家族・私有財産・国家の起源

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晩年のエンゲルス(1891年)
『家族・私有財産・国家の起源』の扉

家族・私有財産・国家の起源』(かぞく・しゆうざいさん・こっかのきげん、(ドイツ語: Der Ursprung der Familie, des Privateigenthums und des Staats)は、1884年に初版が出版されたフリードリヒ・エンゲルスの著作であり、彼の老年期における最高傑作のひとつである。エンゲルスは、国家一夫一婦制私有財産奴隷制度賃労働を自明のものとする歴史観にたいして、それらが歴史的なもの、すなわちある条件のなかで生成し、またその条件の解消にともなって消滅(変化)するにすぎないと主張した。

本書は1908年堺利彦が『男女関係の進化』として翻訳を発表した。ただし、弾圧を回避するために国家論部分などは翻訳されなかった。現在、『家族・私有財産・国家の起源』として、岩波文庫(1979年;戸原四郎 訳)、新日本出版社(1999年;土屋保男 訳)などから出版されている。

目次[編集]

本書は次の9つの章から成る[1]

  • 第1章 - 先史の文化諸段階
  • 第2章 - 家族
  • 第3章 - イロクォイ族の氏族
  • 第4章 - ギリシアの氏族
  • 第5章 - アテナイ国家の成立
  • 第6章 - ローマの氏族と国家
  • 第7章 - ケルト人とドイツ人の氏族
  • 第8章 - ドイツ人の国家の形成
  • 第9章 - 未開時代と文明時代

成立の経緯[編集]

本書執筆の経緯はカール・マルクスの遺稿整理に契機があった[2]

ルイス・ヘンリー・モーガン

マルクスは生前、古代社会や古い形態の共同体の研究に没頭していた。1870年代、最晩年に達したマルクスはロシア農村共同体の研究に着手し、やがて共同体一般への関心を高めていった。やがてマルクスは原始共同体への研究の手がかりをルイス・ヘンリー・モーガン文化人類学研究に求めた。モーガンはイロコイインディアンを調査研究した成果を『古代社会』にまとめていたが、マルクスはモーガンの著作とその周辺の関連文献を読み漁り、詳細なノートを作成していた。しかし、マルクスは1883年に研究を完成させられずに死去する。本書の序文に「以下の諸章は、ある程度まで遺言を執行したものである」とあるように、エンゲルスの盟友であったカール・マルクスが書いた研究ノートを使って、エンゲルスが独自に仕上げたものである。エンゲルスはマルクスの中途に終わった人類学研究を継承し、ヘーゲル弁証法の方法論を加えて唯物史観に構築し直すプロジェクトに携わっていくことになった。この頃、エンゲルスは青年期から関心を深めていた古代ゲルマン人の部族制社会の研究にまい進しており、『原始ゲルマン人の歴史』や『フランク時代』の二編の論文を執筆していた他、古代史の研究で成果を出そうとしていた[3]

マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』において「これまでのすべての歴史は階級闘争の歴史である」と書いたのち、これに注をくわえ、原始状態を別とした[4]。マルクスが1859年に『経済学批判』を書いた時点で、すべての民族の歴史の入り口に原始共産制社会があったと考えた。こうした理論を豊富化するために、マルクスもエンゲルスも古代史の研究を熱心におこなった。エンゲルスは、『空想から科学へ』の中で原始共産制社会の存在を指摘し、平等な共同体が有史以前に存在していたと重ねて主張した[4]

一方、ドイツではカール・カウツキーによる『家族と婚姻の歴史』の出版があり[5]、1879年にはアウグスト・ベーベルによる『婦人論』が刊行され、社会主義による女性と家族に関する理論的考察が試みられていた。しかし、これらの文献は女性の抑圧を人類史の宿命として位置付けるもので、社会主義による女性の解放を主張していたものの、エンゲルスにとっては不十分な研究でより完成度の高い研究が必要だと感じられた[6]

