早稲田Wikipedianサークル活動史 (2019-2022年)

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本稿では、大学生・大学院生のウィキペディア編集者からなる早稲田Wikipedianサークルの、2019年から2022年までの活動について詳述する。筆者の Eugene Ormandy は、2019年8月にサークルを設立したウィキペディア編集者であり、2022年以降は、卒業生コミュニティの稲門ウィキペディアン会の一員として活動している。

早稲田大学 Wikimedia Commons [[File:Waseda University – Okuma Auditorium -.JPG]] (XIIIfromTOKYO, CC-BY-SA 3.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Waseda_University_-Okuma_Auditorium-.JPG

設立前史

まずは、筆者がサークルを設立するまでの経緯を記す。

2018年12月15日、 [[利用者:さえぼー]] としてウィキペディアの編集を行うシェイクスピア研究者の北村紗衣さんが、東京都の武蔵大学で学外者向けのウィキペディア講習会を開催した。筆者は知人に誘われてその講習会に参加し、ボランティアとしてウィキペディアを編集するようになった。

この講習会を受講した筆者は、ウィキペディア編集と大学での学びは非常に相性が良いと感じた。ウィキペディアが求める検証可能性や、テクストに書いてあることと自分の意見を峻別する態度は、大学のレポート作成等にも求められるからである。

また、ウィキペディアは、大学のレポートを作成するために費やした努力を「供養」できる場であるとも感じた。筆者はかねがね、学生が苦心して書いたレポートが教員にしか読まれず、授業が終われば死蔵されてしまう状況に苛立っていた。そのため、レポートを作成するために収集した情報を学生たちがウィキペディアに反映するような文化が生まれれば、その努力は無駄にならず、やりがいが生まれるだろうと思った。

他にも、ウィキペディアにより多くの研究者が参加してほしいとも感じた。検索結果のトップに表示されるサイトの質を高めることの社会的意義は非常に大きいからだ。また、研究者にとっても、研究成果のアウトリーチを行う場としてウィキペディアは魅力的だと思われる。

このような思いから、筆者が通う早稲田大学に、ウィキペディアの学生サークルを作ろうと決意した。

2019年

2019年8月、筆者は早稲田Wikipedianサークルを設立し、Twitterアカウントを開設した。なお、サークルとは名乗っていたが、設立時点のメンバーは筆者ひとりであった。

まずは、武蔵大学で北村さんが行ったウィキペディア講習会を早稲田大学でも実施したいと思い、Twitterのダイレクトメッセージで北村さんに連絡をとった。当サークルのことをご存知であった北村さんは快諾してくださり、2019年11月に講習会を開催することが決定する。しかし、準備は難航した。

まず、この講習会は早稲田大学中央図書館で行いたいと考えていたが、その旨を図書館に伝えると「学生が主催するイベントを図書館で開催することはできない」と断られた。そのため、大学のPCルームを予約して実施することとなった。

また、学外からの参加者は大学図書館の蔵書を利用できないため、インターネット上の情報を利用してウィキペディアを編集する企画を考える必要があった。同じく、学外からの参加者はPCルームの端末も使えないため、ノートパソコンを持参してもらうこととなった。

これらの準備ののち、2019年11月に講習会を実施した。講習会では、基本的な編集方法についてのレクチャーを行なったのち、執筆したいトピックがある方へのサポートを行った。なお、トピックが決まっていない方には、インターネット上の情報を用いて、早稲田大学に関する記事を加筆するレクリエーションを行った。

なお、その翌日には、早稲田大学近くのバー「あかね」にて筆者がウィキペディア講習会を行った。この講習会では、三大方針や五本の柱といった、ウィキペディアの基本的なルールを説明した。

これらのイベントの他にも、Twitterでウィキペディアに関する情報を発信したり、クローズドのチャットサービスで、メンバー間での情報共有を行ったりした。

セブアノ語版ウィキペディアを紹介するツイート
トルコにおけるウィキペディアの利用解禁を紹介するツイート
欧州司法裁判所の判決に対するウィキメディア財団の声明を紹介するツイート

