
    それが出来ない理由は無いでしょう。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 14:41 (UTC)[返信]
  • 国際委員会に関して、Askew氏の記述 https://chinajapan.org/articles/14/14.03-23askew.pdf が詳しいです。"22人"とも"15人"とも言い切れないようです。現在の記述を微修正すれば良い話かなと思います。国際委員会に関する主張も含め Harukaikeda さんの編集や意見の大部分は、池田悠 氏の著作に基づいていると推測されるのですが、一般に、歴史家ではない人の著作に大きなウェイトを置くべきではないと思います。原版が、秦・笠原の文献に大幅に依存しているという問題意識について、現版の中で明らかに誤りのある部分は他の信頼できる出典によって補強されるべきだと思いますが、雑多な出典から都合の良い記述だけ採用していた旧版 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=97929446 に戻す理由は無いでしょう。各論的な内容については詳しい知識が無いため判断しかねますが、池田悠氏の主張のみをもって記述内容を変えるのは難しいと思います。--Xefon会話2024年1月31日 (水) 15:50 (UTC)[返信]
    引用されたアスコー氏の論文に国際委員会のメンバーが22名という記述はありません。(私の読み落としでしたら、ココに書いてあると具体的に明示下さい)
    当該論文では日本側に提出された15名のリストを掲示されています。
    また、一応他の当時の資料について触れると、ラーベの日記では、多少メンバーが変わり、16名の記載があります。
    (アスコー氏が当該論文で別途注釈しているフィッチ氏はラーベ日記では委員会のメンバーに入っています)
    池田悠の著作は書名の通り、主に(欧米の)一次史料の引用で出来ており、その史料は全て公開されております。その引用元の資料が述べるところは、池田の意見ではありませんので信頼されて然るべきと思います。
    ご指摘の、
    ○雑多な出典から都合の良い記述だけ採用していた旧版
    の、
    雑多な出典とは何ですか?
    また都合の良い記述だけ採用していたとはどの部分を指しますか?
    信の置けない出典、解釈の不備があれば都度直すべきかと思います。
    一方で、秦氏笠原氏の論述が、他と比べて特に信頼がおけるというのは、恣意的な判断、または単なる一意見かと思われます。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 16:29 (UTC)[返信]
返信 とりあえず、まずHarukaikedaさん宛にいくつか返信します。
出典の選定について:「多くの概説書で基本文献として挙げられている」については、具体的には以下のようなものになります。
  • 臼井勝美『日中戦争-和平か戦線拡大か』2000 中央公論新社⇒笠原『南京事件』・秦『南京事件』(とりあえずこれを挙げたのは元々この記事で使用されていた出典だからです。)
  • 内田知行「第二章 中華民国」『世界歴史大系 中国史5』2002 山川出版社:⇒笠原『南京事件』
  • 石川禎浩『シリーズ中国近現代史③ 革命とナショナリズム 1925-1945』2010 岩波書店:⇒秦『南京事件』
  • 戸部良一『日本陸軍と中国「支那通」に見る夢と蹉跌』2016 筑摩書房:⇒秦『南京事件』
他にも何冊もありますが、こういったより全般的な単位の概説書・学術書が「南京事件」について端的に触れている時、その参考文献にこれら2冊のいずれかがほぼ確実に入っています。これらから、この2冊に基づいて書けば学界において最も一般的な見解から大きく乖離しないであろうと判断できますし、こうした書籍から「ある主題」について「誰が」「どのような媒体・出版社で」出した文献が参照されるものなのかを判断するというのは歴史学においては文献の検索方法として普通の手法で、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史「§信頼できる情報源の発見・アクセス方法」に記載されている方法でもあります。また、どのような媒体で発表されたものであるのかも重要です。秦氏は『正論』や『諸君』、笠原氏は『週刊金曜日』のような、党派的な性質が明白な媒体に寄稿実績がありますが、こうした概説書やその他の学術書の参照を見れば、同一人物の著作であっても、こうした媒体に出されたものは、滅多に参照されないことがわかります。これは、誰それが「〇〇派」だとか「中間」だとかいう話とは関係が無いことです。
両論併記:これについては前にも一度書いたのでそちらを参照いただきたいです。あとはWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けを良く確認ください。基本的に概説書や学術書の類で、南京事件の有無について「両論」併記されていることはありません。これは重みづけの観点で極めて重要なことです。
南京安全区国際委員会:委員会の詳細に特別な重要性はないだろうと思うので、数字を省くなり別の出典の記述を使用することで合意できるならそれで良いとは思います。確認した出典による限り、南京安全区国際委員会が南京事件において果たした役割は限定的であり、基本的にどの出典もその動向を詳述はしていません。彼らが事件において重視されるのは「目撃者」であることによるように思われます。実際、Harukaikedaさんが提示されたMarcia Ristaino "Jacquinot Safe Zone: Wartime Refugees In Shanghai"の記述も「なぜ南京安全区国際委員会は効果的な活動ができなかったか」について分析しているわけですし、彼らの残した記録の史料の性質について記述されていれば他の点は些細なことかと思います。
「勝手に」:既に書いて下さってる方がいますが、改稿は議論の中で提案したもので「勝手に」と形容されるのははっきり言って理不尽に感じます。ある人はWikipediaに新しく参加し、ある人はWikipediaから離れているわけで、全ての人が気付くように議論するのは不可能です。このノートにはコメント依頼が出されており、記事にはテンプレートが貼られたままで、ノートへの導線は十分ある状態であったと思います。最初に下書きを提示してから記事に反映するまで1か月の時間があり、この点に問題があったとは考えていないです。--TEN会話) 2024年1月31日 (水) 16:39 (UTC)--TEN会話2024年1月31日 (水) 17:07 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。何よりも現状の学(術)会のスタンダードに合わせるべきだとのお考えと、理解しました。
現状、そのスタンダード見解に反する証拠(信頼できる一次資料)を削除して、見えなくし、無条件にその見解の維持に寄与しているかと思います。
私は、その反証となる証拠も参照することが出来、自分の頭で検討することが出来ることがウィキペディアの価値であると思っていましたが、ご意見が異なる様ですね。
論拠よりも権威を優先しているように感じます。
○委員会の詳細に特別な重要性はないだろうと思う
というのも、既存の学会のスタンダードの見方の延長ならば、そうなろうかと思います。
私は確かな論拠資料に基づく事実は書くべきであろうと思います。安全区が非公認であったことも含め。
既存の見方を盲目的に記載するのではなく、論拠資料を元に自分の頭で考える機会を提供することが重要なのではないかと。
○ノートへの導線は十分ある状態であったと思います
に関しては、既存の編集参加者である私は気づきませんでした。またアラートも来ていません。記事が根拠を示されず、突然、削除されたわけで、やはり勝手に、と感じています。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 17:43 (UTC)[返信]
厳しいことを言いますが、「既存の編集参加者」であるにもかかわらずノートでの議論に気づかないのは普段からノートをチェックしていない重大な過失だと思いますよ。私が#記事の再構成についてへのリンクを2回も示したのに、「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」とあたかもこのノート以外の別の場所で議論されたかのような書き方をするぐらいですし。まず#記事の再構成についてを読んでください。そうすれば「根拠を示されず、突然」「勝手に、と感じています」がとてつもない勘違いだとわかると思います。--フューチャー会話2024年1月31日 (水) 22:15 (UTC)[返信]
自分の編集が議論の対象になったのでしたらアラートも来るでしょうし、確認するかと思います。
南京事件に関して色々な議論がある中、通知もなく、ノートの確認が必須とされるご意見は違うと思います。--Harukaikeda会話2024年2月1日 (木) 01:17 (UTC)[返信]