エンゲルスは男性による女性への支配の構造が確立される有史時代以前の原始共産制社会を論じ、原始から古代の単婚制の奴隷制社会への移行過程を整理し、ジャン・ジャック・ルソーの『人間不平等起源論』やゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの『歴史哲学講義』、『法の哲学』などの古典ばかりか自身の青年期の著作『ドイツ・イデオロギー』を乗り越え、カウツキーとベーベル批判となる画期的研究を発表しようと考えていた[7]。エンゲルスの研究は論文としてドイツ社会民主党の理論雑誌『ノイエ・ツァイト』(: Die Neue Zeit)に掲載する予定であったが、執筆の過程で原稿が膨らみ続けて膨大なものとなってしまう。そこで単著で刊行することとなり、1884年に「いわば(マルクスの)遺言を執行したもの」として『家族・私有財産・国家の起源』が刊行されることになった[8]。1884年段階ではオットー・フォン・ビスマルクが制定した社会主義者鎮圧法があり発禁処分を考慮せざるをえなかったが、同法の廃止をうけて四版では発行部数を倍に増やした。増補改訂の主要な部分は第二章の家族に関する章で、著作全体の3分の1以上を占め、エンゲルスがもっとも重要視した章であった[9]

本書の概要[編集]

バッハオーフェン

序・研究史の流れ[編集]

1884年2月、こうした研究活動の中でエンゲルスはマルクスによるモーガン研究のノートを発見した[4][10]。さらに、モーガンの他にはヨハン・ヤコブ・バッハオーフェンの『母権論』、古代の氏族共同体に関してゲオルグ・ルートヴィヒ・フォン・マウラーの『ドイツ村落制度の歴史』や、マクシム・コヴァレフスキーの『共同体的土地所有 その解体の原因、経過および結果』、ヘンリー・メインの『初期制度史講義』、ジョン・ラボックの『文明の起源と人類の原始状態』などのノートがつくられた。エンゲルスは、これらの古代共同体に関する研究ノートに基づき序論を記述し、先史研究における研究史の流れを概観した[11]

文明以前・原始から未開へ[編集]

本書の概要は三部分に整理することができる。一章から三章までの冒頭はモーガン説と古代の人類史の発展過程の紹介に充てられている。まず、原始の人類社会には新時代が到来し始めていた。

第一章では文明時代への移行の契機が整理されている。人間が動物界から分離したばかりの「過渡的な状態」である「野蛮」から、「未開」をへて、「文明」にいたる、人類社会の発展図を略述した章である。生活技術によって「野蛮」と「未開」に区分し、さらにそのなかを「上位・中位・下位」段階に分ける方法を用いている[12]。契機は採集漁業狩猟からなる野蛮段階から技術の取得によって新段階へと移行する発展のなかにあった[13]。人々は土器の製作をおこない家屋を建て定住生活をなす中間段階を経て、牧畜農耕への未開段階へと移行を果たす[14]。この段階で新大陸と旧大陸で主要穀物の相違と家畜類の種特性の相違によって異なる道筋をとり、熱帯や極地を中心に旧型の原始社会に留まる地域が生じた。旧大陸を中心に更に進歩を続けた人類はムラからクニへと社会編成を変えて、金属器の製作技術を高めて灌漑農業騎乗遊牧生活を拡大させて、肥沃な大河周辺地帯で有史時代への最初の移行を果たした[15]。第二章は、原始的な家族形態を復原して今日の社会における一夫一婦制の起源を明らかにする部分、資本主義階級社会における一夫一婦制の批判する部分、いかに婦人は解放されるのかという共産主義社会での家族と結婚という三つの部分が書かれている[12]

