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== 歴史 ==
== 歴史 ==
染井霊園のある区画はもともと[[林田藩]]建部家の下屋敷があったが、1872年(明治5年)より神葬墓地となった{{Sfn|籠谷、真珠書院|2007|p=56}}。1874年6月には「東京府下墓地取扱規則」が告示された{{Sfn|籠谷、真珠書院|2007|p=56}}。これにより、[[朱引]]内の墓地における埋葬が禁じられ、その代わりに染井、雑司ヶ谷、青山、渋谷、谷中、亀戸に共葬墓地を発足させることとなった{{Sfn|籠谷、真珠書院|2007|p=56}}。
[[1874年]](明治7年)9月1日、[[播州]][[林田藩]]建部邸跡地を引き継いだ東京府が開設<ref name="map074">{{Cite web |url=https://www.tokyo-park.or.jp/reien/park/pdf/map074.pdf |title=東京都染井霊園案内図 |publisher=公益財団法人 東京都公園協会 |accessdate=2022-08-16}}</ref>。

これを受けて[[1874年]](明治7年)9月1日、東京府が神葬墓地を改称して「染井墓地」を開設<ref name="map074">{{Cite web |url=https://www.tokyo-park.or.jp/reien/park/pdf/map074.pdf |title=東京都染井霊園案内図 |publisher=公益財団法人 東京都公園協会 |accessdate=2022-08-16}}</ref>{{Sfn|籠谷、真珠書院|2007|p=56}}。建設費は、1791年(寛永3年)に[[松平定信]]が定めた[[七分積金]]制度による[[町会所]]の積立金を、明治になって[[東京府]]が引き継ぎ、運用したものから支出された{{Sfn|林|1977|p=175}}。


1889年(明治22年)には[[東京市]]に移管され、1935年(昭和10年)5月に染井霊園に改称された<ref name="map074" />。
1889年(明治22年)には[[東京市]]に移管され、1935年(昭和10年)5月に染井霊園に改称された<ref name="map074" />。
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== 埋葬されている著名人 ==
== 埋葬されている著名人 ==
染井霊園は「多くのすぐれた人たちが眠っており、すべてを回るには時間がかかる」と紹介される{{Sfn|伊藤、堀切|1994|p=22}}。
* [[饗庭篁村]]
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* [[井上範]]
* [[井上範]]
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* [[海野勝珉]]
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* [[大田黒元雄]]
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* [[窪田鎮章]]
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* [[五島美代子]]
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* [[酒井忠惇]]
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* [[佐藤功一]]
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* [[下条康麿]]
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* [[高階経徳]]
* [[高階経徳]]
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* [[高田早苗]]{{Sfn|伊藤|2013|p=74}}
* [[高嶺秀夫]]
* [[高嶺秀夫]]
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* [[高村光太郎]]
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* [[高村智恵子]]
* [[高村智恵子]]{{Sfn|伊藤|2013|p=38}}
* [[新田邦光]]
* [[新田邦光]]
* [[坪井正五郎]]
* [[坪井正五郎]]{{Sfn|伊藤|2013|p=108}}
*[[波多野精一]]{{Sfn|伊藤|2013|p=47}}
*[[濱尾新]]{{Sfn|伊藤|2013|p=38}}
* [[土方久元]]{{Sfn|伊藤|2013|p=58}}
* 土方久敬([[土方与志]]){{Sfn|伊藤|2013|p=58}}
* [[福岡孝弟]]{{Sfn|伊藤|2013|p=102}}
*[[福田英子]]{{Sfn|伊藤|2013|p=51}}
* [[二葉亭四迷]]{{Sfn|伊藤|2013|p=68}}
* [[前田政四郎]]
* [[松浦詮]]
* [[松浦詮]]
* [[松浦厚]]
* [[松浦厚]]
*[[松平定敬]]{{Sfn|伊藤|2013|p=47}}
* [[土方久元]]
* 土方久敬([[土方与志]])
* [[濱尾新]]
* [[福岡孝弟]]
* [[二葉亭四迷]]
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染井霊園周辺には寺院が多く、それぞれの墓地もある。このため慈眼寺にある[[芥川龍之介]]や[[谷崎潤一郎]]そして[[司馬江漢]]
染井霊園周辺には寺院が多く、それぞれの墓地もある。このため慈眼寺にある[[芥川龍之介]]や[[谷崎潤一郎]]そして[[司馬江漢]]
、本妙寺にある[[遠山景元]]や[[千葉周作]]の墓が染井霊園にあると紹介されることがある。また[[岩崎弥太郎]]は当初染井墓地に葬られたが、後に隣接する[[三菱グループ|三菱]]社宅の敷地に移された。但し[[岩崎家]]の分家の人物では染井霊園に葬られている者もある(例・[[岩崎勝太郎]] - 弥太郎の孫で[[経営コンサルタント]])。弥太郎が葬られている墓地は弥太郎以外の岩崎家本家の者も葬られており、同じ敷地に弥太郎が母の[[岩崎美和|美和]]の為に建てた別荘が大磯から移築されている。
、本妙寺にある[[遠山景元]]や[[千葉周作]]の墓が染井霊園にあると紹介されることがある。また[[岩崎弥太郎]]は当初染井墓地に葬られたが、後に隣接する[[三菱グループ|三菱]]社宅の敷地に移された。但し[[岩崎家]]の分家の人物では染井霊園に葬られている者もある(例・[[岩崎勝太郎]] - 弥太郎の孫で[[経営コンサルタント]])。弥太郎が葬られている墓地は弥太郎以外の岩崎家本家の者も葬られており、同じ敷地に弥太郎が母の[[岩崎美和|美和]]の為に建てた別荘が大磯から移築されている。


