Wikipedia:井戸端/subj/ユニバーサル行動規範によってウィキペディア日本語版は衰退させられるのではないか?

これはこのページの過去の版です。Omotecho (会話 | 投稿記録) による 2022年2月22日 (火) 03:19個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎ユニバーサル行動規範によってウィキペディア日本語版は衰退させられるのではないか?: 罰則規定は反対。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ユニバーサル行動規範によってウィキペディア日本語版は衰退させられるのではないか?

この内容は、先日案内のあったオンラインミーティングで得た情報や私の発言と一部重複していますが、改めてしっかりとオンウィキで表明するものです。

少し暴論で極論かもしれません。 しかし、ユニバーサル行動規範、とりわけユニバーサル行動規範の施行ガイドラインとその進め方は、ウィキペディア日本語版を悪くする方向に作用するのではないか?と考えたので問題提起とコミュニティーへ相談をしたいと思います。

理由を簡潔に述べれば、現在、ただでさえ人が減って対応が追いつかなくなっている各種雑用の対応、特に削除権限を持つ人(削除者/管理者グループ)に、これまでにない負荷の義務を新たに追加しているように見えます。 そのような負荷の増大は、各種作業への協力心(やる気/動機/モチベーション)を大きく阻害し、最悪の場合、ウィキペディア日本語版の各種制度とコミュニティーの崩壊に繋がりかねません。

まず前提として、ウィキペディア日本語版(に限らずほぼすべてのウィキメディアプロジェクト)は、参加者各位の自発的な自由意志と献身によって成り立っています。 それぞれ参加のきっかけや今の参加動機は違うかもしれませんが、ウィキペディア日本語版参加者にとって「信頼されるフリーなオンライン百科事典、それも質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という共通の目的だけは、変わらないはずです。 この目的に対して、最も必要とされ最も重要な貢献は「記事を執筆する」ことは自明であると思いますが、逆に言えば、それ以外の作業は、そのような記事執筆を円滑に進めるための雑用でしかないとも言えます。 削除・保護・ブロックなどの各種権限の行使はそんな「雑用」の一部にすぎません。 重要な「記事執筆」とそれ以外の「雑用」という違いはありますが、いずれにせよ、その活動を誰かに強制されたり具体的な報酬を得ているわけではなく、どちらも「自身のやる気」だけが推進剤であることは全員同じでしょう。

そんな「雑用」に、私を含む管理者やその他権限を持った人も、日々取り組んでいて、少なくない貢献をしていると思っています。 その動機も人によって様々でしょうが、私自身は「可能であれば記事執筆だけを楽しみたい」「けれども雑用を誰かがこなさないといけない」「誰かがやらなければならないなら、日々の自分の生活・人生の隙間時間に可能な範囲で雑用を少しでも負担しておこう」というような気持ちでやっています。 他の権限持ちの方も、大体の人は、大きく外れてはいないと思います。 少なくとも「権限を持ったからと言って、やらなければならないこと=義務は増えておらず、単にできること=権利が増えているだけだ(もちろん権利の行使においては追加の各種規則を守るべし)」という考え方は、ウィキペディア日本語版の文化として根付いていると思っています。 そのような文化の中で「できる時にできることをやる」「できないこと・やりたくないこと・苦手なことは、無理してやらない」という姿勢で日々の雑用をこなしているのです。

しかし、そんな中で今、ユニバーサル行動規範の施行ガイドラインというものを導入しようという強い流れと圧力があり、主にウィキメディア財団がそれを推進しています。 規範もガイドラインも内容が長くてまとまってなくて分かりづらいのですが(これは要約を書くように要望中です)、重要な点として管理者を含むいくつかの特殊な権限を持った利用者に、ユニバーサル行動規範への違反行為に対処する義務を新たに追加しています。 これは、先に書いた文化や姿勢とは対立するものです。 今までは「やらないこと=不作為」については何もなかったところに、「やらないこと」を咎める内容となっているからです。

少し極端な例を挙げます。 まず、ユニバーサル行動規範においては、「人種差別的な言動」は悪と断じられ禁止事項になっています。 この規則自体は、一般の社会生活において当然のことでもありますし、ウィキペディア日本語版には既にWikipedia:個人攻撃はしないという方針として定められていて、特にそれとの矛盾はありません。 しかし「施行ガイドライン」においては、そのような違反行為があったと報告された時、その報告を受け取った・見た(例えば)管理者は、その違反行為に対して必ず対処することを、義務としています。 もしその義務を怠った場合、その管理者自身が、ユニバーサル行動規範(とその施行ガイドライン)違反となるのです。 そうなった時、最悪の場合、その違反を根拠に、個人やコミュニティーに対して法的措置(損害賠償請求)などを取られかねません。 またそのような時に、そのような義務を強要したウィキメディア財団側は「義務を守るように言ったのに無視したその管理者個人が悪いのであって、財団は悪くないので一切関与しない、自分個人でなんとかしろ」と切り捨てることも理論上は可能です。