15名とする史料と16名とする史料があるようなので、そのように記しました。国際委員会が、残留した約20人の外国人を中心に結成されたことが重要で、細かい人数は微修正で済む些細な問題だと思います(22人の外国人の大部分によって、とかでしょうか。22人も諸説あるようですが。)。この部分一番目につく誤りであるならば、他の部分も細かい修正で済む話だと思います。
Wikipedia:信頼できる情報源 『学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます。』とあるように、池田氏・展転社は信頼性の高い二次資料とは言い難いと思います(本の内容が間違っていると批判しているわけではありません)。比較して(軽く調べただけですが)秦・笠原両氏の著作は広く引用されていて、この分野の第一人者といってさしつかえないように感じられました。(他に東中野氏の著作も広く知られているようですが、中立性に疑問が残ります)
雑多な出典や都合の良い記述に関しては、私や他の方がノートで指摘しているとおりです。問題は旧版がそのような記述が多すぎることです。
--Xefon会話2024年1月31日 (水) 17:23 (UTC)[返信]
加筆修正--Xefon会話2024年1月31日 (水) 17:35 (UTC)[返信]
○国際委員会が、残留した約20人の外国人を中心に結成されたことが重要
→申し訳無いですが適当に書くのを辞めて頂きたいです。
国際委員会の設立に携わりながら、残留しなかった(つまり22人に入っていない)メンバーも複数います。
こういったところを誤魔化すと、それは何故か?といった考える機会が失われる訳です。国際委員会の性質を考える際に重要なポイントです。
○東中野氏同様に、秦氏、笠原氏も中立性き欠け、また、論述に問題があると考えています。ベースにする信頼性は無いと思います。
だからこそ旧版では、様々なポイントで論争が起きていたと思われます。
言い換えれば、信頼できる二次資料が確定出来ないので、論争があったのだろうなと思われます。
それを突然、無理やり、秦・笠原ラインをスタンダードと決めるのはやはり退化だと思います。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 18:03 (UTC)[返信]
再三説明していますが突然でも無理矢理でもないですし、現状の版に問題があるとしても以前の版にはもっと重大な問題があるため、戻す方が退化します。一つの資料で両論併記されていないことは、直ちに両論併記すべきでない理由にはなりませんが、両論併記すべきなのは信頼できる資料同士が矛盾している場合であり、併記するほどの信頼性がないなら併記すべきでないことになります。逆にどの資料も信頼できないなら、極論ですが記事自体を削除することになります。また、Wikipediaでは資料の内容自体の真偽の判断を禁じられているため、信頼性の判定にはある程度権威に頼らざるを得ません。--フューチャー会話2024年1月31日 (水) 22:28 (UTC)[返信]
信頼出来る二次資料が無いのなら、おっしゃるとおり、スタンダードを削除すれば(定めなければ)よいのでは?
一例として、ここでの国際委員会についての議論で、笠原氏の論述が信頼に値しないことはご理解頂けたでしょう。
旧版では信頼出来る一次資料の引用もそこそこあり、それが併記されることで、信頼性を保っていましたが、そこを勝手に削除されたことで、明らかに退化したと思われます。--Harukaikeda会話2024年1月31日 (水) 23:45 (UTC)[返信]
コメント 私は編集が行われたのちにノートに参加した者として、議論をへた編集であることを確認し、同意しました。私の意見は#記事の再構成についてで2024年1月30日 (火) 12:52 に書いた通りで、これまでの議論をへた編集を取り消しにする提案には反対します。この節について、ひとまずコメントします。
  • 節について。この節は「1/21のTEN氏による大幅書換えについて」ですけれど、ノートページのガイドラインWikipedia:ノートページのガイドライン#ノートページでの見出しづけに書かれている「見出しで特定の利用者に呼びかけない」に近く、適切ではありません。すでにある「記事の再構成」に書けばよかったのではないでしょうか。「記事の再構成」に書ける内容を別の節にすることで、議論が分散して記録が追いにくくなっています。
  • Harukaikedaさんの表現について。(1)「なんか勝手な解釈」「単なる押し売り」「退化」「偏見の強い」などは、利用者の行動のルールにあるWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:腕ずくで解決しようとしないに該当するのではないでしょうか。発言内容とあわせると、節名も特定の編集者を攻撃する意図があるように見えますが、大丈夫でしょうか。(2)「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」というのは、Wikipedia:記事の所有権を誤解していると考えます。Wikipediaにはウォッチリストなどの機能もありますので、私はフューチャーさんの 2024年1月31日 (水) 22:15 の発言に同意します。
  • Harukaikedaさんは「そもそも論」という表現を使ってらっしゃいますけれど、そもそも論ということでしたら上記のようなWikipediaの方針や機能についての再確認をおすすめします。こうした状況でも、Harukaikedaさんに丁寧に対応している他の方々には敬意を評します。 --Moke会話2024年2月1日 (木) 05:04 (UTC)[返信]
    ・本文上の特定の大修正の投稿について言及したく、分かり易い題名にしました。
    ・本文でウォッチリストは登録していましたが、アラートが来なかったことはお伝えしておきます。
    既存編集参加者がタイムリーに変更に気付く(=反論の機会を提供する)仕組みが働かなったのは問題ではないかと感じてはいます。
    ・色々と表現についてご指摘頂いていますが、所有権を誤解、という表現も決めつけで失礼な表現と思いますが、いかがでしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月1日 (木) 06:29 (UTC)[返信]
    • 私は、節名に編集者名を入れるのは不適切だと考えますけれど、Harukaikedaさんは適切だと考えているということで理解しました。
    • Harukaikedaさんが「特定の大修正の投稿について」とする言及は、「記事の再構成」に書けば問題ないように見えます。あえて議論を分散させて分かりにくくするのは反対です。ただ、TENさんの編集について「修正」という解釈をなさっている点は了解いたしました。修正されたのであれば大筋の方向は問題ないのではないでしょうか。細部について具体的にご指摘を「記事の再構成」で提案すればよろしいかと思います。
    • 「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」でなされた議論に従えないという主張であれば、このノートにかぎらずWikipedia全体に関わる話題なので、Harukaikedaさんは記事の所有権について誤解をなさっていると私は考えます。「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」でなされる議論の問題視や改善については別の場所での提案をおすすめします。
    • Harukaikedaさんは、ご自身の表現は問題ないとお考えでしょうか? 私が 2024年2月1日 (木) 05:04 で指摘した表現について訂正はありませんか?
    • Harukaikedaさんは、すでに他の方からさまざまな指摘をされていますけれど、 2024年2月1日 (木) 06:29 のお返事は、Wikipediaの方針や機能についての再確認はしないという発言として受け取ってよろしいでしょうか?
    --Moke会話2024年2月1日 (木) 07:06 (UTC)[返信]
    ・題名は、本文の、どの投稿か分かり易いかと。私は修正履歴で探して分かりましたので。
    ・〉修正されたのであれば大筋の方向は問題ないのではないでしょうか。
    →私はすべての手入れを修正と認識しています。適切かどうかに関わらず。
    ・所有権への誤解は無いと思います。またそういった主張はしていないかと。
    ・まず、個人攻撃の意図はないです。
    その上で、新原稿については退化だと思っています。
    ・ご教示頂いたWikipediaの方針については拝見しています。ありがとうございます。--Harukaikeda会話2024年2月1日 (木) 07:29 (UTC)[返信]
    通常本文をウォッチリストに登録すればノートも登録されます。私は本文のみ登録する方法を知らないのですが、Harukaikedaさんがその方法を知っていて意図的にそうしていたのなら、アラートが来ないのは自己責任です。--フューチャー会話2024年2月1日 (木) 07:38 (UTC)[返信]
    その様な操作はしていません(知りません)、としか言えませんが。。--Harukaikeda会話2024年2月1日 (木) 07:41 (UTC)[返信]
    それではまず、ご自身のウォッチリストにこのノートが入っているかを確認してください。--フューチャー会話2024年2月3日 (土) 07:27 (UTC)[返信]
    本文にも、ノートにも★はついています。
    ただ、ノートの中の、この節?スレッド?(私が立ち上げたココ)にだけ、購読解除のマークが表示されるので、現状それ以外は購読されていないということでしょうね。
    ここは私が書いたから自然に購読登録されたのでしょう(たぶん)。--Harukaikeda会話2024年2月3日 (土) 08:00 (UTC)[返信]
    リストの側にこのノートは表示されているでしょうか。--フューチャー会話2024年2月3日 (土) 23:15 (UTC)[返信]
    Harukaikedaさんはアラートが来ていないことを「勝手」に編集された根拠の一つにしています(2024年1月31日 (水) 17:43や2月1日 (木) 01:17)。しかし、Harukaikedaさんが想定しているアラートの機能は、Wikipediaには存在しないのかもしれません。フューチャーさんが確認しようとしている点もそこに関連しています。
    「自分の編集が議論の対象になったのでしたらアラートも来る」という発言(2024年--1月31日 (水) 17:43や2月1日 (木) 01:17)も、私には意味が分かりませんでした。
    まずWikipediaの機能について確認をした方がよいのではないでしょうか。フューチャーさんの2024年1月31日 (水) 22:15の発言、TENさんの2024年2月3日 (土) 15:55の発言と重複する指摘になります。 --Moke会話) 2024年2月4日 (日) 08:14 (UTC), --Moke会話2024年2月4日 (日) 08:23 (UTC)[返信]
    以前、私の編集した部分への新編集はアラートが来ていた様な気がするもので。
    そもそも無い機能でしたら、アラートに関しては忘れて頂いて結構です。
    ご確認ご教示ありがとうございました。--Harukaikeda会話2024年2月4日 (日) 08:32 (UTC)[返信]
