Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アイヌの歴史 20230511

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選考終了日時:2023年5月25日 (木) 01:12 (UTC)

賛成 良質な記事の基準を満たすものと思いますが、参考文献、下記の2304巻と1169巻は正しいのでしょうか?。
瀬川拓郎『アイヌ学入門』 2304巻、講談社〈講談社現代新書〉、2015年。ISBN 978-4062883047。
瀬川拓郎『アイヌと縄文-もうひとつの日本の歴史』 1169巻、筑摩書房〈ちくま新書〉、2016年。ISBN 978-4-480-06873-6。--Anesth Earth会話2023年5月11日 (木) 10:59 (UTC)[返信]
  • 返信 (Anesth Earthさん宛) コメントありがとうございます。ご指摘の部分は、どちらも新書の通巻になります。[1][2]。〈ちくま新書 1169〉となどと表記したこともありますが、どちらの表記も正しいという自信はありません。--あずきごはん会話2023年5月11日 (木) 13:43 (UTC)[返信]
    ご返信ありがとうございます。誤記ではないのですね。納得です。ただ、どうしても、「ん⁈ 2304巻もシリーズあるの?と思ってしまうのですが、新書の通巻の表記慣例として、わりと使われてるのなら、そのままで良いかなと。--Anesth Earth会話2023年5月11日 (木) 13:55 (UTC)[返信]
  • ちょっと横レスで失礼します。私も、歴史の古い新書とはいえ、そんなに多数のタイトルが刊行されていたなんて信じられないので、ちょっと検索してみてびっくりしたのですが、少なくとも講談社現代新書に関しては、本当に通巻番号のようです(このブログの執筆者は現代新書の編集部ですから確実でしょう)。55年で2500冊ですから一年に50冊程度の新刊が発行されていることになります。ちくま新書も1995年の刊行ですから、同じくらいのペースで新刊が発行されていれば、2016年には1169巻くらいになっていても不思議ではありません。それにしても新書は文庫ほどホイホイ出版されるほど軽いものではない、というイメージがあったので(現代新書やちくま新書ならなおさら)このペースには改めて驚きました。
*現代新書編集部 (2019年4月1日). “000、500は名著の証? 現代新書のキリ番をふりかえってみた”. 2023年5月13日閲覧。
--Loasa会話2023年5月13日 (土) 11:04 (UTC)[返信]
  • よく読み返してみたら、 私のコメントはまったく見当外れのものだったようです (^^ゞ 。Anesth Earth さんは、「講談社現代新書が2304タイトルもあるのか?」と思ったのではなく、「『アイヌ学入門』が2304巻もあるのか!?」と思ったのですね。そのような誤解の余地を減らすためにも、新書などの通巻を書くのなら〈講談社現代新書 2304〉というスタイルの方がよいと思ます。--Loasa会話2023年5月13日 (土) 12:00 (UTC)[返信]
    まぁ、そういうことです…。新書の通巻数としても十分驚異ではあります。--Anesth Earth会話2023年5月13日 (土) 12:11 (UTC)[返信]
  • 返信 (Loasaさん、Anesth Earthさん宛) コメントありがとうございます。出典のシリーズ通巻をどこに記入するのかというのはずっと迷っていたことでした。volume引数はタイトルに対する巻数表記を意図しているのだろうとは思いますが、かといってseries引数に書くのも違うなって思っていまして。実際問題として{{cite book}}の引数は紙媒体の書籍の内容全てをカバーできていないんですよね。引数を増やすことを提案しようかと思ったこともありますが、エラーが多くなりそうですし。どの表記法もしっくりこないので、考えた結果、今後は「シリーズ通巻は表記しない」という方針でいこうとおもいます。本記事も修正しました。--あずきごはん会話2023年5月13日 (土) 22:36 (UTC)[返信]
  • コメント総じて良く書かれた記事と思いますが、とりあえず気づいた点を。
1.全体構成:アイヌと縄文の結びつきを主張する瀬川拓郎氏の書籍があるとはいえ、アイヌ史の記述を本州にもある土偶や環状列石などから始めるのは通説と言えるのでしょうか?(例えば関連文献に挙げた『アイヌ民族の歴史』は、アイヌ史はアイヌが13世紀に民族意識を持つようになったとして、その最終的な母胎となる擦文文化から記述。また『新版北海道の歴史』には、「北海道のの縄文時代・旧石器時代までもアイヌ文化とすればいいと主張する方もおられる。だが、各文化期の内容の差は大きく、縄文土器を使用し、竪穴住居に住むアイヌ文化という表現は、現在の「アイヌ文化」の概念と大きくかけ離れてしまう」とあります)それは置いといても中世以前の充実した内容に対して、明治以降の記述が簡略過ぎると感じました。
2.冒頭部「アイヌは13世紀頃に北海道に移入してきた民族とする説があったが(アイヌ説、プレアイヌ説、コロポックル論争)」:リンクがあるコロポックル論争以外の、アイヌ説、プレアイヌ説は本文中に記述が無く、どういう説なのか注釈が欲しいです。
3.続縄文後期節「阿倍は渡島の蝦夷の求めに応じて、弊賂弁嶋(へろべのしま 奥尻島)の粛慎(オホーツク人)を討伐した」:弊賂弁嶋=奥尻島も有力と思いますが、渡島蝦夷の所在地についても諸説あり、「奥尻島などと推定されている」程度に留めるのが良いと思います。
4.蝦夷地の幕領化節「天明5年(1785年)からひそかに調査隊を蝦夷地に派遣してアイヌとロシアの事情を調査した」:「ひそかに」は誤り。幕府も隠密などから情報を得ていたようですが、1785年の調査は松前藩に通知した上で行ったものです(照井壮助『天明蝦夷探検始末記』が詳しい)。
5.開拓政策とアイヌ節「北海道本島においても政府は開拓のテコ入れとして和人への土地の払い下げを行い」:アイヌが利用していた山野が無主地として官有地にされたことを、最初に書くべきでは。
6.同「これらの強制移住で造られたコタンを強制コタンという」:出典の『北海道の歴史』の当該箇所にそのような記述は見当たりませんが、強制コタンとは江戸時代に場所請負人により作られたコタンのことではないでしょうか?
7.同:樺太アイヌと千島アイヌについて、明治の強制移住しか記述されていませんが、太平洋戦争での引き揚げも触れたほうが良いでしょう。
8.北海道旧土人保護法から先住民族アイヌへ節「1977年には成田得平がアイヌとして初めて国政選挙の立候補者となり」:誤り?『アイヌ通史』p.204、『アイヌ民族の歴史』p.228によれば、1946年の総選挙に大河原徳右衛門、辺泥和郎、川村三郎の3名が立候補してます。それよりも初の国会議員である萱野茂のほうが重要ではないでしょうか?このほかにも同化政策やアイヌ差別はもっと詳しく、またアイヌの観光化や、1992年の国連演説、2008年の国会決議なども記述すべきかと思いました。--Iso10970会話2023年5月17日 (水) 07:24 (UTC)[返信]