こんな極端なことが実際に発生するとは信じていません。 しかし、そんな可能性を心配できてしまうことが問題であり、管理者などの雑用がそんな危険な作業になった時、それを今までのように自発的に進んでやってやろうと思う人がどれだけいるでしょうか? 少なくとも、私自身はそのような可能性が高まった場合、私生活等を犠牲にしてまで管理者や各種権限を保持し続けることはできません。 仮に権限を手放したとしても、他の人にそんな自分が嫌な危険性を押し付けてまで、自己の記事執筆欲求を満たしたいとは思いません(気になって記事執筆に集中できないでしょう)。

そして、私と同じように考える人は少なくないと考えています。 であれば、これは、管理者や特別な権限を持っている人だけの問題にとどまらず、一般利用者にも大きな問題となります。 なぜなら、そのような権限を行使する人が減ったり一人もいなくなった場合、対応できるのは日本語が得意ではない&ウィキペディア日本語版のこれまでの文化を理解できないグローバル権限を持っている人や財団職員だけになります。 そうなると説明労力が増えたり誤った対応が増えたりで、一般利用者もウィキペディア日本語版で活動しづらくなるでしょう。 そして最終的に行き着くのは、利用者が減り、コミュニティーの衰退とプロジェクトの停滞、それによって規模もかなり縮小し荒れ放題でプロジェクトの進行速度も大きく低下した「もはや死にかけのウィキペディア日本語版」です。

そのような状況になることを、私は良しとしたくありません。止めたいと思っています。 しかし、これも悪いことに、この施行ガイドラインは約2週間後に投票によって採決をとることが既に決まっているのです。 議論が成熟しきっておらず、文書も不明確な今のような状況での投票は、少なくともウィキペディア日本語版では認められていない方法なのですが、そのような時間的制約を課されてしまっている以上、私たちが日頃から大切にしている「合意形成に基づいた議論と対話による方法」をとることが困難な状況にあります。

そこで、少しいくつかの規則には反することになるのですが必要なことである考えて、コミュニティー各位に以下を投げたいと思います。

  • 質問)上記のような「ユニバーサル行動規範施行ガイドラインはウィキペディア日本語版を妨害する」というような考えは間違っていて考えすぎであり、誤解による過剰な心配と恐れだったりするのでしょうか?
  • 相談)もし、仮に一部でも合っている部分があるのであれば、ウィキペディア日本語版はその悪影響を最小化するために、なにかできること(アイディア)はないでしょうか?
  • お願い)ユニバーサル行動規範、特にその施行ガイドラインについて、自分に影響のある自分事の問題として捉えて、意見提出や疑問不明点の洗い出しに協力をお願いします

もちろん、これも義務ではありません。しかし、先に書いたとおり、ウィキペディア日本語版の将来を左右するとても重要なことだと考えています。

コミュニティー各位からの積極的な応答と活発な議論を期待しています。--青子守歌会話/履歴 2022年2月19日 (土) 10:14 (UTC)[返信]

補足追記
すみません、ちょっと言葉足らずでした。今回(私が)問題にしているのはユニバーサル行動規範そのものというよりは、ユニバーサル行動規範の施行ガイドライン(どのようにユニバーサル行動規範を守らせるか)という文書です。もちろん、両者は切り離せないものではありますが、上記例にも挙げたとおり、ユニバーサル行動規範自体に書かれていることは、ウィキペディア日本語版でも各種方針やガイドラインで既に設定済みのものばかりで大した問題ではないと思います。問題なのは、それを守らせるために、例えば義務や推奨(推奨と言いわれても、理由がなければ拒否できないでしょうから実質強制になると思います)となる項目が増える上にその項目がウィキペディア日本語版のこれまでの取り組み方(やる気があるときにだけやる)と相容れないなど、問題が多そうでこのまま批准されると大変困るということです。--青子守歌会話/履歴 2022年2月21日 (月) 04:18 (UTC)[返信]