    Harukaikedaさんの「自分の編集が議論の対象になったのでしたらアラートも来る」「既存編集関与者の知らぬ特定の場所」等の発言は、Wikipediaの機能に関する誤解ということで理解しました。また、その点についてフューチャーさんや私などが時間を費やしたことも再確認しておきます。--Moke会話2024年2月5日 (月) 05:48 (UTC)[返信]
    一応、1/21に書き換えがあって、その後、偶々、書き換え後の本文を確認して、初めて大幅なかつ私の以前の編集も含めての書き換えがあった事に気付いたという経緯は、改めてお伝えしておきます。--Harukaikeda会話2024年2月5日 (月) 05:55 (UTC)[返信]
    そういえば余談ですが、他にも最近新たに気付いた方が書き込まれているみたいですね。
    私同様、改定への議論を知らなかった方は多いと思いますので、今後もそういった方は増えるのではないでしょうか。--Harukaikeda会話2024年2月5日 (月) 06:00 (UTC)[返信]
    Wikipediaの機能についてご理解くださり、ありがとうございます。今後も参加する方々はいるでしょうから、もしHarukaikedaさんと同様にアラートについてのご意見を書く方がいらしたら、フューチャーさんが労をとられたようにHarukaikedaさんも対応していただければ幸いです。Harukaikedaさんは当初ご自身でよく確認されずに書かれており、そのために私はさておいてもフューチャーさんやTENさんが時間を費やしております。--Moke会話2024年2月5日 (月) 06:22 (UTC)[返信]
    返信 提案時に気付けなかったというのは申し訳ありません。しかし、その議論をしていた場所はこのノートであり、どこか見えない場所でしていたわけではありません。前にも書いた通り、Wikipediaの機能的に過去の編集者全員に確実に伝わるように議論をすることはできないことをご理解ください。--TEN会話2024年2月6日 (火) 03:39 (UTC)[返信]
  • Harukaikedaさんの主張する事実は、池田氏の著作に基づく「委員会が、アメリカ宣教師によって、国民党に協力するために作られた組織だった」という結論に、読者が"自分の頭で考えて"達するようにために必要なのでしょう。
そのために「安全区のメンバーが15人でアメリカ人中心だった」「中立性に疑問があるため、安全区が日本に承認されなかった」 という部分を強調されているのだと思います。このうち後者の「中立性」の部分は通説と異なり、池田氏の意見に過ぎないと思います。
「委員会は勇敢に残った西洋人が中国民間人を保護するために設立され、彼らの努力により犠牲者数が減った」という通説に基づけば、正確な構成メンバーもあまり重要ではない記述です。そのため厳密に書けば「約22人の西洋人が残り、そのうち約15人の西洋人が委員会を設立した」を、出典に沿って「22人によって設立された」と書くのは確かに事実に反していますが、重大な誤りとまでは言えないと思います。
ただ、誤りなのもどうかなと思うので、「残留した22人の外国人の大部分によって立ち上げられた」に訂正するのはどうでしょうか。 --Xefon会話2024年2月2日 (金) 11:22 (UTC)[返信]
事実を追うことで、何らかの結論に辿り着いたのなら、それが真相なのでは無いでしょうか?
国際委員会のメンバーにつきましては、前回も指摘したと思いますが、設立メンバーに加わりつつも、南京戦前に離脱したメンバーが複数います。不思議だと思いませんか?
因みにこの事実は、ご自身が提示されたアスコー氏の文献の15人と22人のリストを比べれば明らかですのでご確認頂ければと思います。
通説に合うように事実を作り変えることは本末転倒でしょう。
正確に言えば中立性の維持に疑問ですかね。あまり意味は変わらないと思いますが。
日本軍の国際委員会への回答(ジャキノ神父経由のもの、直接の回答)を確認されれば、それは明らかと思いますよ。--Harukaikeda会話2024年2月3日 (土) 07:55 (UTC)[返信]
返信 とりあえず、Wikipediaでは前版への差し戻し以外でアラートが来ることは基本的にないはずなので、それがなかったというのは特に変なことではないです。また、HarukaikedaさんもまずWikipediaの方針とガイドラインをある程度把握していただきたいです。
信頼できる一次資料:Wikipediaの方針(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)を参照ください。一次資料が信頼できるかどうかはWikipediaの編集者の判断ではなく信頼できる二次資料によって専門家がそう評価していることを確認して評価しなければならないです。「その反証となる証拠も参照することが出来、自分の頭で検討することが出来ることがウィキペディアの価値であると思っていましたが、ご意見が異なる様ですね。論拠よりも権威を優先しているように感じます」というのもまず方針を確認ください。Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価にあるように、「権威ある情報源」を利用して記事を構成することが要求されますし、スタンダードに反する証拠というのも、それが取り上げるに足るべきものであることは「信頼できる情報源」に基づいて確認しなければなりません。さらに、その重要性についてもWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けにある通り、信頼できる情報源に従って説明の比重や掲載する・しないを考える必要があります。
委員会の重要性:「〇委員会の詳細に特別な重要性はないだろうと思う(改行)というのも、既存の学会のスタンダードの見方の延長ならば、そうなろうかと思います」というのであれば、上記の方針の下、Wikipediaでは学会のスタンダードに従った記述をするべき、という話で終わりだと思います。学会のスタンダードに対してWikipedia編集者が自分の頭で考えた、あるいは自分が発見した反証を記述するのは独自研究そのものですし、「学会ではこのように言われているが、そうではない反証がある。自分の頭で考えましょう」というスタンスでの記述は文体をどのようにせよ、演説・宣伝そのものです。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを良く確認ください。個々人の考え方どうであれ、Wikipediaというのはそういう基本方針で運用されているのであり、この記事ではこれらがあまりに無視・曲解されていたのが問題の根本にあります。
Marcia Ristainoについて:一応、池田悠『一次史料が明かす南京事件の真実 アメリカ宣教師史観の呪縛を解く』(2020)の記述も確認してみました。そしてわかったこととして、「上海安全区とは異なり中立性に疑義があったため日本からは承認されず、非公式なものであった」という部分を含めて、この部分の本当の出典は池田 2020であるということがあります。同書p. 50の記述は「南京の安全区は、上海と異なり日本側から認められず、非公式なものであったことは上海安全区を研究されたマーシャ・リスタイーノ(Marcia Ristaino)氏の著作『ジャキノ安全区:上海の戦争難民(Jacquinot Safe Zone: Wartime Refugees In Shanghai)』P八一にも『南京安全区 不承認(unupproved)』と明らかなのであるが(以下略)」とあり、参照箇所、一文のみを抽出して著作自体の文脈を無視している部分まで元版の記述と全く同じになっています。なお、このRistaino 2008 p. 81の"THE NANJING SAFETY ZONE UNAPPROVED"は本文でもなく、"The Jacuinot Zone Copied"という章の中の小節のタイトルであり、"THE HANKOW UPPROVED SAFE ZONE"とともにジャキノー神父の活動に触発されて各地に設置された安全区がどのような進展を辿ったかを説明した箇所ですが、池田 2020 p. 51にあるような「南京安全区が不承認であったという事は、これは"Safety Zone(=安全区)"ではなかったということを意味する。つまり、南京の安全区は挙行の存在であった」というような内容を全く含んでいません。出典元自体でそれが行われているという点が特殊なケースですが、はっきり言ってこれはWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の具体的な実例で、Wikipedia的には許容されない出典の用い方であろうと思います。『現代アジア辞典』から「とされる」という4文字だけが(同書の他の部分はほぼ無視して)記述の根拠とされていたように、「THE NANJING SAFETY ZONE UNAPPROVED」というたった5単語が208ページもある書籍から引き抜かれて、全く異なる文脈に接続されていたのであり、元々の南京事件の記事の問題が出典の取り扱いに対する、根本のところで共通した姿勢によるものであることがこの点からも明らかであるように思います。--TEN会話2024年2月3日 (土) 15:55 (UTC)[返信]
〇結局信頼できる二次資料が編集のカギであり、TENさん他、以前の議論でそれは学術書で多く引用されている、笠原氏・秦氏のものと決まったと理解しました。
それに対し私が委員会メンバーを例に指摘したのが、その信頼できるとされた二次資料に誤り(他の一次資料や二次資料を正とした場合)がある場合はどうするのかということです。
TENさんのご回答をみると、一次資料や他の二次資料に信憑性があろうと、既に委員会については笠原氏の記述を正としたのだから、訂正は必要がない、というご意見と思います。
Wikipediaのルールの解釈によると、それも一つの考えなのかもしれませんが、
学術界の権威を優先するあまり、事実を追求するという点では、逆に記述の信頼性を欠くということになるのではないかと懸念します。
これまで多くの記載があったのは、学術的に権威あるとされる二次資料が、一次資料に対し多く矛盾あるなどの状態の解決を図った結果なのではないかとも思われます。
ここで、改めてwiki上で笠原氏秦氏を標準と定めることが、適切なのか、いまだに釈然としません。
〇Marcia Ristaino氏が安全区を不承認としている件について、コメントを頂きましたが、
『一次史料が明かす南京事件の真実 アメリカ宣教師史観の呪縛を解く』の該当部の記述について、①本来、離れているものをくっつけて、また②併記してある一次資料の記述を無視することで流れがわからなくなって、
不思議な読み方をされているなと思います。
①についてですが、
p. 51の「南京安全区が不承認であったという事は、これは"Safety Zone(=安全区)"ではなかったということを意味する。つまり、南京の安全区は虚構の存在であった」
という文を、まるで、Marcia Ristainoの南京安全区不承認(unapproved)という記述の説明のよう解釈されていますが、池田の本の原文を確認しますと、マーシャ氏を引用した部分はp50で終わっています。
別の文を挟んで「ところで、」と池田悠のunapproved安全区についての考察部分での話です。この部分をマーシャ氏の意見であると誤解する方は一般にはいないと思います。
②についてですが、
P50「南京の安全区は、上海と異なり日本側から認められず、非公式なものであったことは上海安全区を研究されたマーシャ・リスタイーノ(Marcia Ristaino)氏の著作『ジャキノ安全区:上海の戦争難民(Jacquinot Safe Zone: Wartime Refugees In Shanghai)』P八一にも『南京安全区 不承認(unupproved)』と明らかなのであるが(以下略)」