第三章では、原始的な家族形態をなすイロコイ族の具体的事例が紹介されている。

イロコイ族などアメリカ・インディアン、インドの部族において現存する家族制度と、血族呼称制度が矛盾している例をとりあげている。家族は社会編成の基本体制であったが、野蛮段階では部族を構成する男性と女性による集団婚であり、誰が子どもの父親であるかが不確定であったため、母系制の共同体を形成していた。しかし、農牧業の発達による富の形成は土地の分割と私的所有をもたらしていく。未開段階に入った人類は、財産となる土地や家畜の所有を戦闘力に優れる男性の権限に移し替えていった。私有財産制度は、実子への財産の継承、即ち世襲原理を可能とするために、母系制の集団婚から父系制の対偶婚へと婚姻制度の変更を余儀なくさせた。ここで「乱婚(無規律性交)→血族婚→プナルア婚→集団婚→対偶婚→父系制単婚」という発展図式を考え、私有財産制度の成立と富の拡大ともに父系制社会への移行が起きたとした。これが画期となって人類は古典古代へと移行していく。エンゲルスは第二章の一節で次のように語っている。

「富が増大するのに比例して、この富は、一方では家族内で男性に女性よりも重要な地位を与え、他方では、この強化された地位を利用して、伝来の相続順位を子(父の嫡子)に有利なように覆そうとする衝動を生み出した。しかしこれは、母権制による血統がおこなわれているかぎり、だめであった。したがって、この血統が覆されなければならなかった。そしてそれはくつがえされた。……。一部は富の増加と生活様式の変化(森林から大草原への移転)の影響のもとに、一部は文明と宣教師の精神的影響から、……、ショーニー族、マイアミ族、デラウェア族では子が父から相続できるように、父の氏族に属する氏族名をつけて、子をこの氏族に移す慣習が拡がっている。……。母権制の転覆は女性の世界史的敗北であった。男性は家のなかでも舵をにぎり、女性は品位を穢され、隷属されられて、男性の情欲の奴隷、子供を産む単なる道具となった。」[16]

神話期ギリシア氏族・私有財産制と家族[編集]

私有財産制は家族制度を新しい段階へと発展させる。集団婚を単婚へと移行させ、やがて、単婚制を一夫多妻の家父長制から一夫一婦制へと移行させた。それとともに一夫一婦婚そのものの内部に第二の対立が発展してくる。第二章の一節には「(単婚家族という)この新しい家族形態がまったくの過酷さをもって現れるのは、ギリシアの場合である」と語り、単婚制家族における夫婦を次のように描写している[17]

「英雄時代のギリシアの妻は、なるほど文明期の妻よりも尊敬されているが、しかし結局のところ、彼女は夫にとって、彼の相続者である嫡出子の母であり、彼の家政婦長であり、また彼が意のままに妾にすることができるし実際にもそうする女奴隷たちの監督官であるに過ぎない。単婚に並ぶ奴隷制の存在、その身にそなえたすべてをあげて男のものになる若い美しい女奴隷の存在、これこそが、単婚にはじめから特殊な性格を、すなわち、妻にとってだけの単婚であって、夫にとっての単婚ではないという性格を、押印するのである。そしてこの性格を単婚は今日でもなお帯びている。」[18]

エンゲルスは、単婚制は財産所有権を掌握した男性による支配の原則で、女性に対して不平等な支配のシステムと考え、この不平等な婚姻は姦通と娼婦制度によって補完されるとした。古代文明の発展の過程と共に、女性は支配の対象となって家財として扱われるようになり、公的社会への参加権をはく奪されていった。エンゲルスは史的唯物論の公式に基づき、文明社会の家族と女性のあり方を以下のごとく端的に言及した。

アテナイに代表されるイオニア族では……、娘たちは糸紡ぎ、機織り、縫い物、それにせいぜいわずかの読み書きをならったに過ぎない。彼女たちは監禁されているも同然であって、ほかの女たちとだけ交際した。女部屋は家の中の隔離された部分であり……、そこには、男、とくに外来者は容易には入れなかった……。そして、子供を産む仕事を別にすれば、妻はアテナイ人にとって女中頭以外の何物でもなかった。男には体操や公的な討議があったが、女はそれから排除されていた。そのうえ男は、……国家による大規模な売春制度をもっていた。スパルタの女性市民が気品の点でそうであったように、才気と芸術的嗜好の点で古代女性の一般的水準を抜く、無比のギリシア人婦人気質が発達したのは、まさにこの奴隷制度を基礎としてのことであった。……