議論

コメント 原文を読めていないので誤解があると恐縮ですが、簡単に要約すると、
  • 削除者や管理者もボランティアであり、時間のある時にやれる範囲で保護やブロック、削除などに対処しているのが現状である。
  • ユニバーサル行動規範の改訂によって差別編集などの違反行為への対処が管理者らに義務付けられてしまい、過剰な責任を負わされてしまう。
  • そんな義務を負ってまで管理者や削除者を務めることはできない…として、管理者や削除者になってくれる人がいなくなる恐れがある。
という懸念だと思います。
これまでも存命人物の記事で保護や版指定削除をした管理者の方が、匿名掲示板やSNSで誹謗中傷を受けていることが気になっており、このような懸念には共感を覚える次第です。財団や管理者権限についての知識には自信がないのであまりコメントできませんが、
  • アクティブに活躍されている管理者の方数名が財団職員となり、業務として管理者業務を遂行する。
という手はどうかと考えました。的外れなコメントではないかと恐縮する次第ですが、ご参考になれば幸いです。また、この度の問題提起に敬意を表します。--Assemblykinematics会話2022年2月19日 (土) 12:40 (UTC)[返信]
@Assemblykinematicsさん、ご意見を英訳して、ミーティングの報告に加え、財団に提出します。--YShibata (WMF)会話2022年2月20日 (日) 10:17 (UTC)[返信]
@青子守歌様、[[1]]を書きました。施行ガイドラインでの新しいご意見の英訳もして理解を求めます。--YShibata (WMF)会話2022年2月20日 (日) 14:36 (UTC)[返信]

コメント 日本語版Wikipedia自体の衰退に繋がるものとして、自分は利用者:青子守歌さんに全面的に賛成し、方針に反対します。被っている部分は、青子守歌さんの意見に入っているので、そちらはなるべくカットしています。以下、長文。