について、
日本側から認められずというのは、それを示す以下の資料に拠ります。
「日本当局は安全区設置の要望を確かに認識しましたが、残念ながら、認めることができません。中国軍による市民や財産に対する非違行為について責任を負うことは出来ず、しかし、軍事上の要件〔=非軍事・中立性〕が満たされている限りにおいて、そのエリアを尊重するよう日本軍は努力します」 (1937/12/2 ジャキノ神父からの国際委員会への返答 *Yale)
“Japanese authorities have duly noted request for safety zone but regret cannot grant it. In the event of Chinese forces misbehavior towards civilians and/or property cannot assume responsibility but they themselves will endeavor to respect the district as far as consistent with military necessity.”
この文書は上海安全区創設者のジャギノ神父が書いた手紙であり、ジャギノゾーンの研究者であるマーシャ氏が確認しないはずはありません。また確認したからこそ『南京安全区 不承認(unapproved)』と表記したのでしょう。根拠なくunapprovedとは書かないでしょうから。
また、マーシャ氏の著書は、上海安全区についての著書であり、南京安全区非公認というのも、公認された上海との対比であることは間違いないでしょう。上海と異なりという記述はマーシャ氏の意図に沿ったものと思います。
「THE NANJING SAFETY ZONE UNAPPROVED」
が何百ページの中の単なる一記述であると、不思議な過小評価をされている様に思いますが、一か所であろうと、マーシャ氏が、研究の結果、責任をもって書かれたものであろうことは間違いがありません。
また、①でご説明したように、池田もマーシャ氏のその記述にそれ以上の意味を持たせてはいません。
・・・
そこで疑問なのは、池田もマーシャ氏も、単純に、南京安全区を非公認であると言っているところ、
また、逆に公認されたものであると反証している研究者が皆無な中、
なぜ、その非公認の事実を伏せようとするのでしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月3日 (土) 23:35 (UTC)[返信]
返信 Wikipediaの方針について:「学術的に権威あるとされる二次資料が、一次資料に対し多く矛盾あるなどの状態の解決」というのはWikipediaですることではありません。改めて記載しますがWikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性をはじめとした方針を確認ください。
記述の誤りについて:信頼できる二次資料間で矛盾があるならば、記事主題、他の文献の記述、内容などからより信頼性の高いであろう記述を採用することになるでしょう。以前にも書いた通り委員会の詳細に特別な重要性はないだろうと思うので、数字を省くなり別の出典の記述を使用することで合意できるなら私としてはそれで構いません。
出典に対する言及の仕方について:「南京事件」の記事の元版でも池田 2020のp. 50-51の記述でもそうですが、①日本は南京安全区を承認しなかった→②日本軍の回答はこれである→③南京安全区が不承認であったことは安全区は虚構の存在であったことを意味する、という文脈の中で、①のみの論拠としてRistaino 2008のp.81から出典自体が持つ趣旨を無視して小節タイトルの5単語のみを抽出し組み込むやり方は、一般的な先行研究への言及の仕方として非常に不適切ですし、Wikipedia的にもやってはならない出典の利用方法だということを指摘しています。なお、Harukaikedaさんが引用するジャキノーの文章をRistaino 2008は同じ章の中で一部引用していますので推測によらずともRistaino氏はその史料も確認していることは確実です。そして、先に書いたように、Ristaino 2008がこの章で述べていることは、「上海と異なり南京安全区が成功しなかった理由、日本側から承認を獲得できなかった要因は何か」という観点での上海の事例との比較であり、その概要は以前書いた通りです。この出典を池田氏の論考と接続するのはつとめて不適当です。Ristaino 2008を「南京事件」の記事に出典として付け加えたのは履歴を見る限りHarukaikedaさんだと思うのですが、小節のタイトル以外の記述を確認されているでしょうか。
安全区の不承認について:なお、Ristaino 2008は信頼できる情報源として扱えると思いますので、南京安全区国際委員会の不承認に関する情報をもっと詳細に記述する必要があるということであれば、Ristaino 2008に基づいて概要を記述するのはありだと思います。--TEN会話2024年2月4日 (日) 04:22 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。
一応お伝えしますが、池田悠の論考を採用せよ、という趣旨で書いていませんので。
南京安全区がさも公認であるかの様な記述になっているのが事実と明確に異なることを指摘しました。
①②は明確であると思いますので、
それではマーシャ氏の文脈で安全区が非公認であることを明示すればよいのでは無いでしょうか。
繰り返しになりますが、さも公認であったかのように扱われていることで世間の誤解の元になっていますので。
※因みにマーシャ氏の記述なら採用となる理由は何でしょうか?知見が狭くて恐縮ですが、国内で多くの学術書に参照されていることは知らないのですが。
安全区のメンバーについては事実に即した記述であれば当然ながら言うことはありません。
さて、今回の件で指定した誤りがあった様に、果たして笠原氏の記述が信頼に足りうるのか?という疑問はやはり残ると思います。
笠原氏(今回秦氏について議論していないので今回こちらは問いませんが)をスタンダードとする決定は適切なのでしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月4日 (日) 04:48 (UTC)[返信]
追記:今回ご提示頂いた基準、また実際の改訂を拝見し、理解を記します。
これまでの、主に一次資料を元にした、今回の基準では信頼出来る二次資料とは判定されない、既存の膨大な研究(学者によるものを含む)が、今回の改訂基準では不採用となると理解しています。
その中には、信頼出来る有用な知見もあったかと思いますが、それは今回の基準による信頼出来る学術研究者により取り上げられるまでお蔵入り、ということですね。少なくともこのwikiの場では。
やはり権威主義的なものを感じ、また情報の提供という観点からは退化を感じますが、wikiの提供する情報はその様なものなのですね。--Harukaikeda会話2024年2月4日 (日) 05:29 (UTC)[返信]
一つだけ。非公認であると書かれていないことは、公認であると書かれていることにはなりません。ご理解ください。--フューチャー会話2024年2月4日 (日) 05:34 (UTC)[返信]
安全区は、最初に作られ、日中が合意して公認された上海安全区が標準であると思います。
普通に安全区、という言葉遣いは公認されたものであるという誤解をあたえます。
当時も、日本側が否定していたからだと思いますが、ジョンソン大使は非公認安全区を、The zoneと、面白い呼び方をしています。--Harukaikeda会話2024年2月4日 (日) 05:43 (UTC)[返信]
返信 Ristaino 2008の日本語文献での引用例(というより南京国際区の承認不承認について特別に言及している例)は今回の編集にあたって確認した資料の中では私も見ていません。一応Google Scholarで複数の引用例があることが確認でき、出版元的にもWikipedia:信頼できる情報源#歴史的には該当するのはないかと考えます。もっとも非常に雑な確認であることは自覚しており、自信をもっているわけではないですが、安全区の承認の問題についての記述について共通点が見出せるならという感じです。--TEN会話2024年2月6日 (火) 03:39 (UTC)[返信]
マーシャ氏の文献は、出版元的にも、Wikipedia:信頼できる情報源に該当するのでは、との記述了解しました。
私も、出版元、またご本人のご経歴的にもその様に思います。
ところで、笠原氏とともに、信頼があるとしてTENさんがスタンダードに据えられた、秦氏の記述についても言及いたします。
秦氏については、ご提示いただいた、上記、信頼できる情報源に示された、歴史の専門教育を受けた方ではありません。
秦氏については、信頼できるとする根拠は、偏に、学術書での参照実績があるというところであろうと思います。
(出版元でしたら他にも多く同様に信頼できる文献があろうと思います)
先に笠原氏について、南京安全区国際委員会のメンバーという南京事件関連の基本的な事項にすら誤りがあるので、信頼性に欠けるのではないかと、申し上げました。
ここで秦氏の著作の信頼性に関しても疑義を申し上げます。
具体的に一例を挙げますと、著書「南京事件」(中公新書)で、小説「生きてゐる兵隊」(石川達三著)について、南京事件について描いたものとして賞賛をささげています。しかし、その内容は現在では原著者(石川達三氏)本人により全否定されているという事実があります。
※その石川氏が否定したという証拠資料は、「決定版「南京事件」日本人50人の証言」(阿羅健一著 扶桑社)の扉部分に、石川氏直筆の手紙<現物写真>に採録されています。wikiでは一次資料は慎重な取り扱いの上でしたら有効であったかと思います。この資料もその基準に準じるのではないかと思われます。
この一例からも秦氏の記述においても、笠原氏と同様に、他の著者のものと比べて南京事件において、スタンダードとするまでの信頼性は無いかと思います。
記述そのものに明確な誤りがあったり、原著者によりすでに否定された著作を称賛するなどの事実を無視して、
偏に、学術関連での参照が多いことによる信頼性を優先して、笠原氏や秦氏の文献には信頼性があるとみなすとは、権威の押し売りになるのではないでしょうか?
ここで、再度申し上げますが、上記の理由により、笠原氏秦氏の著書を信頼ありとして、wikiの論述のスタンダード・または骨格とするTEN氏のご提案には反対します。
改定の検討は結構ですが、まず、あまり多くの方に知られることなく、結果的に、ごく一部の方々の間で決定された、1/21改定版はキャンセルして、一度元に戻すべきかと存じます。
その前の会合に参加された大和屋敷さんも、同様の意見であったかと思います。--Harukaikeda会話2024年2月6日 (火) 09:43 (UTC)[返信]
Harukaikedaさんがスタンダードという表現を使っているので、笠原、秦を出典のスタンダードとしたのはTENさん個人の判断によるものではなく、議論をへたうえでの編集である点は再確認しておきます。私は2024年1月30日 (火) 12:52に確認して発言しました。--Moke会話2024年2月6日 (火) 10:01 (UTC)[返信]
勿論、個人ではなく前回の議論の参加にされたごく一部の方々によるOutputだと認識しております。--Harukaikeda会話2024年2月6日 (火) 10:18 (UTC)[返信]