単婚は決して個人的性愛の果実ではなった。というのは婚姻は依然として便宜婚だったからである。それは、自然的条件ではなく、経済的条件に、つまり本源的な自然発生的な共同所有に対する私的所有の勝利にもとづく、最初の形態であった。家族内での夫の支配と、彼の子であることに疑いがなくて、彼の富の相続者に定められている子を産ませること―これだけがギリシア人があからさまに宣言した一夫一婦制の唯一の目的であった。……アテナイでは、結婚だけでなく、夫の側での最小限のいわゆる婚姻上の義務の遂行もまた、法律によって強制されていた。

このように、一夫一婦制が歴史に登場するのは、決して男女の和合としてではなく、いわんやその和合の最高形態でもない。その反対である。それが登場するのは、一方の性に対する他方の性の圧制としてであり、それまで先史の全期をつうじて知られることのなかった両性の抗争の宣言としてである。……。歴史にあらわれる最初の階級闘争は男性による女性の抑圧と合致する。しかしそれ(男女不平等)は同時に、奴隷制および私的な富と並んで、かの今日にまでも続く、すなわち、そこではあらゆる進歩が同時に相対的な退歩であり、一方の幸福と発展が他方の苦痛と排撃によって達成される時期を、開くのである。(家族制度)それは文明社会の細胞形態であって、われわれはすでにここに、文明社会で十全に展開する対立と矛盾の本性を研究することができるのである。()内筆者加筆。」[19]

不貞は厳禁され厳罰に処されはするが、姦通が婚姻制度の不可避な社会制度になった。本来平等であるべき両性の原理が私有財産制によって捻じ曲げられ、男性による女性に対する支配という不自然な婚姻制度の解きえない矛盾を解くために、婚姻制度の邪悪な内面性を制度的に反響させる、対象物として娼婦制度が発明された。

「財産の差が生じるにつれて、したがって、未開の上位段階で、賃労働が奴隷労働と並んで散発的に現われ、そして同時に、その必然的な相関物として自由人の女子の職業的な売春が、奴隷の強制された肉体提供ととならんで現れるようになる。このように集団婚が残した遺産は二面的であるが、それは文明がうみだしたものがすべて二面的であり、二枚舌的であり、自己分裂的であり、対立的であるのと同様である。すなわち、一方には単婚があり、他方には売春という極端な形態を含む娼婦制がある。娼婦性もまた、他のすべてのものと同様に一つの社会的制度であり、それは、昔の性的自由を相続する―男性に有利なように。……。 しかし、これとともに、単婚そのものの内部に第二の対立が発展する。自分の存在を娼婦制によって飾る夫のかたわらには放置された妻がいる。……。一夫一婦制ともに、以前には道の二人の登場人物が現れる。妻のおきまりの情夫と、妻に姦通された夫とが。……。一夫一婦制および娼婦制とならんで、姦通は一つの不可避的な社会的制度となった―厳禁され厳罰に処されるが、しかし抑制することはできない。この不正の確実さは依然としてせいぜい道徳的信念に基づくだけである。そして、この解決できない矛盾を解決するために、ナポレオン法典第312条は布告した。「: L'enfant conçu pendant le mariage a pour père le mari. 婚姻中に受胎された子の父は ── 夫である」。これが、三千年にわたる一夫一婦制の最後の帰結である。[20]