  • 問題点
  1. そもそも、この構想自体、管理者・削除者などが全ての事象に対応できることを前提に書いていますが、正直、執筆者に対する管理者の割合が著しく低い日本語版で対応できるとは到底思えません。権限者の中にも英語が話せない方はいらっしゃるでしょうが、今回の構想は「ウィキペディアの利用者・管理者は、英語が話せる・英語が読める・英語で議論できる」ことがまるで前提かのように書かれており、英語を話せない「非英語話者」を完全に蚊帳の外に置いています。英語版で議論できるほどの英語力と度胸を持つ人が日本語版、もっと言えば権限者にどれだけいるでしょうか?例え、日本語しか話せない人が意義を申し立てたとしても、それを英語・日本語に常に翻訳し、全てのメッセージに対してそれを行える人がどれくらいいるでしょうか?それで異議申し立て・方針の認識相違による微妙な案件の対処・速やかな情報伝達などなど、上手くいくのでしょうか?そう考えると、「世界全体での非英語話者は英語話者の6倍もいるというデータもあるのに、『英語版でルールも罰則者の扱いも全部決めておくので、全員それに従ってね。管理者・削除者など権限者は後始末よろしく。ウィキメディア財団は何があっても責任は取りません』という道理はおかしい」と思います。『初心者にもわかりやすく』を目指した結果、『でも、英語話せないとダメ』というのか、と。法案成立後は、権限を持つ人の数が少ない日本語版の意見など無視されるでしょう。そして、基準による訴訟リスクを恐れた利用者はウィキプロジェクトから離れるでしょう。そのため、日本語版の執筆者が減ることは間違いないと思います。しかも、コミュニティのメンバーは研修を受けないといけない。日本語版Wikipediaの現状に合致しなさすぎます。
  2. ユニバーサル行動規範のオープンレターを読みましたが、正直、オープンレターの執筆者は自身が「正義」であり「皆を先導する正しき人」であることを前提に書いており、中立性・公平性に疑問があります。日本語版Wikipediaの管理者・削除者は立候補と投票で決まります。それは日本語版Wikipediaコミュニティ全体の合意形成のもとで行われているもので、異論はありません。しかし、UCoCの管理者は誰が決めるのでしょうか?現状だと有志の気がします。そして、過去のグローバルなウィキメディアでの投票を見る限りでは、日本語版の意見はほとんど通っていないように思われます。では、有志の人はどれだけ「政治的・思想的に中立」でしょうか。エジプトでは政権のコロナ対応を批判したジャーナリストがフェイクニュース禁止法で逮捕され、「慰安婦は高級売春婦と同じだ」などと主張した上で慰安婦問題に対して反対の立場をとったアメリカのラムザイヤー教授に対して論文撤回の署名運動が3500件寄せられ、インドでは「2つのインド発言」を行ったヴィール・ダース英語版が逮捕のリスクを負っているなど、世界的に「発言の自由」が危惧されている時代です。ウィキペディアプロジェクトには人種と知能英語版性差と知能英語版などの記事があります。もしも、私がこういった内容の情報・記事を書き、それが「知能・容貌・人種・信教・文化・社会階層・性的指向・精神障害・身体障害・年齢・ジェンダー・性的指向・宗教・民族・人種・政治的帰属・国籍などに対しての個人攻撃や悪口」などと判定され、ケース3-1の「侮辱」に当てはまるとされた場合、その判定するUCoC関連の人は政治的・思想的に公正に判断してくれるでしょうか?ウィキペディアコミュニティはどれくらい訴訟リスクなどから利用者の身の保証をしてくれるのでしょうか?というより、これらのジャンルの記事は訴訟リスクがあるので今後一切書けなくなるということでしょうか?疑問は尽きませんが、問題点が非常に多い問題だと思います。
  3. 上記の話は、私の想像ではなく、実際に自分がかつて属していた「英語ディベートコミュニティ」で起こったことを元に書いています。英語ディベート界隈には「エクイティ(平等性)」という、最近導入されたとても曖昧な基準がありました。曰く、「オポーネント(対戦相手)、ジャッジ(審判)、オーディエンス(聴衆)が不快にならないようなスピーチをしましょう。それができなかった場合(少しでも苦情が来た場合)は厳重注意します」ということでした。取り仕切っているのは大会の「エクイティオフィサー」という役職の人で、参加者側からしたらどこがアウトで、どこがセーフかの基準も分かりません。今回の例でいくと、UCoCの方針のケース3-1ともかなり似ているところがあると思います。 ディベート界のエクイティ導入の初期の目的は「一部の民族・宗教・国籍の人など、社会的に弱い立場にある人に対して差別的・攻撃的な発言をすることを防ぐ」などの意味合いが強かったと記憶しています(今回ならケース3-1)。しかし、徐々に「これはインモラル(非道徳的だ)」「これは悲壮な記憶を呼び起こす危険性がある」「一部の政治的信条などに反する可能性がある」などとして、少しずつ「中絶廃止」や「同性婚合法化」などの論題がEquity Violation(平等性の侵害)として大会自体から排除されていきました。大会でその論題が出たとしても、中絶廃止の論題でレイプなどの描写を描いただけで「レイプされた経験のある人が悲壮な経験を呼び起こす可能性がある」として発言者が厳重注意、同性婚合法化の論題で合法化反対派で話すことを強制された人が立場上「男同士の結婚は不健全だ」と発言しただけで「性的多様性を無視して人の心を傷つけた」として発言者が厳重注意、みたいなのが実際にあったので(一部は他人越しですが、実際にあったものとして記憶しています)、ウィキペディアから「発言の自由」がなくなる未来も近くなる可能性があります。下手すれば、その関連の記事・情報を投稿しただけで内容を撤回することを強制されたり、訴訟されたりするリスクもありますし、私はかなり問題視しています。
  4. 「助け合いの手助けは必要だとしても、助け合いの強制は要らない」。これにつきます。自分は、初期にウィキペディアで「分割強行した上に履歴不継承」という大罪を初期の時に起こしましたが、その時も他のウィキペディアンの方々の献身的な手助けで窮地を脱することができました。現状でも執筆の手助けとして「ウィキポータル」「査読依頼」「井戸端」などなど、他の案があります。もっと言えば、「毛皮のマリー」のようにウィキペディアプロジェクトに慣れた方と初心者の方が一緒になって執筆された記事もあります。現状でも助け合いの準備は十分できていると思います。もしも不十分であれば、それは専用のページを設けるなどしてコミュニティの中で対処するべきですし、「他のウィキペディアンのことも見るように」と強制されたとして、実際に他の利用者まで目が行く人がどれくらいいるでしょうか?正直、自分のことで手一杯だと思います。そのため、この法案自体、空想論を並べただけで、負担を増やし、自由を減らすだけの政策にしか見えないのですが...。
  • 解決案
    1. 反対票を投じる。これに尽きると思います。Twitterなどでウィキペディアユーザーに呼びかけて、なるべく多く投票に参加してもらう(ただし、ウィキペディアのルールに反しないように賛成・反対のいずれに投票するかは強制しない)。同時に、問題点などを発信し、なるべく多くの人を味方につける
    2. 日本語版Wikipediaの利用者などに、なるべく管理側(UCoC・管理者・削除者など、どれでも可)に回ってもらう。
  • 解決案については、少し思いつかなかったので、月並みの表現ですが、一個人でできる範囲であればこれくらいしか思いつかないです...。--NatsuQuiz会話) 2022年2月19日 (土) 14:10 (UTC)一部、補足--NatsuQuiz会話) 2022年2月19日 (土) 14:13 (UTC)一部、補足--NatsuQuiz会話2022年2月19日 (土) 14:15 (UTC)[返信]
@NatsuQuiz様、呼びかけについて、ご協力いただければありがたいです。--YShibata (WMF)会話2022年2月20日 (日) 11:51 (UTC)[返信]
了解です。少し忙しい状態が続いているため、多言語版の議論までは期限内に手回らない可能性が高いのですが、日本語版関連は少し呼びかけに協力できるかとは思いますので、微力なら、自分のできる範囲で協力させてもらいます。--NatsuQuiz会話2022年2月20日 (日) 11:56 (UTC)[返信]
@NatsuQuiz様、感謝もうしあげます。日本語コミュニティだけで十分です。2021年、世界第三位の規模だそうです。一位英語、二位仏語(アフリカやカナダなど含)--YShibata (WMF)会話2022年2月20日 (日) 14:50 (UTC)[返信]
@NatsuQuiz様、@青子守歌様、研修については「Recommendations」[[2]]なので、義務ではないです。--YShibata (WMF)会話2022年2月20日 (日) 11:57 (UTC)[返信]