戦時国際法からの批判

本「書き換え」においては「虐殺、および略奪・暴行・強姦・放火など」を不法行為と定義しており、これは犯罪と同義で用いられていると理解しています。

戦闘行動については一般刑法は適用されないので、その行動が慣習国際法違反となる場合に犯罪となりますが、書き換えでは特に構成要件や違法性阻却事由を意識せずに記述しているように見受けられる。

例えば、

①徴発は占領者の正当な権利ですが、徴発が略奪と異なるのは、部隊指揮官の命令により、軍需品を、対価を支払ってまたは支払を約束して供出させることです。

部隊に法幣や軍票の持ち合わせがなければ、引換証(徴発証券)を交付すればよく、また権利者が不在なら引換証を直接交付する必要はなく置き手紙でもよい。(信夫淳平、戦時国際法講義2)

ところが書き換えでは徴発ではなく略奪であった事例として、9D渡辺卯吉の証言を挙げているけれども、これは引換証の記載に不備があったことを示すだけで(権利者は経理部に出頭できているのだから)、支払いの約定が無かったことにはならないし、また、そのような引換証でも経理部が受け付けていることが証言から見受けられる。

②進軍中の放火も同様、慣習法では軍事的必要があれば文化財などでない限りは民用物を破壊できるので、中国兵やゲリラの拠点となりそうな民家への放火は違法ではない。

③「掃討の延長として敗残兵や捕虜の殺害も頻繁に行われた」とされるが、当時の国際慣習法では、投降兵(捕虜)が戦闘行動中に足手まといとなり、かといって解放もできない場合は殺害できる。(佐藤和夫、信夫淳平、Oppenheim 他) 「掃討の延長として」ならば違法では無かった可能性の方が高い。

そうすると、日本軍がもっぱら略奪放火殺人を(違法行為を)しながら進軍したという、南京事件発生の理由のひとつが成り立たなくなってしまう。

このような杜撰な記述となったのは、書き換えが準拠した歴史学者、笠原、吉田、秦が国際法の門外漢であり、かつ国際慣習法を真面目に調査しなかったからだが、

違法性の有無が争点なのに歴史学者のみに依拠して、東京裁判録、「戦史叢書」「南京戦史」などを考慮しなかった書き換え者の重大な過誤でもある。

--くまくま第二会話2024年2月5日 (月) 00:36 (UTC)[返信]