一夫一婦制と娼婦制は相互補完を通じて強化され、圧倒的に男性に有利な形ではあるが、男性と女性の両性に対する性的支配権力を強化し続けていく。私有財産制の根幹にある財産継承の原則を支えるべく登場するのが民法である。一夫一婦婚型家族制度の根本をなす民法典、ナポレオン法典第312条に引き続き、日本国民法第772条が規定する「嫡出の推定」すなわち「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」へと継承されている。

法務省は、民法第772条の源流が、ナポレオン法典第312条にあるとは、説明していない。

しかし、産業革命によって資本主義が成熟するとプロレタリアート階級における単婚制家族の崩壊が始まる。そして、エンゲルスは社会主義革命によって資本主義が崩壊すると、私有財産の主要部分、すなわち、生産手段の私的所有の廃止されることで、財産の相続を目的にした一夫一婦制の基礎も消滅するのだと主張した。

古代ギリシア以降・「国家」の形成[編集]

第四章から第八章は古代ギリシア古代ローマ古代ゲルマン氏族共同体が紹介されている。いずれも氏族は国家に先行する社会組織であり、史書や現行制度の痕跡からそれを証明しようとしている。ただし、一様なものではなく、民族ごとに豊かな形態があることをエンゲルスは叙述している。一例として古代ギリシア古代ローマの事例を紹介する。

エンゲルスは、ギリシアの諸部族の神話期の歴史からすでにいくつかの小さな統合部族に結集して、城壁で固められた都市に住んでおり、内部に氏族部族が自立性をなお保持していたことを指摘しながらも、畜群や畑地耕作が拡大し、手工業がはじまるにつれて、人口は増加して富の差が増大すると、古い自然発生的な民主政の内部に貴族性的な要素が成長したことを示唆した。また、個々の部族団が最良の地域を占有したり戦利品を得るため、絶え間ない戦争状態におかれ、捕虜をもちいた奴隷制を導入したことを指摘した[21]

英雄時代のギリシアの制度から内乱の一世紀と呼ばれる共和政ローマの古典時代のうちに、歴史的転換の契機が見出される。エンゲルスは古い氏族制度がまだ生き生きとした力を持っていたのを見るが、すでにその崩壊の端緒をみることができると語っている。すなわち、父権制と子への財産の相続、これによって家族内での富の蓄積が支援されて家族が氏族に対立する一個の力となったこと。富の差が、世襲の貴族および王位の最初の萌芽を形成することによって、その制度に反作用をおよぼしたこと。奴隷制が、さしあたりはたんに捕虜をもちいた奴隷に過ぎなかったのに、ラティフンディアの発達など、すでに自己の部族員やさらには自己の氏族員をさえ奴隷化する展望をひらきつつあったこと。家畜・奴隷・財宝を獲得するための組織的な略奪が正規の営利源泉になりつつあり、やがて戦争行為が古代エジプト文明の栄華や、アッシリアバビロニア文明の興亡、アレクサンドロス大王による東征や共和政ローマの膨張といった古代の諸文明の歴史を彩ったこと。要するに、富が最高の善として賛美され、尊敬されて、古い氏族秩序が富の暴力的な略奪を正当化するために乱用されたことが、古代文明の形成、すなわち、国家の成立の背景にあると語った[22]

エンゲルスの結論は明快である。第四章の末尾に簡潔に述べた。

「だが、(古代の氏族共同体には)一つだけが欠落していた。 個々人が新たに獲得した富を、氏族秩序の共産制的伝統に対して保証したばかりではなく、また以前にはあれほど軽視された私有財産を神聖化し、この神聖化をあらゆる人間共同体の最高の目的だと宣言したばかりでなく、相次いで発展してくる財産獲得の諸形態、したがって不断に加速される富の増殖の新しい諸形態に、全社会的承認の刻印をおした一つの制度が。はじまりつつあった社会の諸階級への分裂を永遠化したばかりかでなく、有産階級が無産階級を搾取する権利や、前者の後者にたいする支配を永遠化した一つの制度が。そして、この制度は出現した。国家が発明されたのである。()内筆者加筆。」[22]