コメント 守るべき「ウィキペディア日本語版の文化」なるものがあって、相容れないものを押し付けられようとしている、と聞こえるのですが、そんな文化は存在するのでしょうか。以前井戸端でWikipedia:井戸端/subj/寄付お願いのメール等に関するjawpからの要望など(あれば)2020なる呼びかけがあり、寄付お願いメールに対する意見が募集されたことがありました。こういう議論は、出た意見のまとめがあって、こういう意見を何月何日に財団の窓口に伝えた、という報告で終わっているのが「一般の社会生活において当然のこと」だと思います。しかしそうなってはいません。これが「できる時にできることをやる」という「文化」の成果なのなら、そんな文化は行動規範とやらを受け入れようと受け入れまいと、衰退していくと思います。--西村崇会話2022年2月19日 (土) 23:18 (UTC)[返信]

  • コメント 非英語話者云々以前に「(導入言語版コミュニティに)裁定委員会が存在すること」が大前提となって厳しい制裁措置規定や差別に関する言動、態度の規制が盛り込まれているようなので『そのような委員会が存在しない日本語版には根本的に導入不能』なのではないかなあ、と思いました。その上で、裁定委員会がない状況で無理矢理にでも導入が実施された場合、それが招くのは現状で有効化されている方針ガイドラインで当てはまるものの強化、つまりWP:FAITHの厳格・厳罰化、強い遵守必要性を持つ上位方針化になるんじゃないかなあ、とも思いますし、裁定委員会というクッションを通さず一般利用者が直接にこれを問題視し即時対処を求めた場合、これらの通報に直接対処することになる管理者・削除者の負担は通常業務に支障を来たすほど増大するように思います。コミュニティの萎縮や衰退が始まるかどうかの未来展望については知りませんが、記事内容に関する議論の進行に大きな影響を及ぼすことにはなると思います(言論統制や言葉狩りまで進むとは思いませんが、懸念する方がいるのは当然かも?)。
その結果を予想した上で、「(上の方で)規範が制定されるに至った経緯と規範の存在は解ったが、日本語版では導入準備となる前提条件を満たさないこと、今後もその前提を満たす予定がないこと、言語の壁をまたぐ翻訳者の存在が不可欠だがそれが財団側で用意されておらず、コミュニティ側にも無償ボランティアとして存在し得ないこと」を理由に導入自体に反対というか、導入不能である事実を伝えるのも反対意見のひとつとして有効かなあ、と思います。
日本語版固有の文化とかそういうのは実情として何を/どこを/どれを示しているのかよく分かりませんが、例えばよく問題になっているラノベ記事などサブカル分野の成長に貢献している編者群や、過去は鉄道、交通分野での編者集団によるプロジェクト各個のローカルガイドライン関係議論、といった場/分野を指し、そこら辺での編集活動が行動規範の導入を妨げる可能性が大きい、または現状での編集活動を阻害する可能性が大きい、といった懸念を心配するのであれば、自分らで資金を出し合って独自wikiを作成し、現時点のそれらの記事をせっせこCC-BY-SC3.0転記して規範と永続的に無関係なそっちへ大挙して住民移動し皆で自腹を切って続きをやればよくない? と個人的には思います(実際に日本語版以上にゆるゆるなルールで百科事典もどきを記載している、財団が一切運営に関わっていない個人wikiを知ってます)。
で。個人的には、Wikipediaという場所を(おっそろしい年間経費を掛けて長年)提供している地主の意向がユニバーサル行動規範という形で降ってきたのなら、場所を借りてるだけにすぎない店子としては「自身の在住する国の国法と、サーバーが置かれた国の国法双方に反しないのならば」可能な限り要望を実現すべきなのではないかなと思いますし、その結果として上述のようにWP:FAITHなど既存方針ガイドラインやマナー関係が厳罰化されても「それに従える大多数が困るとは思えない」という感じ。
ただ、賛否どちらを表明するにせよ、日本語版でこのような非英語版コミュニティの意見議論を集約し総意として運営側へ伝えようとするのは良い試みだし、意義があることだと思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2022年2月20日 (日) 05:20 (UTC)[返信]
コメント ユニバーサル行動規範は「一般の利用者」にとっては、今ある「個人攻撃をしない」等の方針が、全ウィキメディアプロジェクトに適用される利用規約に格上げされる程度の内容にすぎません。行動規範自体の導入に反対、賛成とかのフェイズは1年前に過ぎていて、もう導入は決まっています。今話題になっているのは規範の「執行ガイドラインの導入」についてでして、これは管理者など上位権限保持者に行動規範の遵守の表明義務とその違反者への対処を定めたものです。私のような一般利用者にとっては利用者同士の争いの解決手順が透明化、利用しやすくなるもので、歓迎すべきものです。しかし、管理者にとっては行動規範を守っていない利用者に対処しなければならない倫理的負担が追加されるので、好まない人もでてくるかと思います。
いま出ている反対意見はすでに2020年のロシア語版やポーランド語版、韓国語版のコミュニティ意見で既出ですし、日本語版だけが行動規範自体の導入に反対したところでどうにかなるのか疑問です。すでに財団の方針として導入が決定していますので。というか強力な新たな理由がない限り反対しても意味がないでしょう。
一方、「執行ガイドラインの導入」については、今が導入に反対、賛成とかのフェイズなので、その問題点を指摘するのは良いことだと思います。--Afaz会話2022年2月20日 (日) 09:08 (UTC)[返信]