捕虜の「解決」と民間人の殺傷の項についても、
①ハーグ陸戦慣例規則には、「戦意を喪失し組織的な行動能力を失った敗残兵に対しては降伏を勧告し捕虜として待遇する」と解釈できる条項は存在しないし、そのような慣習法の存在も実証されない。慣例規則23(c)は 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコトとあり、敵兵の投降が捕虜となる前提条件である。(尚、23(c)は戦闘でのあらゆる場合に適用されるものではない(田岡良一 Oppenheim他)
② 「自軍の補給にも窮していた日本軍は制圧当初から全体として捕虜を殺害する方針で臨んでいた」
「捕虜ヲ取ラヌ方針ニテ」という中島日記の記述等が根拠だが、まず大本営、方面軍、軍共にそのような方針があったことは確認できず、派遣軍では逆に捕虜を取れと支持している(飯沼日記)。16Dも捕虜を取っており、全体として捕虜を殺害する方針はまったく実証されない。
(大本営の方針につき立川京一、方面軍ー師団までの統一した方針がなかったことにつき南京戦史)
③ 敗残兵・便衣兵の掃討と良民の選別
書き換えでは、この戦闘員掃討の違法性の有無(争点)が明らかでなく、それに拠って異なってくる誤殺された良民の殺害の違法性も明らかでない。
便衣兵につき吉田は違法とまではいえない。秦は無裁判だったことが違法、笠原は無抵抗な敵兵の殺害が違法としているが、書き換え者はおそらく違いを理解していない。
笠原、秦を採るなら住民殺害は全部違法、吉田を採るなら、抽出方法に重過失があるなら違法となる。
日焼け痕や銃だこで決定したというのが重大な過失となるかは議論がある(佐藤和夫)
また、水谷日記などによると、日焼け痕などのみで決めたというわけでもない。
ここでも引用史料は違法性の根拠として十分ではない。
いずれにせよ--くまくま第二会話2024年2月5日 (月) 01:20 (UTC)[返信]
くまくま第二くまくまさんの「書き換え者の重大な過誤でもある」などの表現は、個人または単独のアカウントを指すようにも見えるので一応書きます。(1) 議論をへた上での編集である点は確認しておきます。これまでの議論をご確認ください。(2) 意図していないと思いますけれど、くまくまさんの表現だと個人攻撃にも読めます。Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしない をご確認ください。たとえば「国際慣習法からの議論が充分になされていない」という主旨のことをおっしゃりたいのでしょうか?--Moke会話) 2024年2月5日 (月) 06:35 (UTC) アカウント名を間違えて大変失礼いたしました。--Moke会話2024年2月5日 (月) 06:39 (UTC)[返信]
信頼すべき資料に基づいた記述を編集方針とするのであれば、南京事件での「不法行為」は戦時国際法(あるいは一般刑法)違反の有無ということになるから、法学者による著述などを援用するべきです。具体的にいくつか指摘しましたが、笠原も秦も違法とする慣習法の存在を実証して記述しているのではない。
個人攻撃だとおっしゃるが、南京事件を一人であるいは数人で全部書き換えるというならば、当然に持っているべき知見を明らかに缺いているという事実を指摘したまでです。--くまくま第二会話2024年2月5日 (月) 19:32 (UTC)[返信]
返信 上に書いたように、普段近代史を細かく調べているわけではないので知見が十分でないのはその通りだとは思います。しかし、一次資料の取り扱い信頼できる情報源の指針がWikipedia的には方針・ガイドラインとしてあるのであり、元版に対する問題意識はこれを始めとした各種の方針やガイドラインが基本的に無視されている点です。これはWikipediaに参加する人が従うべき、あるいは従うことが推奨されているものであり、元版はこの点において問題が放置されている点がWikipediaの記事として過誤があります。そして歴史分野の記事としては現状の学(術)会のスタンダードに合わせるというのはWikipedia上基本的なことになると理解しています。日記にせよ戦史にせよ 一次資料の評価は二次資料によるのが基本となります。
法学者による出典があるべきというのは個人的にはその通りと思いますが、正直私は法学に関して信頼できる情報源を識別する能力はなく現状は使っていません。南京における戦時国際法の適用について学術的なスタンダードまたは有力な見解があるなら拡充されるべきだと思います。ただ、基本的に何が起きたかとそれが法的にどうであるかというのは別の話であり、戦闘員掃討や住民の誤殺というのが歴史学者によって説明されているならそれがまず記述されるように思います。違法性の有無が争点というのは少なくとも論争の話で、南京事件論争が記述を担当するところだと思うのですがいかがでしょうか。--TEN会話2024年2月6日 (火) 04:27 (UTC)[返信]
コメント 上記のコメントのように個人的には考えるのですが、正直なところ現状は合意形成の道筋が想像できません。賛同してくださったMokeさん、Zefonさん、説明の労をとっていただいたフューチャーさんには本当に大変申し訳ないのですが、大和屋敷さんの言うように一旦2024年1月13日 (土) 09:34版まで戻った方が良いかもしれません。一定期間反対がなければ合意と見なすというのはWikipediaの慣習ではありますが、この場で現実にそぐわないのは明らかで(実際、下書きを置いていた期間反対意見が付かないのは奇妙ではありました)、少なくとも「合意済み」で押し通すのはちょっと無茶があるように思います。議論に気付かなかった方々が気付いたところで一区切り、とするしかないように思います。--TEN会話2024年2月6日 (火) 06:16 (UTC)[返信]
TEN様 ご返信ありがとうございます。
2024年1月13日 (土) 09:34版がTEN様書き換え前の元版を指すのであれば、いったんそこに戻して冷静な議論が可能な状況とした上で再協議するのが適当と思います。
元版には石も含まれるのですが、ただ学術界の通説をなぞるのではなく、その不備を補う水準にある情報が多々あります。専門家による事典に対するWikiの意義は集合知による知見の深化発展にあります。
Wikiの編集基準をどこまで徹底するかは、おそらく20年近くにわたって積み重ねられてきた知見を喪うことの不利益との衡量でなければならないと思料します。
今後の議論の方向性ですが、南京事件をどう捉えるかといった大きな問題の合意には時間がかかると思う。まず個別の記述、出典につき適否を議論する形でボトムアップする方法を提案します。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 06:35 (UTC)[返信]
宛TEN 様
不法行為・違法性の議論について
南京事件関係のページは他に3つ4つありますが、この「南京事件」のページはその名称からポータルとしての性格、役割を持っています。
他のページと連携、分担が望ましいのですが、南京事件を日本軍による戦時国際法、一般刑法違反行為(笠原)と定義した場合、どの行為が違法となるのかの議論は避けられません。
違法性の問題はかなり専門的な議論になるので、これを避けるには「南京事件」のページでは違法性を問わずに殺害などの事実として記述するしかないでしょう。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 06:49 (UTC)[返信]
私への言及があったので来ました。ありがとうございます。
  • 私は2024年2月6日 (火) 04:27 のTENさんのコメントに基本的に同意します。
  • TENさんの2024年2月6日 (火) 06:16の書き込みについて1点書きますと、「議論に気付かなかった方々が気付いたところで一区切り」というのは、それまでの議論と編集をリセットするので、議論に参加した方々を含めて慎重な検討が必要だと考えます。私が2024年1月30日 (火) 12:52に若干まとめ的に書いたように、秦、北村、笠原を基礎として書き直すという方針に異議がなかったのは、TENさんが2024年2月6日 (火) 06:16に書いた3名の他にもいらっしゃると考えます。他にもありますけれど、ひとまずということで。
--Moke会話2024年2月6日 (火) 07:02 (UTC)[返信]
宛Mike様 ご返信ありがとうございます。
以前の会話はざっとでしか見ていないのであくまで印象ですが、
南京事件を把握する上で必ず挙げられる文献であるところの南京戦史、日中歴史共同研究における波多野・庄司論文、あるいは軍事史学会の論文集にある板倉論文が、
会話上では討論対象になっていなかったところに、基礎が狭すぎるのではないかと思いました。
実際のところこれらを一度は検討されていたのでしょうか?--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 07:17 (UTC)[返信]
訂正のうえ再送 (名宛人の名称誤記m(_ _)m)
宛Moke様 ご返信ありがとうございます。
以前の会話はざっとでしか見ていないのであくまで印象ですが、
南京事件を把握する上で必ず挙げられる文献であるところの南京戦史、日中歴史共同研究における波多野・庄司論文、あるいは軍事史学会の論文集にある板倉論文が、
会話上では討論対象になっていなかったところに、基礎が狭すぎるのではないかと思いました。
実際のところこれらを一度は検討されていたのでしょうか?
--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 07:22 (UTC)[返信]
返信 Mokeさん。基本的には私としては提示した案が最適だろうと考えます。ので私の提案としては基本的には下書き(現在)案に置き換えるというのがまずあります。ですがすみません、確かに議論と履歴をリセットすることになりますね・・これはこれでWikipedia的には多分おかしいのでちょっと軽率でした。「勝手に」という批判に対応するべく、改めて置き換えを提案する趣旨でした(あと、反対意見が付かないのは議論の流れ的に奇妙と感じたのは正直な感想ではあります)。--TEN会話2024年2月6日 (火) 08:19 (UTC)[返信]
返信 -くまくま第二さん。私宛のコメントではないものもまとめてになりますが返信します。すみません、上の通りですが、基本的な話としては私はこの記事の置き換え(現行版)がより良いと思っていますので、元版に戻すにせよしないにせよ、まずいくつかの文献を基にまず骨格を作るべきというのが意見になります。これは元版の構成自体に問題があるためと考えているからです。具体的には概説書で一般的に参照される秦・笠原をベースにするということになります。前の議論はできれば読んでいただければと思います。個人的には出典に関しては、使用したもの以外にもいろいろ確認はしていますが、『南京戦史』は(今は手元にないですが)資料集の方はWikipedia的には一次資料の評価は二次資料によるという点から基本的には直接引用は避けた方が良いと考えています。記述の方も基本どれが取りあげるべき記述かというのは学者の判断に依った方が良いかなと思っています。波多野・庄司論文は確認はしましたが、むやみに各論の出典を増やさない方がまとまりが良いだろうと考えて私の書いたものの中では使用していません。板倉氏に関しては少なくとも私は検討・確認していません。どの道、私が書いたものが最終版ではないのは厳然たる事実なので時間とともに新しい出典は肉付けされていくだろうとも思います。
一応今回の改定の趣旨なのですが、基本的にまず歴史学の学術的な通説に従った記述をする(Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付け)べきというのは、Wikipediaの基本原則であり「中立的な観点 (Neutral Point Of View, NPOV) は、ウィキペディアの根本的な方針の一つです」とある通りで、「学術界の通説をなぞるのではなく、その不備を補う水準にある情報」というのはWikipedia:信頼できる情報源の趣旨に沿って判定しなければならないです。これはどのような種類の記事であっても原則として同様で、「Wikiの編集基準をどこまで徹底するか」というのは可能な限り適用すべきという以外の判断はWikipediaの方針的には出てこないと考えています。方針の原則論ばかりになってしまいますが、あまりに無原則に歩んできたからこそ、まず原則を適用することをしなければならないと思っています。--TEN会話) 2024年2月6日 (火) 08:19 (UTC)--TEN会話2024年2月6日 (火) 08:43 (UTC)(訂正)[返信]
TEN様
確認ですが、 以下確認したく。
①一旦2024年1月13日 (土) 09:34版というのは、貴殿が書き換える前の版(元版という)を指すのか
②元版に差し戻しする意思はあるのか--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 09:36 (UTC)[返信]
TEN 様
①Wikiの原則を可能な限り適用することの正当性は、適用によって有用な情報も消去されることによる損失との衡量であることを再度主張します。またWikiの原則は情報源についてのものであって、元版の構成それ自体をまったく変えてしまう理由にはなりません。
② 学問上の中立的観点というのは、対抗論文があれば必ず対照し、また在野の論文であっても考慮すべきは参考として掲げて、議論の余地のあることを明らかにすることです。人口に膾炙している(と思われる)論文に絞るというのは中立とは違う。
対抗論文の権威についても、波多野・庄司論文(ご存知なかったのはいかがなものかと思う)、南京戦史を疑う者はいないはずで、構成のまとまりを理由に排除したとするなら、正しい執筆姿勢ではない。
富澤繁信氏の一連の著作はアカデミーの権威ではないが査読論文の水準にあると思われるし、東中野氏、阿羅氏についてもアカデミーではないからというだけで排除できる水準のものではありません。
③情報源の信頼性をどうやって評価するのかについて貴殿らはアカデミーの権威と人口に膾炙していることを選択した。しかしそもそもアカデミーであるかという判断基準はwikiには存在せず、信頼性の判断は、選択する側の知見の深さに委ねられる。上述の富澤氏らの論文内容の信頼性を否定する根拠を、アカデミーではないという以外に貴殿はお持ちなのか。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 10:18 (UTC)[返信]
くまくま第二さんが私におっしゃりたいのは、南京戦史、波多野・庄司論文、板倉論文が出典として重要であるという主旨でしょうか? でしたら、重要だと考えているくまくま第二さんに代わって、なぜ私が9つある過去ログを含めて前述の文献についての意見を探さなければいけないのか、理由が分かりませんでした。お力になれず申し訳ありません。
また、本題ではありませんけれど、「基礎が狭すぎる」というのはこれまで議論に参加してきた皆さんに対して強い表現だと考えます。--Moke会話2024年2月6日 (火) 10:13 (UTC)[返信]
宛Moke 殿
①私の発言は、貴殿に過去ログを探すようにお願いする主旨ではありません。
②テーマに対して当然参照検討すべき先行研究を一顧だにしない論文に対する評価として、私のような言い方は優しい方だと思います。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 10:23 (UTC)[返信]
「優しい方」というのは、Wikipediaでの議論において、という意味でしょうか? 「ざっとでしか見ていないのであくまで印象」ということであれば、議論に参加している皆さんについてかなり強い調子の印象を持たれていると考えます。
くまくま第二さんの表現は当初から強めですけれど、もし本項目についてご自身の知見を述べたいのであれば、Wikipedia:エチケットにある「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」もご参考になるかもしれません。--Moke会話2024年2月6日 (火) 10:48 (UTC)[返信]
宛Moke殿
ご指摘ありがとうございました。
私の発言は、南京事件について自分の知見に沿った内容に記述を変えさせようとする主旨ではなく、歴史学およびwikiにおいての叙述の在り方としてどうかという主旨であります。
そのこと、叙述の在り方、についてのご批判であれば、正面からお受けいたします。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 10:54 (UTC)[返信]
コメント 個人的な意見としては基本的には前と同様なのですが、正直議論を落着させるような説明を持たず、一旦改めて2024年1月13日 (土) 09:34版への巻き戻しを提案したいと思います。版についてはページの履歴を確認いただければ時刻でわかると思います。賛同いただいた方々には改めて大変申し訳ないのですが、問題点については個別の提案とさせてください。--TEN会話2024年2月6日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
宛TEN様
ご提案ありがとうございました。
haruka氏もご意見をお持ちと思いますので、同氏の諒解も得たいと思います。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 11:15 (UTC)[返信]
私にも確認のお声がけ頂きありがとうございます。
2024年1月13日 (土) 09:34版への巻き戻し
ということでしたら、
それが1/21の大改訂版の取り消しということになると思いますので、私がお願いしていたことと重なると思います。
よろしくお願いいたします。--Harukaikeda会話2024年2月6日 (火) 11:48 (UTC)[返信]
宛TEN様、Haruka ikeda様
Harukaikedaさんもご確認されたということなら、TENさんの差し戻し案に異存はありません。--くまくま第二会話2024年2月6日 (火) 12:05 (UTC)[返信]
TENさんの2024年2月6日 (火) 10:59のコメントを確認しました。コメントをありがとうございます。--Moke会話2024年2月6日 (火) 11:08 (UTC)[返信]