2020年

2020年にはサークルメンバーが4人となった。また、3月には京都造形大学(現・京都芸術大学)の学生から依頼があり、同大学でウィキペディア講習会を行うことになった。しかし新型コロナウイルスの流行により、計画は頓挫した。

新型コロナウイルスの影響で社会全体が混乱していた2020年前半は、当サークルの活動も停滞し、グループチャットでの会話も少なくなった。しかし、徐々に他のウィキペディアングループが開催するオンラインミーティングなどのお誘いを受けるようになった。また、Twitter を通して、非日本語ユーザーのウィキメディアンにも、当サークルのことを知ってもらえるようになった。

なお、2020年9月には AbemaTV から取材依頼があった。テレビスタジオにて、出演者にウィキペディアのことを説明してほしいという内容であったが、テレビに顔が映るリスクを考慮しお断りした。ただし、顔と名前を出さない条件でのインタビューは引き受け、ウィキペディアの基本的なルールやサークルの概要、ウィキペディア編集のモチベーションなどについて説明した。なお、当日のスタジオには日本語版ウィキペディア管理者の [[利用者:青子守歌]] さんが登場した(青子守歌さんは当サークルのメンバーではない)。また、実際に放送された番組では、当サークルについての情報はカットされ、基本的なルールやモチベーションの話が採用されていた。

2020年も、引き続き Twitter で情報発信を行った。Twitter では、”jawp” のハッシュタグをつけて、ウィキペディアが登場する書籍や、ウィキメディア財団の動向を紹介した。また、新型コロナウイルスの流行を受けた GLAM の閉館動向や、アーカイブ活動についてもツイートした。他にも、ウィキペディアンへのアンケートを行うこともあった。

ウィキペディアを取り上げた書籍を紹介したツイート
ウィキメディア財団の1lib1refを紹介するツイート
関西大学のアーカイブ事業を紹介するツイート
ソースエディタへの移行についてアンケートを行ったツイート
ウィキペディアンの「世代」についてのツイート。複数のウィキペディアンから意見が寄せられた。

2021年

2021年1月には、オンラインで開催された ウィキペディア20年イベントに筆者がコメンテイターとして参加し、「大学の人がウィキペディアを編集してみたらどうなるの」セクションで、北村紗衣さん、伊藤陽寿さんとともに発表を行った。

発表内容は早稲田Wikipedianサークルの活動報告で、先述の講習会について発表した。なお、このイベントのオンライン打ち上げで「雑誌専門図書館の大宅壮一文庫でウィキペディアイベントを行いたい」と話したところ、後日関係者を紹介していただいた(その結果、2021年4月にイベントを行えることとなったが、新型コロナウイルスの感染拡大のため延期となり、結局2022年5月に実施した)。

また、2月には日本語版ウィキペディア管理者のネイさんが「実は記事書いているときにほかの編集者と雑談したかったりします」とツイートしたことを受けて、ツイッターで参加者を募り、ウィキペディアンたちによるオンライン雑談会を行った。

ネイさんのツイート

また、4月の大学入学にあわせて、新規メンバーの確保に注力しようという声があがり、新入生をリクルートするためのTwitterアカウントを新設し、初心者向けオンライン講習会も数回実施した。この結果、サークルの人数は一気に15人近くまで増加した。

新入生をリクルートするためのTwitterアカウントのツイート

2020年に引き続き、Twitter での情報発信も積極的に行った。海外の図書館等で行われたエディタソンや、ウィキペディアを編集するモチベーションについてのツイートを行った。

カンザスシティ公共図書館の開催するエディタソンを紹介するツイート
Archives of Ontario がウィキメディア・コモンズに画像をアップロードしていることを紹介するツイート
ウィキペディア編集のモチベーションについてのツイート

また、前年度同様、クローズドのチャットサービスにてメンバーが交流した。具体的には、メンバーが書いた記事の感想を述べたり、操作方法のわからないテンプレートについて質問したりした。