コメント 「質問)上記のような「ユニバーサル行動規範はウィキペディア日本語版を妨害する」というような考えは間違っていて考えすぎであり、誤解による過剰な心配と恐れだったりするのでしょうか?」への感想 /「ウィキペディア日本語版の将来を左右するとても重要なことだと考えています。」「自分に影響のある自分事の問題として捉えて、意見提出や疑問不明点の洗い出しに協力をお願いします」ということですので、感想ですが記します。どちらかといえば間違っていると思います。WikipediaはGoogleで検索したらトップにヒットするメディアで強い社会的影響力をもち、それに応分の社会的義務も負っているはずです。だから規範もつくるし、規範が絵に描いた餅にならないよう施行規則もできるのでしょう。これは私は完全に良いことだと考えます。なので、それに対応できるだけの自治力を日本語Wikipediaコミュニティが有さないのだとしたならば「対応できるのは日本語が得意ではない&ウィキペディア日本語版のこれまでの文化を理解できないグローバル権限を持っている人や財団職員だけにな」っても仕方がないのではないでしょうか。管理者の方の日頃のお仕事には最大限の敬意を評します。一方で私は一執筆者で何もやっていなコミットも浅いのでこういうことを述べるのは心苦しいですが、一般的な社会の実務のありように照らして考えたときに、コミュニティ外部の一般の人に「Wikipediaにおける管理とは管理の不作為がいっさい問題とされず「「できる時にできることをやる」「できないこと・やりたくないこと・苦手なことは、無理してやらない」という姿勢」でやっているだけである」と説明して、それだけでこれだけの影響力の大きいメディアをコントロールしている(あるいはしていない?)というわけですから、驚かれ、場合によっては呆れられると思います(一般的な意味においてはそれは「管理」ではないからです。私は今回はじめてこの話を聞いて率直に驚きました)。こういう見方は私が新参の参加者で、初期の日本語Wikipediaの自由な気風の文化みたいなものよく知らないからの感想かもしれませんが、Wikipediaコミュニティ外のひとに意見をきいたらこういう感想が普通に帰ってくるのではないでしょうか。自由を好きに満喫するには今現在のWikipediaは社会的な影響力が大きすぎるのです。だから「ユニバーサル行動規範はウィキペディア日本語版を妨害」しているという「妨害」という考え方が私は感覚として大きな違和感があります。メディアの規模や影響力に応じた当然のガバナンスをきかせにきてるというほうが私の感覚に近いです。当事者として考えるというなら日本語Wikipediaのコミュニティが、Wikipediaの大きさをきちんと踏まえて社会的義務を当事者として自分事として考える視点をなくしてはいけないと考えます。Wikipediaコミュニティが社会から遊離してしまうと社会から人的リソースを調達すること期待できなくなりますよ。そういう方向の懸念も持っておかないと当座のこととして「妨害」を阻止したとして、長い目で見てコミュニティの存続に良い結果を生むのか?私は疑問なしとはしません。--Travis sttoko会話2022年2月21日 (月) 08:03 (UTC)[返信]