2024年2月9日の無断大幅書き換えについて

Wikipedia のルールにも信義則にも反しているので、直ちに元版への差し戻しを要求する。(取り急ぎ)--くまくま第二会話2024年2月9日 (金) 10:26 (UTC)[返信]

Xefon氏による、2024年2月8日 (木) 21:45‎ 以降の編集についての事ですね。
先の
・1/21のTEN氏による大幅書換えについて
・戦時国際法からの批判
での議論から明らかなように、
以前にノートでなされた議論は、ごく一部の方々の意見であることが確認されている。
また、両スレッドによる議論では、元に戻すこと以外は何の合意も取れていないことが明らかである。
編集の始まりである、Xefon氏の、2024年2月8日 (木) 21:45 において、
 (ノート:南京事件で概ね合意が取れている、不適切な出典による記述の削除)
と、記載され、さも何らかの合意が取れているような書きぶりをしているが、上記の議論を辿れば明かなように、その事実は全くない。
私も、すぐに元に戻すことを要求します。--Harukaikeda会話2024年2月9日 (金) 10:47 (UTC)[返信]
とりあえず、一連の投稿でしたので、一度全て、元に戻しました。--Harukaikeda会話2024年2月9日 (金) 11:02 (UTC)[返信]
Xefonさん、アラートが飛ぶように、こちらで一応お名前貼りますね。--Harukaikeda会話2024年2月9日 (金) 11:08 (UTC)[返信]
宛Harukaikeda様
お手数をおかけしました。こういう作業を強いられたことは大変遺憾です。
無断で書き換えたxefon氏には二度とないようにしていただきたい。--くまくま第二会話2024年2月9日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
再発防止は、このウィキペディア日本語版が、韓国人による日本人へのヘイトクライム事件の項目を削除して復帰させなかった実績があるのに鑑みれば、こういう悪質編集者・管理者・理事を無期限ブロックして追放していくしかないのでしょうね。 Xefon 氏も勿論無期限ブロック追放で。--Emmanuel Chanel会話2024年2月9日 (金) 12:41 (UTC)[返信]
I want to point this comment out for future readers. This discussion had nothing to do with race, but this user for some reason felt it necessary to bring it in.
For reference, in the next several weeks I will be contacting hundreds of international journalists about this talk page. Your comment does not give you a good image.
今後の読者のためにこのコメントを指摘しておきたいと思います。 この議論は人種とは何の関係もありませんでしたが、このユーザーは何らかの理由でそれを持ち込む必要があると感じました。
参考までに、今後数週間のうちに、私はこのトークページについて何百人もの国際ジャーナリストに連絡を取る予定です。あなたのコメントは良いイメージを与えません。--Toobigtokale会話2024年2月12日 (月) 10:18 (UTC)[返信]
Furthermore, nobody else in this thread called out this behavior.
さらに、このスレッドの他の誰もこの行為を非難しませんでした。--Toobigtokale会話2024年2月12日 (月) 10:31 (UTC)[返信]
Harukaikedaさん、元に戻していただき、ありがとうございました。
Xefonさん、1昨日にTENさんが書き換え版を元の版に戻されたばかりですが、その議論をご覧になっていましたよね。にもかかわらず、合意を得ることもなく無断で大幅に書き換えるというのは、どういうことでしょうか?
これまで長きに渡りこの分野にお詳しい皆さんが多くの時間を費やして編集してきたものを無にするような行為だと思います。Harukaikedaさんが元に戻してくださいましたが、このようなことを繰り返さないようにお願いします。--Piyopiyoko2会話2024年2月9日 (金) 13:09 (UTC)[返信]
Xefon 氏は悪質な確信犯として対処した方が良いと思います。投稿ブロック依頼のページを見ると、いきなり依頼するな、話し合えと書いてあるので、いきなり無期限ブロック提案をしても合意にこぎつけないのかも知れませんが、話し合って合意した後で無断書き換えしているので、今すぐブロック依頼しても問題ないかと思います。
私よりくまくまさんの方が状況に詳しそうなので、くまくまさんから提案して貰った方がいいのかも知れないと思います。--Emmanuel Chanel会話2024年2月9日 (金) 14:23 (UTC)[返信]
To-TENさん (cc:Mokeさん、フューチャーさん)
諸々意見が出ておりますが、TENさんが先の議論の中心でしたので、率直なご意見を伺いたく思います。
今回のZefonさんのような行動を慎むべきだと思いますか?(明確にY/Nが分かるようなご回答をお願いいたします)--Harukaikeda会話2024年2月9日 (金) 21:36 (UTC)[返信]
共同作業に当たっては是々非々で譲れる部分は譲るということが重要だと思います。「「南京事件に関する参考文献」も参照」({{See also|南京事件に関する参考文献}})を除去することが合意され除去されていた所、[6]ではそれが再追加されています。この点は明確に合意に反している状態であり、除去がいいと思います。そしてその除去の状態が、ここでいう「無断大幅書き換え」の一部です。 --2001:240:2404:447D:C8E4:A3CF:7B25:4017 2024年2月10日 (土) 03:21 (UTC)[返信]
どなたでしょうか? Zefonさんは、既にアカウントを削除されたようですが。非難が集まると、アカウントを削除して逃げるということは非常に不誠実な態度であると思います。
決まったことを確認しますと、今回、TEN氏による大幅な書換えを元に戻すことに合意がありました。以前の議論は一部の方々でされ、反論なく決められたものであることも、TEN氏が認められているとおもいます。
よって、それ以前の議論は一度、クリアになったので、「合意され」というのは間違いです。改めて有用な書換えを提案されたいのでしたら、合意事項としてでなく、新たにご提案頂くべきです。
また、一部の書き換えに正当性があることを主張されていますが、一連の書き換えでそれ以外の追加削除もされていますよね。その部分を伏せてのこの様な主張は非常に問題であると思います。
再度、TENさんにお尋ねしますが、このZefonさんの行動を黙認されるのでしょうか?もし問題ないと考え黙認されるということでしたら、今後も同様の行動を誘発することにつながると思いますので、非常に問題であると思います。(今回の合意は直接的には、TENさんとくまくま第二さん、私の合意でありますので合意の当事者としてお尋ねしています)
他の方から、Zefonさんへのブロック提案などが出ていますが、もし、TENさんが、この行為を引き続き黙認されるということでしたら、私はTENさんにもペナルティが課されるべきであると考えます(理由は上記です)。今回のみで実際にペナルティが課されるかは疑問ですが、同様の行為が続くようであれば、調査対象となるでしょう。
以上の理由により、改めてZefonさんの一連の行為に対しての、TENさんのご意見をお聞かせください。日本時間で、明日(2/11)中にはご回答をお願いできればと思います。よろしくお願いいたします。--Harukaikeda会話2024年2月10日 (土) 03:55 (UTC)[返信]
対立が深まっているようなので、争いがないならところから歩み寄りを進めてはどうか、ということです。意見の対立があったとしても、共同で編集をしているボランティアだということを思い出していただきたいと思います。参考文献部分の「See also」を入れるかどうかについては、入れた方がいいという意見とそうでないという意見の両方がある訳ではなく、単に、巻き添えで再追加されただけと思われます。この部分についてもどうしても譲りたくない理由があるなら、お伺いしますが。Zefonさん(以前ここで発言していたことのあるXefonさんの間違いでしょうか?)については、詳しく存じ上げませんが、別人であり、私とは無関係です。因みに、合意形成期間の目安は1週間です。 --2001:240:2404:447D:C542:36D1:E54:D97F 2024年2月10日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
TENさんの1月21日の編集は合意に基づくものですが、その合意は新たな提案と合意により覆され、TENさん自身によって2月6日に差し戻されています。従って1月21日の合意は現在は無効になっています。ですのでXefonさんのいう「概ね合意が取れている」というのは誤りです。この無断差し戻しはTENさんの苦渋の決断をも踏みにじる行為でしょう。なおXefonさんのアカウントは消えてはいないようです。--フューチャー会話2024年2月10日 (土) 06:29 (UTC)[返信]
2001:240:2404:447D:C542:36D1:E54:D97Fさん(長いので、失礼ながら以後2001さんと呼ばせてください)、フューチャーさん、
〇Xefonさんへの、私のZefonさんとの誤表記、またアカウント削除との誤認識、失礼しました。訂正します。ご指摘ありがとうございます。
〇フューチャーさん、合意についてのご認識の確認ありがとうございます。
〇2001さんのご指摘の、参考文献のノートについて での議論の結果についての書き換えですが、1/21のTEN氏による大幅書換えについて とは無関係の旨、確認しました。ただ2/8から始まるXefon氏の一連の投稿の中途に当該投稿が入っており、大きく問題があった最初の投稿に辿り着いて削除するために、一連の投稿を削除する必要があったことご理解ください。
当該部分の再修正(再投稿)に関して、私は異議はないです。(そもそも論じておりませんでしたので)
〇以上、2001さんに追加頂いた 最近の議論の経緯の確認、も確認しつつ、回答いたします。--Harukaikeda会話2024年2月10日 (土) 07:02 (UTC)[返信]
返信 正直気が進まないですが、ほったらかしにするのも無責任だと思うので返信します。Harukaikedaさんにおかれましては、コメントの内容云々以前に既に紹介されているWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:個人攻撃はしないなどのWikipediaの方針を最低限でもまず把握し理解してから参加いただきたいです。まずもってWikipediaにはアカウントを削除する手段など無いですし、これを含めたXefonさんに対する言いがかりをやめるべきです。また、このノートで全くほとんど同じ話を過去にしていますが、Wikipediaにおいてあるユーザーが勝手に期限を決めて回答を迫るような行為は容認されません。
加えて、私は正直に言って自分の編集について更に議論しWikipediaの方針と出典の選定の仕方について合意を得るだけの議論をする心理的・時間的な余裕もないと感じたので、自分の編集の一端差し戻しについては合意しましたが、私の編集自体以外の過去の議論や合意について無効化するような話はしていないつもりです。Xefonさんの編集に問題があるとは思いませんし、問答無用で差し戻されるようなものではないです。
そして、管理者伝言板に挙がっているようなカンバス行為が行われているとなるとはっきり言って話が全く異なり、またこれは完全の私の不手際なので申し訳ないですが、Wikipedia:合意形成にあるように、提案で合意を得たとするには提案から実施まで1週間程度置くこととなっているので、提案から1日で実行してしまった私の差し戻しについての合意についてははっきり言って正当性がない状態であると思います。その意味でもXefonさんの編集を制限するような話にはならないと思います。--TEN会話2024年2月12日 (月) 12:23 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。期限設定の件、大変失礼しました。また、Xefonさんのアカウント削除の件、前にも書きましたが、私の勘違いでした訂正してお詫びいたします。ただ、個人攻撃の意図はないことはお伝えしておきます。
TENさんのコメント、
>自分の編集の一端差し戻しについては合意しましたが、私の編集自体以外の過去の議論や合意について無効化するような話はしていないつもりです。Xefonさんの編集に問題があるとは思いませんし、問答無用で差し戻されるようなものではないです。
>提案で合意を得たとするには提案から実施まで1週間程度置くこととなっているので、提案から1日で実行してしまった私の差し戻しについての合意についてははっきり言って正当性がない状態であると思います。その意味でもXefonさんの編集を制限するような話にはならないと思います。
→すると、TENさんは、TENさんの1/21の版を差し戻しには合意したけれど、別の方が、以前の議論に基づいて、TENさんの1/21の版と同様のものを再投稿するのは、問題がないというご認識ということでしょうか。