総括・「家族」「国家」とは何か[編集]

第九章は全体を理論的に結論づけてまとめた章である。エンゲルスはこう語っている。

「人間もまた一個の商品になりうる、人間を奴隷に転化させれば、人間の力を交換できて利用できる、という偉大な「真理」が発見された。人間が交換をし始めるようになるかならないかのうちに、すでに人間自身もまた交換されるようになった。人間が欲すると否とにかかわりなく、能動態が受動態となった。

奴隷制は、文明のもとでその最も十全な展開をみたが、この奴隷制と共に、搾取する階級と搾取される階級とへの社会の最初の大きな分裂が生じた。この分裂は、全文明期を通じて継続した。奴隷制は、最初の古代世界に特有な搾取形態である。これに続くのは、中世における農奴制、近世における賃労働である。これこそが、文明の三大時期に特徴的な隷属の三形態である。公然の、そして最近では仮装した奴隷制度が、いつも文明と併存するのである。

文明の発端となる商品生産の段階は…、(一)金属貨幣、それとともに貨幣資本、利子、高利貸付、(二)生産者間の仲介的階級としての商人、(三)私的土地所有と抵当、(四)支配的生産形態としての奴隷労働。文明に照応し、文明とともに確定的に支配的となる家族形態は単婚であり、男性の女性に対する支配であり、社会の経済単位としての個別家族である。文明を総括するのは国家であり、この国家は…いつも例外なく支配階級の国家であり、どんな場合にも本質的には、抑圧され搾取される階級を抑制するための機関であることには変わりはない。」[23]

ここでは国家の発生についての理論的総括がおこなわれ、この一節はマルクス主義階級国家論の基礎の一つとなった。最後に、エンゲルスは「文明批判」をおこない、文明が金属貨幣と利子、商人、私的土地所有と抵当、奴隷制度を発明して、最終的に人類は奴隷の反乱を防止して階級闘争が内乱へと発展する革命的契機を回避する調停機関として国家を創造したと指摘した[24]

未来への展望[編集]

「国家」の廃棄[編集]

社会主義革命によって生産手段が共同所有に移管されることによって、資本主義経済のもとで奴隷化されていた労働者階級の自立が進み、搾取階級に対する搾取によって全人民が平等な社会が成立すると階級闘争が終わりを告げ、階級支配の維持という役目を終えた国家は廃止されるとされた。そして、母系制氏族社会がつくりだした民主的な社会が共産制社会となって高次の形で復元されると主張した。エンゲルスは、国家一夫一婦制私有財産を自明のものとするヘーゲル的な歴史観に対して、それらが歴史的なもの、すなわちある条件のなかで生成し、またその条件の解消にともなって消滅(変化)するにすぎないとする歴史観を提示した[25]

「国家は永遠の昔からあったものではない。国家なしにすんでいた社会、国家や国家権力を夢にも知らなかった社会が存在していた。 諸階級への社会の分裂と必然的に結びついた一定の経済的発展の段階で、この分裂によって国家が一つの必要事となった。いまやわれわれは、これらの階級の存在がひとつの必要事であることをやめたばかりか、生産の積極的な障害になるように、急ぎ足で近づいている。それらの階級は、以前にそれらが発生したのと同じように、不可避的に滅びるであろう。それとともに国家も不可避的に滅びる。生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎の上に生産を新たに組織する社会は、全国家機関を、その場合にしかるべき場所に移しかえる。すなわち、紡ぎ車や青銅の斧と並べて、考古博物館へ。」[26]

国家の歴史はエンゲルスの想定するコースを辿ることはなかった。「国家の廃止」は実現を見ていない。ただし、現代史において国家のあり方の変化は急激に進行した。エンゲルスの想定した方向性からは外れているものの、グローバリゼーションの進展や冷戦終結に伴ってヨーロッパ連合 (EU) という超国家的な連合体が登場し、ヨーロッパ統合が進展した。国家の存在と役割は時代とともに変化を見せている。