== 出典 ==
== 脚注 ==
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==参考文献==
*{{Cite book|和書 |title=ぶらり中山道巣鴨 : 歴史・文学散歩 |year=2013 |publisher=豊島区 |author=伊藤榮洪|id={{JP番号|22253981}}|ref={{SfnRef|伊藤|2013}}}}

*{{Cite book|和書 |title=豊島区史跡散歩|year=1994|publisher=学生社|author1=伊藤榮洪|author2=堀切康司|isbn=431141966X|ref={{SfnRef|伊藤、堀切|1994}}}}

*{{Cite book|和書 |title=東京10000歩ウォーキング : 文学と歴史を巡る no.28(豊島区 染井霊園・巣鴨コース) |year=2007 |publisher=明治書院 |page=56 |editor1=籠谷典子 |editor2=真珠書院 |isbn=9784625624025|ref={{SfnRef|籠谷、真珠書院|2007}}}}

*{{Cite book|和書 |title=豊島区の歴史 |year=1977 |publisher=名著出版|author=林英夫 |id={{JP番号|78022085}}|ref={{SfnRef|林|1977}}}}


== 関連項目 ==
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[[Category:1874年開業の施設]]
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2023年5月20日 (土) 14:50時点における版

染井霊園
染井霊園入口
染井霊園の位置(東京都区部内)
染井霊園
染井霊園の位置(関東地方内)
染井霊園
詳細
開園 1874年(明治7年)9月1日
所在地
日本の旗 日本
座標 北緯35度44分21.9秒 東経139度44分14.1秒 / 北緯35.739417度 東経139.737250度 / 35.739417; 139.737250座標: 北緯35度44分21.9秒 東経139度44分14.1秒 / 北緯35.739417度 東経139.737250度 / 35.739417; 139.737250
運営者 東京都公園協会
総面積 約6.8万平方メートル
建墓数 約5,500基
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index074.html
テンプレートを表示

染井霊園(そめいれいえん)は、東京都豊島区駒込にある都営霊園。旧称の染井墓地で呼ばれることも多い。水戸徳川家墓所。水戸徳川公爵家や府中松平家の江戸期の墓。徳川斉昭の生母や徳川昭武の生母、側室高橋悦子の墓がある。面積は67,911平方メートル、およそ5,500基の墓があり、8ヶ所ある都営霊園の中では最も規模が小さい。

園内には約100本のソメイヨシノ(染井の地が発祥といわれる。ソメイヨシノ#起源についてを参照)が植えられ、遊歩道の一部は桜並木になっており桜の名所として親しまれている。

歴史

染井霊園のある区画はもともと林田藩建部家の下屋敷があったが、1872年(明治5年)より神葬墓地となった[1]。1874年6月には「東京府下墓地取扱規則」が告示された[1]。これにより、朱引内の墓地における埋葬が禁じられ、その代わりに染井、雑司ヶ谷、青山、渋谷、谷中、亀戸に共葬墓地を発足させることとなった[1]