今回、Xefonさんがあらためて投稿されたものは、TENさんが1/21に投稿されたものの多くを含んでいます。一例を挙げさせていただければ、笠原氏をスタンダードとすることには、根拠を示しつつ私は疑義を唱え、TENさんとの会話では、結論がでていなかったはずです。TENさんが元に戻すことに応じられたので、その議論は一旦フリーズしたと考えていました。しかし、その議論の場(1/21のTEN氏による大幅書換えについて)にいらっしゃったXefonさんが、その議論を無視し、以前の議論の合意のみに基づいて、改めてご自身で投稿されたということは、おかしいのではないでしょうか。仮に、Xefonさんが元に戻すという合意に不満であれば、そこに書き込んで、議論を続け、合意を得てから実行するべきだったのではないでしょうか?
また、
>一定期間反対がなければ合意と見なすというのはWikipediaの慣習ではありますが、この場で現実にそぐわないのは明らかで(実際、下書きを置いていた期間反対意見が付かないのは奇妙ではありました)、少なくとも「合意済み」で押し通すのはちょっと無茶があるように思います。議論に気付かなかった方々が気付いたところで一区切り、とするしかないように思います。--TEN(会話) 2024年2月6日 (火) 06:16 (UTC)
との言及がありますが、以前の議論について、TENさんが「合意済み」で押し通すのはちょっと無茶がある、との認識を示されていますので、今回示された、
>過去の議論や合意について無効化するような話はしていないつもりです。
というのは以前のコメントと齟齬があるのではないでしょうか?--Harukaikeda会話2024年2月12日 (月) 13:36 (UTC)[返信]
返信 まず先に1月21日の編集の差し戻しについての合意について述べます。管理者伝言板の通報からくまくま第二さんがTwitterで活動されているくまくまさんと同一人物であることはほとんど確実であることを把握しました。くまくまさんのツイートを確認したところ、2月3日にこのノートへの記事書き換えへの反対意見の書き込みを誘引している他のユーザーの書き込みに返信とリツイートしており、「くまくま第二」というWikipediaユーザーが登録されたのが2月5日ですから、くまくまさんがこの勧誘に応じてWikipediaに参加したことにはほぼ疑問の余地がありません。勧誘したユーザー自体がWikipediaの編集者かどうかはわかりませんが、これはWikipediaとして許容されない行為です。1月21日時点でくまくま第二さんはWikipediaに参加されていないのだから、それ以前のWikipediaの議論について気付くも気付かないもありません。さらに、カンバス行為に相当する行為を行っており、Wikipediaの外部から記事をコントロールしようとしていることも把握されます。これはWikipedia上重大な問題であり、このようなユーザーの介入によって議論の結論が出されたことは、私の手続きの不備の問題以上に不適当であると言わざるを得ません。先に参加者の編集履歴をもっときちんと検証すべきでしたし、私の杜撰な行動で参加者を撹乱することになってしまって本当に申し訳ないのですが、南京事件についての議論どうこう以前の問題としてこの点は解決されなければならないと思います。
1月21日の編集を「合意済み」で押し通すのはちょっと無茶があるというのは、こういった行為を前提としない場合の話で(正直もう話を切り上げたいという感情が強く出てしまった面は否定できないですが)、上記のような行動が行われていたことを把握した以上、同じ判断はできません。
Xefonさんの編集については厳密に言えば編集内容について先にノートで書いた方がスマートだったとは思いますが、編集合戦とならないのであれば書き込みが戻されてから議論でも重大な問題があるとは思わないです。こうした点に関して言えば、以前フューチャーさんが指摘したように、1月21日の編集の差し戻しを提案された大和屋敷さんは1月21日以前からこのノートでの議論に時折コメントを残しており、議論に気付かなかったはずはないのですから、話が終わってから一旦全て巻き戻しではなく議論してる最中に明確に反対意見を述べるのがより適切であったと思います。しかし、Wikipedia上重要なことは、最終的に方針に沿って結論が得られることなのであって、こうした細かい問題点についてはそれが議論の進行上重大な障害にならない限りは深掘りする必要をあまり感じません。--TEN会話2024年2月13日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
くまくま第二さんは2月12日をもって、sockpuppetとして無期限ブロックされたようです[7]。2月7日の差し戻しは非常に拙速かつ不適切な形でおこなわれたものであり、合意形成が有効であったかについてはきわめて強い疑念があります。--Nux-vomica 1007会話) 2024年2月13日 (火) 21:11 (UTC) 修正--Nux-vomica 1007会話2024年2月13日 (火) 21:13 (UTC)[返信]
コメント Nux-vomica 1007さんにも指摘いただいた通りであり、少なくとも1月21日の記事の再構成の合意、および参考文献のノートに関する合意はWikipediaにおける合意形成の過程上、全く問題がないこと。2月7日の差し戻しの合意に重要な問題があることから、記事を2024年2月1日 (木) 07:44版(版番99071152)の状態にしたいと思います。二転三転して大変申し訳ありませんが、これは少なくとも不適切な形で行われた合意による変更がそのまま既成事実化してしまわないために必要であろうと思います。一応、事前にこの点についてこちらに書き込んでおきます。--TEN会話2024年2月15日 (木) 14:18 (UTC)[返信]
ちょっとすいません。
私はまだご意見申し上げられておりませんので(またこちらの合意形成の時間も経っておりませんと思いますので)少々待って頂けますか。
丸一日下さい。(別件で動けずこ二三日コメント出来ず失礼しました)--Harukaikeda会話2024年2月15日 (木) 14:36 (UTC)[返信]
コメント遅くなり失礼しました。
〇全体の所感としてましては、くまくま第二さんのwikiルール上の不正行為(ソックパペットの、友人知人を口説いてアカウントを作らせ論争の一方に肩入れさせる だと思われます)に、全ての問題の責任を押し付けている様に思えます。
(もちろん、くまくま第二さんのwikiルール違反への対処は、wiki上で適切な議論をするための適切な対処と理解しており、その上での意見です)
〇(くまくま第二さんの不正発覚・ブロックの以前、)TENさんが以前の版(1/13版)に戻すことに合意された際には、以前の合意は反論もなく十分なものと言えないというご認識であったことは再度ご確認頂けたかと思います。
〇Xefonさんの行為に関しては、結局、TENさんのご意見としては、事前にノートで議論した方が良かったが、ノートでの議論なく直接本文を編集したことも許容されているように思えます。今回の編集は、TENさんのご意見の方向に沿った編集でしたが、逆向きの編集でも許容されるのでしょうか?もし許容されないのであるとすると、ルールの恣意的な適用方針と思えますし、もし許容するということでしたら、編集合戦の火種を抱えることになるかと思われます。そういった点で、今回のコメントには問題があるのではないでしょうか?今後の適切な合意形成にあたって、重要なことであると思い、論じております。
〇さて、くまくま第二さんの不正行為の合意形成への影響についてですが、私は、今回は合意形成には影響はないと考えております。その理由は、合意時点(2/6)において、くまくま第二さんが声をかけwikiにつれてきたであろうあろうお仲間(例えばEmmanuel Chanelさんでしょうか-私の推測の域を出ませんが)は、誰も、まだwikiノートでの議論に参加していないからです。かれらのwikiノートへの書き込みは、2/9以降であり、しかもテーマはXefonさんの行為についてです。
くまくま第二さんの、戦時国際法を考慮するべきでないかという論点の提示は、合意形成に影響を与えたと思われますが、くまくま第二さんの不正行為は1/13の版に戻すことへの合意形成には影響を与えていないように思われます。
〇また、くまくま第二さんが、1/21の合意形成の際には未だwikiアカウントを持っていなかったことをもって、その1/21の合意に関して言及する資格に欠けるのではないか、といったご意見がありましたが、wikiは公開サイトであり、アカウントをも持たずとも、閲覧できるのであって、その時点でのアカウントの保持を、以前の合意について議論する資格とされることは違うのではないかと思います。
〇2/6の、1/13の版に戻すことへの合意に関して、くまくま第二さんは、自身が不正行為をしていたことをもって、合意の主体として問題があるのではないか、という論は十分にあり得ると思います。
しかし、当該合意は、TENさんとくまくま第二さんの間の合意であると同時に、またTENさんと私の合意でもありますので、たとえくまくま第二さんとの合意が無効になるにしても、私との合意は残ると思います。そういった点で、2/6の、1/13の版に戻すことへの合意は有効であると考えております。
〇これは単なる雑感ですが、現在wikiノートへの新規参入書き込みが収まっているのは、くまくま第二さんの不正行為が発覚しブロックされたからだけではなく、版を元に戻されたからだと思っています。1/21版への外の世界の反応をみるとご意見を持つ方がそれなりにいらっしゃるようにに思われました。無理に1/21の版にすると、くまくま第二さんの様に、ご意見を開陳にし、wikiに参入される方が再度現れるのではないかと思われます(もちろん不正をするという意味ではないです)。以前の版は、(長い議論の果てに)どの立場からも十分に満足されないが、どの立場からもなんとか(?)許容範囲という、それなりの中庸を保ってきたのではないかとも思われました。以上雑感ですが、世間とwikiとの距離についてということで、ご一瞥頂ければ幸いです。--Harukaikeda会話2024年2月16日 (金) 06:00 (UTC)[返信]
  • 1月22日の改稿について:TENさんの改稿作業がはじまったのが2023年12月18日、ドラフトが完成したのが2024年1月14日、実際の改稿がおこなわれたのが1月22日であると認識しています。この間の議論はノートページにおいて公開されており、第三者が異論を差し挟む余地は十分にありました。この改稿に向けては合意形成のための時間が十分に設けられていたと考えるべきであり、手続き上問題はなかったものと考えています。
  • 2月7日の差し戻しとXefonさんの編集について:差し戻しに向けての提案がおこなわれたのが2024年2月6日、実際の差し戻しがおこなわれたのが2月7日であり、1日未満しか議論の期間が用意されなかったことになります。これではWP:CONを満たしているとは言いがたいです。同9日にXefonさんにより差し戻し前の記述をもととする再改稿がおこなわれましたが、7日の差し戻し自体に手続き上の不備がある以上、これに問題があるとは思いません。この再改稿は合意形成違反とみなされ、同日中に差し戻されることとなりますが、これに関する議論には複数の多重アカウントが参加し、きわめて不適切な形で同編集の追認がおこなわれることになりました(WP:MEAT)。
  • 1月22日の改稿に対する合意形成に手続き上の問題がなかったのに対して、2月7日の差し戻しには手続き上の問題があり、それに対する議論も非常に不健全なかたちで展開されたというのがこれまでの総括になると思います。改稿に向けての合意形成は1月22日時点で十分に達成されており、それを覆す合意は現在までにおこなわれていないと考えるべきであり、方針上は oldid=99071152 への即時差し戻しが適切であると考えます(これは、同版を同記事の決定稿とするべきであるという意見ではありません)。
--Nux-vomica 1007会話2024年2月16日 (金) 08:08 (UTC)[返信]

最近の議論の経緯の確認

下記の点については争いがないと思いますが、いかがでしょうか。

  • 1. #記事の再構成については2023年12月11日開始、2023年12月17日に書き換え案提示、2024年1月21日に書き換え、という経緯でした。
  • 2. #参考文献のノートについては2024年1月21日開始でした。2月1日にこれに基づいて書き換えが行われました。
  • 3. #1/21のTEN氏による大幅書換えについてはその名の通り、1. に対する議論で、2024年1月28日に開始。2月6日にこれに基づいて書き換えが行われました。
  • 4. 1.と2.は互いに関係がありません。
  • 5. 2.と3.は並行して進んでいました。

--2001:240:2404:447D:C542:36D1:E54:D97F 2024年2月10日 (土) 05:53 (UTC)[返信]

整理ありがとうございます。4.については不明ですが、他は概ねその通りと思います。
今後の対応については、 2024年2月9日の無断大幅書き換えについて で触れました。宜しくお願い致します。--Harukaikeda会話2024年2月10日 (土) 07:31 (UTC)[返信]
  1. ^ International Memory of the World Register Documents of Nanjing Massacre”. UNESCO. 2022年3月23日閲覧。