男性支配と女性解放[編集]

「(未開から文明への中位段階の)工業的成果のうちで二つのものが重要である。第一は機織りであり、第二は金属鉱石の溶解と金属の加工である。……。

すべての部門―牧畜、農耕、家内工業―における生産の増大は人間の労働力に、その生計に必要なより多くの生産物をつくる能力を与えた。それは同時に、氏族、世帯共同体、または個別家族の各構成員に課される日々の労働量を増大させた。新しい労働力の編入が望ましくなった。戦争がこれを供給した。すなわち、捕虜が奴隷に転化させられたのである。最初の大きな社会的分業は、その労働の生産性の、したがって富の増大につれて…、必然的に奴隷制度をもたらした。最初の大きな社会的分業から、二つの階級への社会の最初の大きな分裂が発生した。すなわち、主人と奴隷、搾取者と被搾取者への分裂が。

いまや畜群やその他の他の新しい富とともに、家族のうえに一つの革命がやってきた。……。いまや生業がもたらす剰余はすべて男性に帰した。女性もその享受にあずかったが、その所有にはあずかることはなかった。「粗暴」な戦士・猟人は、家庭内では女性に次ぐ第二の地位に満足していたが、「ヨリ柔和」な牧人は、自分の富を頼って第一の地位にのしあがり、女性を第二の地位に押しのけた。……。

女性の家事労働は、いまでは男性の生業労働のまえに影にひそめた。後者がすべてであって、前者はとるに足らない添え物であった。ここにすでに示されているのは、女性の解放、男女の平等は女性が社会的な生産的労働から排除されていて、家事の私的労働に局限されたままであるかぎり、不可能事であり、今後ともそうであろうということである。女性の解放は、女性が大きな社会的な規模で生産に参加することができて、家事労働がとるに足らない程度にしか女性を煩わさないようになるときに、はじめて可能となる。そしてそれは近代工業によって初めて可能となった。近代的大工業は、女子労働をたんに大規模に許すばかりではなく、それを本格的に要求し、また私的に家事労働をもますます公的な産業に解消することに努めているのである。」[27]

ここでのエンゲルスの論点は二点に要約される。

一点目は、農牧業によって男性労働力の価値が上昇していき、これに対比するように、女性の社会的地位が低下したという指摘である。新石器革命による農牧業の開始とそれに伴う社会的生産力の増加によって、男性の労働が物質的生活を維持する中心的活動へと発展を果たす一方、女性の家事労働や家内生産が従属的な活動へと押し下げられていき、次第に女性の地位が低下した。人類史は、社会的労働における奴隷ならびに賃金労働者の使用と家庭内労働における専業主婦の使用とが対の関係になって成立する。家庭の外は男性支配者と奴隷と労働者の世界、家庭の中は男性支配者の家族と家庭内に押し込まれた女性の世界と二極の世界が成立した。

二点目は、将来における女性の進む未来に関する予想を含んでいる。

近代工業の機械的生産体制が確立されると、ブリテン労働者階級の女性の類例でもあるように、働く女性は男性よりも低賃金で使用できる労働力となり、その社会進出は進展していく。とりわけ、エンゲルスの死後に勃発した第一次世界大戦下では男性労働力が不足し、不足した労働力の埋め合わせとして、女性の社会進出が世界各国で進展した。

影響と批判[編集]

『家族・私有財産・国家の起源』はマルクス主義階級国家論の古典の位置を占めている。

階級国家論はマルクス主義者に継承され、1917年夏、ロシア革命の最中にウラジーミル・レーニンの『国家と革命』という著作が発表された。レーニンは、マルクスとエンゲルスの著作やドイツ社会民主党幹部に対する書簡を通じて、マルクス主義の理論を精緻に分析した。エンゲルスの著作の中で特に重視されたのが『反デューリング論』や『家族・私有財産・国家の起源』であるが、レーニンはこれら著作に登場する国家理論に関する記述を通じて革命の方向性とその性格を規定しようとした。レーニンは、国家は有産階級による無産階級に対する支配の装置だとする国家論を継承し、革命理論に関してもエンゲルスの見解を下敷きとする認識を示した。社会主義革命を経てプロレタリアート独裁の体制を確立し、人民が政治的意思決定や共同体の運営に参画することを学習すれば、支配-被支配の構造が打ち砕かれ、従来的な階級国家が廃止されて人民国家へと止揚されると論じた。