  • コメント なんでしょうね、単なる悲観主義かもしれませんが「なにも変わらない」か「衰退する」のどちらか、のような予感はします。(すごくよくなる、という感じはしない。)
  • 現状、JAWPの管理界隈と本部・財団(?)との管理界隈のあいだには、よくわからない断絶が確実にあるようには感じます。おそらくまず言語の壁があって、そのために、きっと、お互いに双方向でよく事情をわかっていない。
  • できるだけ建設的に言うと、結局、いまのJAWPの中から、一連のあたらしい地位(なんとか委員会とか?)に就く利用者をある程度送り込まないと、我々は不安、という感じでしょうか。じゃあ誰を?って話になりますけどね。
  • 井戸端なのでフランクに言うと、たとえば、くさかさんとか、あるいは(ご本人の意思とかをガン無視して)現職ビューロクラット4名を自動的に送り込むとか、―あるいは青子守歌さんとか― がそれをやりますとか言う話なら、私は「なんか大丈夫そう」と思える。ただしまあ現実問題として、言語のハードルや、過度に個人情報とかを財団に委ねるのはヤダよというのはわかる。まずは日本支部を作ってもらって、然るべき人たちに、義務や責任に見合うだけのなにか―日本で専業としてやってくのに十分な金銭的対価とか?―があるとかね。(私自身はそこまで捧げる気はないという感覚なので、他の方も同様であったとしてもしかたがない、と思っています。)
  • 些末なことをいうと、ガイドラインの「翻訳と原文に違いがある場合、英語の規定優先」というのがざわざわしますね。表面的には至極あたりまえのことなんですけど、具体的な事案ではここが問題になりそう。そもそも各種方針・ガイドラインが英語版と日本語版で「翻訳の差」に留まらない違いがあるわけで。--柒月例祭会話2022年2月21日 (月) 09:54 (UTC)[返信]
コメント 対処の義務が生じるとするならば、大きな問題であると私も思います。UCoCが最上位の規範であることに異論はありませんが、専任でもないのに特定の業務が必須というのは異常です。
ただ、指摘されている義務は発生しないと解釈することも不可能ではなさそうです。Overview節にCode enforcement is a responsibility of designated functionaries and bodies with technical or decision-making power...とあります(青子守歌さん、根拠はここということでよいのでしょうか)が、日本語版には義務としては記載されていませんし(英語版が優越しますが、responsibilityの意味の幅の範囲内かも?)、「概要」に対するメインの部分では特に触れられていません(対応しそうなのは遵守明示とProviding resources for processing cases節のみ)。
この議論を見てからガイドラインとにらめっこしていたんですが、そもそもの問題として日本語訳がよい状態にあるとはいえず、原文の英語版にも曖昧さがあり、さらには文書としての構造が練りきられていないように感じます。
なお、研修に関してYShibata (WMF)さんが義務でないとおっしゃっていますが、これ(少なくともその根拠)は誤りかと思います。終身制であるがために「遵守明示の対象」から漏れている可能性は否定しきれないものの、この節はThe Wikimedia Foundation shouldで始まっていることからもわかるように財団への勧告という形式をとっており(節名は誤訳、直訳すれば「コミュニティ・メンバーへのUCoC研修についての勧告」)、本文での研修についての説明では遵守明示の対象者に受講の義務が課されています。--YTRK会話2022年2月21日 (月) 13:11 (UTC)[返信]

コメント 皆さんお疲れさまです。まずどんな理解で書き込むか述べます。ユニバーサル行動規範は、例えば百科事典ですと300超ある言語版のうち、5本の柱があることすら周知せず細々と続けているところから、YShibataさんが示されたように言語人口と比べると密度濃く活発に編集を行う日本語版やフランス語版まで、全部に基本線のルールを作る話として読んできました。本件(行動規範を決めよう→施行・執行策を守ろう)の背景には、管理者が独裁してしまったウィキもある、ウィキ活動を根拠に身体的被害を受けた利用者がある、終わらない人種格差を煽る投稿や荒らしなど、編集者同士としてより、財団法務部として懸念することがあると読みました。なんだか対岸の火事です。

では、脱いだ靴はそろえる、食事をつくってもらったら皿ぐらい洗おう。卑近な例ですが、日本語版ウィキに特定すると、なんでもありの「ちゃんねる系」ではない空間を保つために方針とガイドラインを揃えて、権限を預かる人がパンクしないように、皆さん、互助の精神で衝突解決を仲立ちし合い、ヒラでもできる措置を手伝っておられます(雑用呼ばわりはご自分を卑下するため?)。

でも本件の施行・執行の決まりのせいで、「お互い様精神」はしぼんでしまうのでしょうか? 