2022年

2022年は、より精力的な活動をするようになった。特にサークル内でのオンラインミーティングに力を入れた。例えば、文学作品の記事の書き方についての勉強会や、初心者レクチャーデジタルアーカイブについての勉強会を実施したほか、「雑談会」と題したテーマフリーのミーティングを定期的に実施し、書いている記事の感想や、ウィキペディアの動向についての意見交換を行なった。また、外部の方を招いて勉強会を行うこともあり、6月1日には、『三省堂国語辞典』の編纂委員である飯間浩明さんを招いた勉強会を開催した。また、並行してチャットサービスでのやり取りも行った。

なお、勉強会の模様は、ウィキメディア財団の公式ブログ Diff に日本語と英語で寄稿している。これらの記事が、ウィキペディア編集者に関する研究の一次資料として役立てば嬉しい。

2022年は、新型コロナウイルスの流行に伴う日本の各種規制が緩和されたこともあり、対面のエディタソンを行えるようになった。6月には埼玉県立大宮高校埼玉県立不動岡高校が同時開催したエディタソンにサークルメンバーが協力したほか、8月には東京国立博物館でのエディタソンに協力団体として名を連ねた。また、5月と11月には東京都の雑誌専門図書館である大宅壮一文庫にて WikipediaOYA を実施した。他にも、11月には東京ウイメンズプラザで開催された WikiGap や、東京外国語大学で開催されたマレーシアエディタソンに協力した。

また、メディアに登場する機会も増えた。アカデミック・リソース・ガイドのメールマガジンや大宮経済新聞に登場したほか、日本経済新聞の取材も受けた。日本経済新聞については、2022年3月18日の「ウクライナ侵攻、記述巡る編集合戦に Wikipediaを分析」という記事でメンバーがインタビューを受けたほか、「ウクライナの文化財を守れ! ロシアの破壊行為、市民が証拠集め」と題されたウェブ記事の作成にも協力した。

また、2022年度も引き続き、Twitterで積極的な発信を行った。ウィキペディアが登場する書籍の紹介や、ウィキペディア編集者へのアンケートのほか、ウィキペディアにまつわる国際情勢についての紹介も行った。特に、ロシアによるウクライナ侵攻に関連する事象を多く紹介した。

「ウィキペディアを編集する理由」というハッシュタグでウィキペディアンにアンケートを行ったツイート
「Wikipediaを編集するようになって変化したこと」というハッシュタグでウィキペディアンにアンケートを行ったツイート
ウクライナにまつわるWikipedia記事を作成するキャンペーン “Ukraine’s Cultural Diplomacy Month 2022” を紹介するツイート
ウィキメディア財団に罰金を課したロシアの裁判所に対する財団の声明を紹介するツイート
南スーダンの画像をウィキメディア・コモンズにアップロードするキャンペーン “Wiki Loves Monuments 2022 in South Sudan” を紹介するツイート

なお、3月には卒業生グループとして、稲門ウィキペディアン会が設立された。

ふりかえり

サークルの歩みを振り返ると、当初の想定以上に大きな組織になったことに驚かされる。何より、大宅壮一文庫や東京国立博物館といった GLAM でエディタソンを開催できるようになるとは思わなかった。これはひとえにご協力いただいた方々のおかげである。この場を借りて心からお礼を申し上げたい。

また、メンバーの数が増えたことで、組織としてのあり方が「ウィキペディアンの互助会」から「互助会兼教育組織」に変容したことも嬉しく思う。設立当初、早稲田Wikipedianサークルはウィキペディアンたちの単なる情報共有組織だったが、初心者のメンバーが増えたことに伴い、教育・育成にも力を入れるようになったのだ。

筆者は早稲田Wikipedianサークルを設立して本当に良かったと思っている。メンバーたちが記事を書き上げた時、何か新しいことができるようになった時、この上ない喜びを感じる。また、他のウィキペディア編集者との交流を通して、自分自身がウィキメディアンとして成長したことも嬉しく思う。

今後の早稲田Wikipedianサークルの運営は後輩たちに任せつつ、卒業生グループである稲門ウィキペディアン会の一員としてサポートできれば幸いである。

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