これを受けて1874年(明治7年)9月1日、東京府が神葬墓地を改称して「染井墓地」を開設[2][1]。建設費は、1791年(寛永3年)に松平定信が定めた七分積金制度による町会所の積立金を、明治になって東京府が引き継ぎ、運用したものから支出された[3]

1889年(明治22年)には東京市に移管され、1935年(昭和10年)5月に染井霊園に改称された[2]

都市計画公園事業実施のため1962年(昭和37年)6月から空き墓所の貸付を停止していたが、2019年(平成31年)に再開された[2]。2021年度(令和3年度)から立体埋蔵施設の供用が開始された[2]

交通

  • JR駒込駅北口から染井通りを北へ徒歩10分。
  • JR・地下鉄三田線巣鴨駅北口から白山通りを西巣鴨方向へ徒歩12分。

埋葬されている著名人

染井霊園は「多くのすぐれた人たちが眠っており、すべてを回るには時間がかかる」と紹介される[4]

染井霊園周辺には寺院が多く、それぞれの墓地もある。このため慈眼寺にある芥川龍之介谷崎潤一郎そして司馬江漢 、本妙寺にある遠山景元千葉周作の墓が染井霊園にあると紹介されることがある。また岩崎弥太郎は当初染井墓地に葬られたが、後に隣接する三菱社宅の敷地に移された。但し岩崎家の分家の人物では染井霊園に葬られている者もある(例・岩崎勝太郎 - 弥太郎の孫で経営コンサルタント)。弥太郎が葬られている墓地は弥太郎以外の岩崎家本家の者も葬られており、同じ敷地に弥太郎が母の美和の為に建てた別荘が大磯から移築されている。

脚注

  1. ^ a b c d 籠谷、真珠書院 2007, p. 56.
  2. ^ a b c d 東京都染井霊園案内図”. 公益財団法人 東京都公園協会. 2022年8月16日閲覧。
  3. ^ 林 1977, p. 175.
  4. ^ 伊藤、堀切 1994, p. 22.
  5. ^ a b 伊藤 2013, p. 37.
  6. ^ a b 伊藤 2013, p. 104.
  7. ^ 伊藤 2013, p. 85.
  8. ^ a b 伊藤 2013, p. 91.
  9. ^ 伊藤 2013, p. 49.
  10. ^ a b c 伊藤 2013, p. 53.
  11. ^ 伊藤 2013, p. 55.
  12. ^ 伊藤 2013, p. 87.
  13. ^ 伊藤 2013, p. 64.
  14. ^ a b 伊藤 2013, p. 46.
  15. ^ 伊藤 2013, p. 75.
  16. ^ a b 伊藤 2013, p. 63.
  17. ^ 伊藤 2013, p. 105.
  18. ^ 伊藤 2013, p. 103.
  19. ^ a b 伊藤 2013, p. 86.
  20. ^ 伊藤 2013, p. 65.
  21. ^ 伊藤 2013, p. 50.
  22. ^ 伊藤 2013, p. 74.
  23. ^ a b c d 伊藤 2013, p. 38.
  24. ^ 伊藤 2013, p. 108.
  25. ^ a b 伊藤 2013, p. 47.
  26. ^ a b 伊藤 2013, p. 58.
  27. ^ 伊藤 2013, p. 102.
  28. ^ 伊藤 2013, p. 51.
  29. ^ 伊藤 2013, p. 68.
  30. ^ 伊藤 2013, p. 73.
  31. ^ 伊藤 2013, p. 61.
  32. ^ 伊藤 2013, p. 100.

参考文献

  • 伊藤榮洪『ぶらり中山道巣鴨 : 歴史・文学散歩』豊島区、2013年。全国書誌番号:22253981 
  • 伊藤榮洪、堀切康司『豊島区史跡散歩』学生社、1994年。ISBN 431141966X 
  • 籠谷典子、真珠書院 編『東京10000歩ウォーキング : 文学と歴史を巡る no.28(豊島区 染井霊園・巣鴨コース)』明治書院、2007年、56頁。ISBN 9784625624025 

関連項目

外部リンク