  • 「害」を被るのは管理者(権限を預かる人)だけで、ヒラの私は対岸の火事だと眺めていれば良いのか?
  • 使えないヘボな道具を押し付けられ、それをしぶしぶ用いたら、些細な誤用をとがめる根拠を受け入れることになるのか? どんなひどい目に遭わされるのか?
  • 屁理屈をこねるには絶好の悪い器であり、荒らし呼ばわりを撤回させるために使えて喜ばしいのか?

日本語版のウィキペディアをユニバーサル行動規範と照らすなら、現行のガイドラインまで含めて「やっちゃダメ」な項目はきめ細やかであって、わざわざ追加すべきものはないと感じます。間違っていたら教えてください。

では「ユニバーサルな行動規範を実施せよ」(施行・執行策)との落差は何なのか。これを読ませたい対象は、世界にいるというウィキ独裁や編集者粛清を堂々としている、一部の利用者を想定しているのですか? 行動規範を行動のものさし、つまり道具だとすると、ウィキペディア日本語版こそ、行儀や決まりは丁寧に丁寧に築いてあり、そこに突然、その使い方に罰や罪の考えで「取り締まるぞ」と押し付けてきたのでしょうか。

  • 便利な道具だけど双刃の刃でもあるので、使って良い人と、安全な使い方、間違った使い方をしたときにこうなりますよと例示するのが、「施行・執行」の目的だと解釈しています。こと日本語版ウィキペディアでは実施者・実施しなかった者が処分を受けるなどナンセンス、不足気味の管理者に足枷をはめては本末転倒。私は施行・執行に伴う罰則規定を設け従うことを求めてくるならボイコットします。読む専に戻るのもIP利用でできる範囲のことに絞るのもあまりに苦しいし、志したことは諦めたくないから罰則規定は反対します。

日本語版の百科事典には「ユニバーサルな行動規範」は大きなお世話に感じます。言語コミュニティ同士が投稿者として同格なら、共通の決まりはないがしろにせず守る。それで十分。ここ(日本語版ウィキペディア)に限定するなら、きめ細かくルールを作り、マンパワーを限界まで回して包括性と安全を守っている点の、どこに文句をつけるところがあるのか。方針やガイドラインが不備なウィキなら、多言語版(おそらく英語版)から訳して持ち込むしんどさを想像すると、規制の道具(ユニバーサル行動規範)を持ってくれば楽かもしれないです。

ただ、言うべきことは山ほどあるはずなのに会場は英語でやり取りするからって口を塞がれるのはたまりません。だけれど、こちらが言うか言わないかは別問題として、そもそもメタは非英語(日本語)で書き込むことを禁じてないのです。「本意が伝わりにくいので英語で書いてくれないかな」と添え書きしたページもあり、半分は投稿者に頼めるとしても、本来、意見感想を言えと求めるなら、予算を持っている組織の怠慢です。また、ことこの案件について財団は大切な投稿を読まないわけにいかないから、「英語じゃないから読んでない」という言い訳は立ちません。@YShibata (WMF)さんが手を尽くしてここ(日本語版ウィキペディア)への投稿を翻訳してくださるけど、「メタに書き込まない=無言の承諾」を避けませんか。メタにも個人的見解は書き込んでよいんですよ、この投稿は日本語コミュニティの総意なのだなとは受け止めないです。

最後に自戒を込めて。メタにこの件の文書類が置かれていて、わざわざ読みに行ったら誤訳じゃんと思われた皆さん。お読みになり、文書間の照らし合わせで誤りを発見されたのですね、たいへんお手数をかけました。そういう暁には、百科事典(ここ)同様にウィキの精神を発揮してその場で訂正してはどうですか。もしくは変更履歴を見て投稿者にアドバイスしてもらえませんか。訳者として私の反省点は期限付きの議論を求められていることに縛られて、複数の文書の読み合わせができないままページ数を稼ごうとしている点です。また重ねて言い訳だけれども、たとえ何年もらっても訳出と良質な査読は私にはできず、じゃあ手を出さずに眺めていることもできず、時間はなくなるばかり。

まとめ。無料で空間が用意され利用者は互いに益となるように手を差し出し、管理者は利用者を危険から守ろう、誤用や不公正をただそうと尽くしてくれている日本語版ウィキペディア。世の中の常として、全体像に対してポジティブな面がすべてでないとしても(それも気持ち悪い)、こんなに有難いことはありません。お互い様なのだからせめてエールを送るつもりでできることはする、だからこのスレッドにもたくさんコメントが集まったと思います。ローカルの自浄作用を妨げる目的や条項は、行動規範の施行・執行策に盛り込まないでください。--Omotecho会話2022年2月22日 (火) 03:19 (UTC)[返信]