一方、家族と結婚に関するエンゲルスの批判は、フェミニズム思想に影響を与え、マルクス主義フェミニズムへと継承された。

マルクス主義フェミニストは、女性が抑圧される現象を私有財産制に基づく経済的活動に起因する問題として捉え、家族と結婚は財産権を掌握した男性が女性を支配するための装置であり、資本主義経済の下で有史以来の男女間の不平等が発展・継承され、近代社会における性差別の構造が確立されるに至ったというエンゲルスの指摘を支持した。彼らは女性を解放する方法として資本主義の解体に焦点を合わせた[28]。1970年、ラディカル・フェミニズムの代表的研究者ケイト・ミレットは『性の政治学英語版』において、エンゲルスが結婚と家族制度を人類社会の歴史的所産として位置づけ、「神聖な存在を深刻な批判、分析にさらしただけでなく、抜本的に再編成される可能性すら招いた」と評価した[29]。また、シュラミス・ファイアストーンは『性の弁証法英語版』において、エンゲルスの母系制社会に関する記述を引用して、女性解放の可能性を論じた。エンゲルスの観点のなかで特に支持されている点は、男女間の性差は生物学的に決定されたものではなく、社会的条件によって人為的に構築された「制度」であるというジェンダー論を含んでいる点であった。エンゲルスは家父長制を資本主義の社会的補完システムの一つとして見なし、両方の解体が労働者階級と女性の解放を可能とする条件と考えていた[30]

エンゲルスの思想は、今日の現代人類学や異なる観点からのフェミニズムからも批判を受けた。批判の原因は未開社会が男性優位に基づいている点をエンゲルスが否定したためである。また、エンゲルスはヴィクトリア時代の価値観に則っていたため、女性の性欲や生殖と関係のない性衝動を見落としていたとも指摘されている。ミシェル・バレットによると、エンゲルスは「性衝動、イデオロギー、家庭第一主義あるいは男女間の分業や権限の分割という問題にも真剣に」向き合っていなかった[31]。エンゲルスの研究には時代の制約性を含んだ一面があるというのがエンゲルス批判の根拠である。

脚注[編集]

  1. ^ 岩波文庫版(1965) pp.7-8
  2. ^ 岩波文庫版(1965) p.273
  3. ^ 岩波文庫版(1965) pp.273-274
  4. ^ a b c 岩波文庫版(1965) p.274
  5. ^ 岩波文庫版(1965) p.274-275
  6. ^ ハント (2016) p.398, p.401
  7. ^ ハント (2016) p.401
  8. ^ 佐藤(1984) p.57
  9. ^ 岩波文庫版(1965) pp.275-276
  10. ^ ハント (2016) pp.397-399
  11. ^ 岩波文庫版(1965) pp.14-26, pp.279-281
  12. ^ a b 岩波文庫版(1965) p.31
  13. ^ 岩波文庫版(1965) pp.32-33
  14. ^ 岩波文庫版(1965) pp.33-34
  15. ^ 岩波文庫版(1965) pp.37-38
  16. ^ 岩波文庫版(1965) pp.74-76
  17. ^ 岩波文庫版(1965) p.82
  18. ^ 岩波文庫版(1965) p.83
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  26. ^ 岩波文庫版(1965) p.230
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  28. ^ ハント (2016) p.404
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  30. ^ ハント (2016) pp.405-406
  31. ^ ハント (2016) p.406

参考文献[編集]