利用者:Suisui/Wikipedia20周年に寄せて

Wikipedia:オフラインミーティング/東京/ウィキペディア20年イベントに寄せて[編集]

Wikipedia 20周年おめでとうございます。Wikipediaが、誰でも自由に知識を得ることができるプラットフォームのまま、20年存続してくれたことを嬉しく思います。いちユーザーとして、今日まで日々貢献し、Wikipediaを維持、継続してくださっている皆さんに感謝します。

私がユーザーを作ってWikipediaに参加しはじめた頃は、ソフトウェア以外の分野でWeb上で大規模に共同作業をしている例はごくわずかしかなく、Wikiも一般的なものではなく、百科事典も九十年代には発売されなくなっていて、Wikipediaとはいったい何なのかあまり良くわかりませんでした。私自身わかっているつもりの部分があっても、参加していたユーザー間で共通認識がなく、みんなが思っているウィキペディアというもののすり合わせのような作業の連続でした。Web上での百科事典とはなにか、(ソフトウェア以外のものについて)組織を持たない不特定多数で共同作業はどう進めるのか、その際に起こる著作権、商標、個人情報保護、などの法的な問題にオープンなプロジェクトとしてどう取り組むか、また、最低限の記事質を担保する方法以前に、そもそも百科事典の記事の質とはなんなのか、百科事典てなんなのかなど、現在Wikipediaと周辺で当たり前になっている事の多くが目新しく、未知のものでした。内外問わず有識者も経験者もおらず、英語圏、ドイツ語圏で行われていた様々な試みやルールを真似したり、ルールとして導入して運用し、法制度の違いからそのまま持ってこられないものについてローカライズ/カルチャライズを試行錯誤し、記事やルールを作ったりやりなおしたりしながらギリギリWikipediaを運用していました。その時期に関われたのはたまたまですが、良い経験ができました。

今のウィキペディアを知る皆さんに正しく伝わるか自信がありませんが、2003年-2004年当時のウィキペディア日本語版の雰囲気は、一言で言うとお通夜でした。日本語版より先行していたスペイン語版でプロジェクトのForkが起こり、サーバは日々止まり、見た人からは絶え間なくでたらめだという声が上がり、壮大な目的以前にそもそも存続できるのかという不安を感じながらの活動でした。日本語版は他言語版からの流入が他と比べて少なかったこともあり、内容的にも百科事典というなら当然あるような記事も揃わず、ルールの整備は進まず、存在するルールの認知も進まず、実働している管理者以前に管理者の作業範囲で揉め、日本語版に見切りをつけて英語版での活動にうつるユーザーが出たりしていて、このままだと割れ窓理論で数年持たずにダメになる、という意見が頻繁に出ている状態でした。

それでも、開設当初から掲げられていた「質も量も史上最大となる百科事典を作り上げる」という目標[1]はとても魅力的で、当時の英語版[2]を見ると実現できそうという希望が持てるものでした。そこから派生していった色々なルールが文章化されたり、名前がついたりして、徐々に共通認識が広がり、それらは今のウィキペディアのルールにいくらか反映されています。[3]どちらかというと暗い雰囲気が蔓延する中、理念に賛同し、記事を書いたり、加筆、修正を行ったり、記事を書くために必要な手順や様式を整え、百科事典的な要素を一つ一つ積み重ねてくれた皆さんのおかげで今のウィキペディアがあると思っています。

私としては、今活動されている方たちが、ウィキペディアが明日、来月、来年存続しているかどうかといったことを心配しなくて良い状態となっているのは素直に嬉しいです。昔のユーザーが日々心配していたこと、苦労していたことを、今心配する必要がないということはそれだけ目標に近づいたか、遠ざかったかのどちらかで、存続に関して言えば間違いなく近づいたと言えます。それと同じように、今皆さんが日々悩まれていることも、10年後、20年後にはそんな議論があったことすら忘れ去られてしまうほど発展し、より百科事典に近づくものだ、と信じています。

一緒に昔を思い出してくれたUser:kzhrさん、User:青子守歌さんのお二人と、今回のイベント全体の用意に奔走してくださったUser:Araisyoheiさん、開催のために活動してくださった皆様と、15年のブランクを繋いでくださったUser:Miya.mさんとUser:miyaさんのお二人に特に感謝し、今後さらなるウィキペディアが次の20年もコツコツと発展し、知識を紡ぎ、得るためのプラットフォームとして残り続けるようお祈りしてお祝いの言葉とさせていただきます。 --Suisui会話) 2021年1月25日 (月) 14:06 (UTC)


脚注など[編集]

  1. ^ Wikipedia:方針とガイドラインに今でも掲げられています
  2. ^ 2003年1月には13万項目に到達していました 。[1]
  3. ^ このあたりは最近活動されている方とはだいぶ認識が違うようですが、初期の頃作られたルールはルール化される以前から一部のユーザーが野良で実行していたものがほとんどでした。たとえば、一部のユーザーは(質も量も史上最大となる百科事典を作り上げるには)記述に対して信頼できる引用元をつけるのは当然、という考えを持っていました。しかし当初はCiteの機能もなく、refのタグもなく、日本法で引用の要件も明文化されておらず、技術的、法的にどういった手順でそれができるのかわからない状態から、徐々にわかるようになっていきました。ルール化し、MediaWiki的にそれができるようになっても、各学術分野や書籍での参考文献記載方法の流儀などには細かい差異など次の問題が次々現れ、Wikipediaでは、日本語ではこうする、というのが形になるのには長い時間がかかりました。